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いがわ・まこと@viewfromnowhere

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2024年03月27日(水)23 tweetssource

3月27日

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「折口先生がアララギの万葉輪講(大正六年)で疑問を出し、武田さんに相談し、武田さんが元暦校本に「変水定」とあるのを示し、折口先生が変水は変若水だとして、「ヲチミヅ」の訓を得たようなことは、二人の協力の一例です」(月報1、山本健吉発言)。

posted at 00:57:43

3月27日

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「西郷信綱さんは、わたしどもは西郷さんの転換なんて言ってますけれども、『日本古代文学史』の第一稿と改稿版の間で大きく変った。西郷さん、ロンドンに行って帰ってくるところで一つの変化が起こりますよね。それ以前のある意味の単純なマルクス主義的な文学史観に対して、もっと向こうの人類学の

posted at 00:53:29

3月27日

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たまたま柳田国男先生の大学院での講義の中で――あるとき、ものすごい情熱を込めてぼくらに語りかけられたことがあって、論文というのは自分の主張……いまの、武田先生がおっしゃったのと同じ話でした。あれェって思って聞いてたんだけども」(月報5)。

posted at 00:43:17

3月27日

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「論文を書くことについてなんだけどね、ぼくは武田先生にこういう注意を受けたんです、何げなく。湯本(祐之)君、論文を書くときはね、自分の主張に必要な資料だけ集めても論文になりませんよ。むしろ、否定して否定して否定し抜いた中で残ったのが論文の骨子になるんだから、というようなことをね。

posted at 00:43:02

3月27日

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乗り越えていかなくちゃならんでしょう。そこで踏まえるのね。飛び越しちゃうと、はなやかだけど、やはり朽ちていくね。僕なんかも、そういうことを自分でしみじみ感じますよ。そういうことが武田さんにはあんまりないんですよ。これはやはりいいところですね」とゆー へんが おもしろかった。

posted at 00:37:46

3月27日

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わけですよ。注釈だと、飛び越すわけにいかんでしょう。/角川 だいぶ自分の弱点を見ているんじゃないの。(笑)/西郷 いや、俺もいま注釈やっているのよ。『古事記』の三冊か四冊ぐらいのをやっているの。ところが、注釈だと飛び越せないわけよね。自分の考え方と本文を対決させながらなんとか

posted at 00:37:45

3月27日

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直せばいいんだからね。とにかく、なんでも一応やればいいんだろうと思いますけどね。だから、それは必ず批判されてくるだろいうと思いますよね。/西郷 そういう意味では、注釈が古典研究の勝負どころだと思っていますね。論文というのは、自分の考えに都合のいい部分だけをピックアップしてつくれる

posted at 00:37:44

3月27日

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注釈というものを一ぺんやった上での仕事である点が強いという感じがしますね。/西郷 論文というのはどんなにすぐれたものでも古びるし、朽ちていくね。ところが、注釈というのは長生きしますよ。/角川 論文というのは紅衛兵みたいなもので、バーッとやって、炎を燃やして、行き過ぎればまたあとで

posted at 00:37:43

3月27日

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げっぽー どれも たいだんで、4の 西郷信綱・角川源義「武田祐吉と古代」わ、なんか とりあわせも いがいな かんじお うけたのだけれど、「角川 まあ、われわれもそうなんだけれども、近年、学者が注釈という仕事をやらないで仕事している弊害というものがあるでしょう。その点武田先生の場合には、

posted at 00:37:42

3月27日

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三谷 だから、山岸先生がね、先生の『堤中納言物語詳解』(昭和二十九年十一月刊)に書かれていますよ。そういうことをちゃんと。わたしがお話したものだから。あんたの「装填」に載ったという話も……。
鈴木 しかし、あれはほんとうにいい説なんですがね。」
と あった。

posted at 00:12:40

3月27日

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誤解される面もあるわけだ。
鈴木 しかし、あれはちゃんと「装填」という雑誌の発行年月もあるしね。岩波の『古典文学大系』のときの「堤」の解題ね、題名考のところに、なにか武田先生の説としてでなく、誰の説ともなく、「つつみ」の物語とする説があるんだとしている。

posted at 00:12:26

3月27日

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三谷 いや、星野喬さん、鈴木さんと同期の。これが堤中納言物語を研究して、その学説を取り入れたんですよ。「堤中納言物語について」という題で「国文学論究」第四冊(昭和十二年二月)に出たんです。それが星野さんの説として認められちゃった。星野さんが自分の論文の中に自説のように述べたから、

