だまゆとあきちゃんのトークショーくらいは行きたかった、あとtsubame見学とか
posted at 11:15:15
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だまゆとあきちゃんのトークショーくらいは行きたかった、あとtsubame見学とか
posted at 11:15:15
工大祭!そういうのもあるのか
(いま気付いた)
posted at 11:10:14
ブルアカまじでレポートが足りなすぎる
posted at 18:07:22
忌引き休暇の中で急な仕事をこなしていくぅ
posted at 19:42:53
まずは生活リズムを戻すところから
posted at 14:04:58
@shu_ohm1 ありがとうございます。普段通りの生活を送っていれば徐々に辛いのは薄まっていくのかなと思うので、前向いていきます!
posted at 10:22:53
昨日までずっと母に寄り添ってたせいで全然眠気がこない
posted at 02:23:26
あとゲームの近況としてはスプラ3を買って初めてやってみたらどっぷりハマってしまった。未だB-の雑魚
posted at 01:48:38
最近のソシャゲ、シャニマスはデイリー消化とガシャ回しのみの惰性期に入り、ブルアカを新たに始めました。シャニは心の余裕が無かったため最近のライブは一切見てないです。
posted at 01:46:27
いつのまにか14年らしいです Do you remember when you joined Twitter? I do! #MyTwitterAnniversary https://pic.twitter.com/puo8gSwMvw
posted at 01:28:39
それから、父ときょうだいとで寄り添うことができたのは何よりも良かった。自分が死ぬ時、看取ってくれる親族がいないとどうなるか、そう思うと結婚に対して真面目に考えるようになった。
posted at 01:23:42
今回は父がほとんど身の回りの世話をしていたけれども、次に父を看取る時はどういう風にしたいか、僕自身で考えていかないといけない。
posted at 01:23:42
そうでない家族の方にとっては、ここが不安材料になるのかなとも思った。そういう24時間相談に乗れるサービスみたいなのがあれば。
posted at 01:23:41
別の話だが、身内に臨床経験のある医療従事者がいるとつよつよである。家系の運が良かっただけなのだが、マジでほぼ毎日なにかあれば相談できるのが助かった。セカンドオピニオン聞き放題。
posted at 01:23:41
最終日の深夜、徐々に下顎呼吸になり始めた時、不思議なくらい冷静だった。スマホゲームをプレイしながら静かに様子を見守っていた。仮眠を取る余裕すらあった。ただ、家族に起こされ、丁度最後の呼吸を看取った直後、想いが一気に溢れてしまった
posted at 01:23:41
最終週は仕事を休み、連日明け方まで痛みで眠れない母の浮腫んだ足をマッサージし続けた。いま思えば意識が朦朧としかけていたので意味はなかったかもしれないが、最期に少しでも楽になって欲しいという一心で、孝行したい自分を納得させるためという意味合いが強かったかも。
posted at 01:23:40
僕自身もそろそろ"近い"ことを悟った時、なるべくいつも通り、でも徐々に寄り添う時間を増やしていった。それくらいしか出来ることがなかった。
posted at 01:23:40
最期は本当にあっという間だった。闘病期間は2年以上だったが、最後の2週間くらいから食欲が落ち、足が浮腫んで思うように動かなくなり、歩行ができなくなり、急速に体力と気力が落ちていく。
自分の力で立てなくなった時の母の表情は忘れることはできない。
posted at 01:23:40
終末期は医療用麻薬をもってすらコントロールできない強い疼痛に苦しむ母を見て、それに対して何もできない自分が本当に悔しかった。どうしようもないんだけれども。
posted at 01:23:39
そんな中でも家族旅行にいけたのは本当によかった。できる内にやる、食べられる内に食べる、そこは絶対に金を惜しんではいけない。
posted at 01:23:39
だからなるべく(疼痛の原因となる)身体を動かさなくて済むように、そばに付き添ってあれこれ手伝えればよかったんだが、丁度仕事が毎日深夜残業する程度に鬼忙しく、僕自身仕事を優先してしまったのはすこし後悔している。
posted at 01:23:39
そういう意味でQoLの改善は母だけでなく僕に取っても最大の課題だった。緩和ケアの文献でもQoLの改善を第一にしているのには納得がいった。
posted at 01:23:38
通院や訪問診療を活用して自宅療養で過ごすのは、家族がそばにいるという大きな安心があるが、一緒に過ごす時間が長くなるほど、本人の辛さを強く強く感じるようになる。
posted at 01:23:38
これが、僕が別居していたらそこまでではなかったと思う。だいぶ前に同じくがんで亡くした祖父を見舞った時はそんなに思わなかったし。
逆に言えば辛いところを見たくないのであれば病院とか施設療養の選択をしても良かったのかもしれない。ただしコロナ禍で面会制限もあることがデメリットになる。
posted at 01:23:38
まぁ最初は誰だってショックにはなるんじゃなかろうか。でもそんなことは些細(?)なことで
僕自身何よりも辛かったのは、病状が進行することとか余命がせまってくることよりも、抗がん剤の副作用や、がん起因と思われる強い疼痛に苦しむ母を見ることだった。
posted at 01:23:37
2年くらい前に母ががんであること、既に原発巣が大きく、遠隔転移まで進行していることを知らされ、こんな歳で情けなくも親を失う恐怖心で泣いてしまった。
posted at 01:23:37
昨日、がんだった母の最期を看取りました。ずっと自宅で闘病生活を送って、そばにいた自分として色々感じたことを備忘のためtwitterというチラ裏に書き残そうと思います。まとまってないです
posted at 01:23:37
突然浮上して親の死についてクソみたいなツイートするけど許してくれ、今日を機に陰な気持ちを吐き出してしまいたい。うるさければ適当にミュートかリムーブしてください
posted at 01:13:40
人生で一番長く感じた一日が終わった
posted at 01:12:29