posted at 00:12:07

3月27日

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三谷 いまでも、あれ以外に説はないですよ。堤中納言なんかいくら考証したって意味ないんで……。
鈴木 ほんとうに堤中納言にならんですよ。先生の考えはうまい――。ただ、あまりに簡単だということと、出した雑誌が無名の雑誌だったから、学界で取り上げてもらえないんですよ。

posted at 00:11:49

3月27日

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三谷 『更級日記』に「物語ども一袋とり入れて」とか『赤染衛門集』に物語を紙に包んでその上に書いたなんてあったんですね。
鈴木 なにかにあってそれを想い出されて、先生がヒョッと言ったんですよ。あれはうまい説ですよ。

posted at 00:11:29

3月27日

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いくらなんでも論文にならんからと言ったら、こんなに長くちゃ駄目だと言って削られて、結局組んで二頁に三行か四行ぐらいになって、どうしてもそれから僕には削れないんですよ。ほんとうに三行か四行ですがね。それでぶざまな格好で、しまいのほう真っ白になったまま、その雑誌に出ているんですね。

posted at 00:11:11

3月27日

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そうしたら、「それじゃ、この間の『堤』でもどうかね」「しかし、あれは書きようがないな、一言ですね」と言ったら、だから一言で書いたらいいだろうと言う。だって、それじゃ文章にならない。とにかく短く、二頁に書くんだねと、こう言うんだ。書いて、持っていったですよ。だけれども、それだけじゃ

posted at 00:10:52

3月27日

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武田先生の原稿だとかもらう癖があったんですよ。いつももらいに行く役というのは、僕なんです。それで武田先生のところに行って、先生、なにか書いて下さいと言ったら、「あんた、書いたらいいだろう」「なに書いたらいいですか」のんきなものですよ。

posted at 00:10:00

3月27日

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ただ、これをつつみ中納言と洒落に引っかけたか、あるいはわからない奴がほんとうに堤かなと思っちゃって兼輔と言い出したのか知らんけれども、その元は紙を包む「つつみ」だという。それで、僕たちがそのころ出していた短歌雑誌がありましてね。「装填」というんです。その雑誌に折口先生の歌だとか、

posted at 00:09:39

3月27日

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鈴木 なんでもない一言なんですよ。「堤」というのは、結局短編のああいう小さい草子が、何枚しかないようなそういうのが幾つもあって散逸してしまうんで、それをかためて、そっとまとめてしまっておこうというので、一枚の紙に包んでおいたので“つつみ中納言”だと、こう言うんだ。

posted at 00:09:21

3月27日

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堤中納言の題名考などというのは、実にその輪読会、その当時、輪読会と言ったんだ。ゼミという言葉はなかったんですね。この『堤中納言物語』の題名はいまでも一つの説として残っているが、これは、偶然先生がちょっと一言いっただけなのだが。鈴木さん、そのときの雰囲気を……。

posted at 00:09:00

3月27日

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三谷 そうそう、習った。十人ぐらい研究室に入っている学生を中心に、助手が分担者や研究指導の用意をするの。助手は佐藤謙三(現国学院大学学長)さんで、大体佐藤さんにいろいろ調べさせて、武田先生は脇のほうで聞いていて、何か問題があると、チョコッと言うだけなんだな。それが実にいい。

posted at 00:08:40

3月27日

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げっぽー かくにんしたら、第4巻付録の 月報2(昭和48年5月)の、「〔対談〕武田祐吉先生回想―僕らの学生時代― 出席者 鈴木棠三・三谷栄一」に、「『堤中納言物語』の「堤」説」とゆー こみだしで、
「鈴木 『成尋阿闍梨母集』は習わなかったか?

posted at 00:08:14

2024年03月26日(火)6 tweetssource

3月26日

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録音再生技術の無い当時、その苦労はいかばかりだったろう。そして、賀茂真淵や本居宣長らのいわゆる国学者も、この方法論自体は継承した。古風の歌を毎日詠む。『源氏物語』に一巻書き足すくらいはできる。そして、「真淵」「宣長」などと古代風平安風に名乗って生き通す。

posted at 09:03:08

3月26日

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歴史的文書は正しく読めないというのである。/この主張は、当時、否定しがたい真実性を持って多くの人々の心に響いたようである。寛政年間(一七八九~一八〇一)にも、「彼方の声音」を学んで「呻吟」する「風流之士」が「往々有」るという指摘がある(冢田大峯『随意録』巻一)。

posted at 09:03:07

3月26日

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「つまり、徂徠の学問方法論は、単に漢文直読論ではない。対象理解には対象への沈潜と自己変身・自己変容が必要であることの主張なのである。対象を歴史的コンテクストに据えて読むというだけではなく、自分自身が歴史的コンテクストの中に没入し、知性と感性においてその世界に生まれ変わらなければ、

posted at 09:03:06

3月26日

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にもかかわらず、それを「宛先によって用語自体の意味が特殊に変移する」からといって利用しない伝記など、ありえないであろう」(「日本思想史と現在」240ペ)と かいていた。

posted at 08:51:55

3月26日

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わたなべ・ひろしが、これに たいして 「ある人の伝記を書こうとする時と、その人の思想・学問を体系的に再構成しようとする時とは、方法が異なって当然である。それは、「根本的な学問方法観の対立」ではなく、その時の執筆意図の相違にすぎないのではないか。実際、多数の書簡が残っている

posted at 08:51:46

2024年03月25日(月)2 tweetssource

3月25日

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「晩年の丸山の自宅の応接間には、朱熹の詩の拓本が飾られていた。彼にとって、朱子学がただ「封建的」な忌まわしい思想であったなら、そのようなことをしたはずはあるまい」(272ペ)。

posted at 11:35:35

2024年03月23日(土)2 tweetssource

2024年03月21日(木)2 tweetssource

2024年03月18日(月)2 tweetssource

2024年03月16日(土)1 tweetsource

2024年03月15日(金)1 tweetsource

2024年03月14日(木)1 tweetsource

2024年03月13日(水)2 tweetssource

2024年03月12日(火)3 tweetssource

3月12日

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「蘇峰の小冊子『自由、道徳、及儒教主義』」(51ペ)について、「蘇峰はこう述べたうえで孔子の言葉を引く。「婦人伏於人也。(……)」」(52ペ)とゆー 「孔子の言葉」お 「この言葉は戴徳編『大戴礼記』本命篇にある」(77ペ)と ちゅーしているけど、これお 「孔子曰」と してるのわ 小学なので、

posted at 08:20:22

2024年03月10日(日)4 tweetssource

3月10日

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(v)で始まるのなら、最後のあたりを探すべきである。また、(ca)で始まる語であれば、(c)の文字のところの最初のほうを探し、(cu)で始まる語であれば、(c)のところの終わりあたりを探すべきである。その他すべてについても同様である」(39ペ)と つかいかたの おしえが かいてあると あった。

posted at 11:19:20

3月10日

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アルファベット、すなわちふつうの文字の順序と、それぞれの文字がどこにあるのかを、本をもちいることなく完璧に習得しなければならない。(b)は最初のほうに近く、(n)は中間くらいで、(t)は最後のほうにあるというように。もしも、探す語が(a)で始まるのなら、この『表』の冒頭を探すべきであるが、

posted at 11:19:19

3月10日

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デニス・ダンカン「索引 ~の歴史」お みていたら、「最初の英語辞書であると一般にみなされている(……)コードリーの『アルファベット表一覧』」(37-38ペ)に、「(寛大な読者諸氏よ)もしもあなた方が、このアルファベット表一覧を正しくたやすく理解し、便宜を得たいと望むのであれば、 twitter.com/viewfromnowher

posted at 11:19:19

2024年03月09日(土)3 tweetssource

3月9日

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鳩野恵介さんが 「「韻引き字樣」としての『干祿字書』」の ごはっぴょーお なさった ときの くんてんごがっかいの しつぎおーとーで、にしはらせんせーが わたし いがいにも じよーに きょーみお もってくれる かたが でてきて うれしー、みたいな ことお おっしゃってたのお おもいだす。

posted at 20:50:18

3月9日

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たぶん ちゅーがくせーの ころだったと おもうのだけけど、「ペンギン村に陽は落ちて」お ほんやで みて、この ひとわ アラレちゃんの ことお ちゃんと しらないんだな、かわいそーだな、と おもった ことが あったよーな きが する。

posted at 20:45:45

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