「こんにちは」と挨拶しているのに相手は無反応。よって大きな声で挨拶すると「うるさい」と相手に言われる当事者。そんな日常がたくさんあるだろうと日常の出来事から想像する。 #takonoki
posted at 14:31:05
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「こんにちは」と挨拶しているのに相手は無反応。よって大きな声で挨拶すると「うるさい」と相手に言われる当事者。そんな日常がたくさんあるだろうと日常の出来事から想像する。 #takonoki
posted at 14:31:05
時間を忘れお目当ての情報を見つけようと検索ページを次から次へとクリックしていくように、当事者の想いも次のページにあるかもしれないとめくり続けたい。 #takonoki
posted at 12:31:10
人に頼むと言うのは、頼みを聞いてもらえたり聞いてもらえなかったり、改めて頼んでみたりと、様々な経験があって頼む事ができる。 #takonoki
posted at 10:31:05
当事者は苦手とする事を支援者に頼めば良い。しかし、本人は何が苦手か解らず頼めない。 #takonoki
posted at 08:31:03
当事者が理解できないのではない。当事者に理解してもらえない支援の側の能力が足りない。 #takonoki
posted at 06:30:59
質問に答えられない当事者。答えられないのではなく、答えを保留したい場合もある。 #takonoki
posted at 04:31:03
見よう見まねで当事者がやって失敗した事。「やらなくても良い」として止めるか、「やりたい事」としてできる方法を一緒に探すかで、当事者と支援者の関係が変わる。 #takonoki
posted at 02:31:01
「どうしてするの!?」という問いの中に「やってはいけない」と言う意味が含まれている。 #takonoki
posted at 00:31:02
人は相手の言葉を話の文脈から理解する。しかし、当事者が話す文脈は必ずしも私と同じではないため双方に誤解が生じていたりする。 #takonoki
posted at 22:31:08
「障害があってもなくても他人のことなんて解るわけがない」というのは当然のことと思う。でも、「解るわけない」ものは「解る必要がない」とした時、結局社会が描く常識の範囲に当事者をあてはめることになってしまう。 #takonoki
posted at 20:31:07
当事者に認められる支援を目指すには、当事者に問われる関係がなければ、本当に認められているかわからない。 #takonoki
posted at 18:31:03
「個々の人が描く想いは大事」で同じ想いを抱く者が集い力を出す事も必要。しかし、すべての人が同じ想いを抱いているとか、その想いに集わない人を否定する事は間違っている。 #takonoki
posted at 16:31:04
一人の当事者に対する支援をある程度統一する事はある。しかし、統一されたものは人を縛る。なので、ある程度統一された支援を一つの軸に、目の前の当事者と向き合うことが大切だと思う。 #takonoki
posted at 14:31:04
いつも通りの当事者。いつも通り介助者の前で演技しているのかもしれない。 #takonoki
posted at 12:31:06
「行動障害には、本人なりの意味がある」という話は、「行動障害の意味を理解する取り組み」に重きを置くか、「意味は理解できないけど付き合い続ける」事に重きを置くかで、まるで異なる話のように思う。 #takonoki
posted at 10:31:02
パターン大好きな当事者にとって「余暇」と言う隙間はとても辛かったりする。 #takonoki
posted at 08:31:08
「~して欲しくない」という支援者の想いなのか?「~してはいけない」と言う相手への責めなのかでは意味が違う。しかし、前者であっても後者として当事者に発する支援者が多い。 #takonoki
posted at 06:31:00
そもそもは分けて一方に不利益を集中させるから、その解消に向け取り組まなければならなくなる。ならば、分けなければ取り組まなくても良いわけで、一日もそういう日がやってくることを願う。 #takonoki
posted at 04:31:03
「自閉症の人は、自らの想いを発信する事と他者の想いを受信する事が苦手」と専門家は言う。それが彼らによって語られる事は歓迎する。しかし、語らずともそのような困難な状態に乗じ、当事者とやりとりしている私たちを振り返る必要はないのだろうかと思う。 #takonoki
posted at 02:31:02
支援者の向き合い方によって当事者も変わる。 #takonoki
posted at 00:31:01
当事者支援において、本当に無理な事は確かにある。それを当事者や親に向かって言える人は、決して「無理」と言わない人だけかも。 #takonoki
posted at 22:31:05
私たちは障害当事者が描く意思を様々な角度から想定する必要がある。しかし、それはあくまでも想定でしかなく、見えない意思を判断することとではない。 #takonoki
posted at 20:31:09
障害はその人の「能力」と捉えれば、私たちは様々な障害に対して理解しなければならない。しかし障害をその人の「状態」と捉えれば、目の前で起こっている事柄をともに解決する道を求めるようになる。 #takonoki
posted at 18:31:07
個別支援計画は、個が様々なつながりや流れの中で存在している事も含めて立てていく必要がある。 #takonoki
posted at 16:31:05
言わなければ忘れているし、言えば覚えていたかのように振舞う当事者。そしてイラつく周囲の人々。実は、忘れていたわけでも覚えていたわけでもなく、周囲が言った瞬間に思い出すということが当事者に起こっているかもしれない。 #takonoki
posted at 14:31:02
当事者はいつも落ち着きがないわけではない。落ち着いてやり取りできる時はスルーされ、落ち着かない時は問題とされるから後者のみ支援者の記憶に残る。 #takonoki
posted at 12:31:06
普通学級に在籍する障がい児とその親に、「ただ在籍するだけで良いのか?もっと良い場所がある」と言う教師が多い。しかし、当事者に求める前に自らの教育の限界について語る教師は少ない。 #takonoki
posted at 10:31:03
自分とそりが合わない支援者は存在する。しかし、そりが合わない支援者とそりが合う当事者がいる事を忘れてはいけない。 #takonoki
posted at 08:31:07
自己決定を保障する事と自己決定を迫る事を混同している支援者は意外に多い。 #takonoki
posted at 06:30:59
「できなくてもいいんだよ」と他人から声かけられる。内容を問わない声かけは大きな安心感を得る。しかし、内容で分かれる声かけは逆に疎外感につながる。 #takonoki
posted at 04:31:02
当事者が与えられた事を積極的やっていれば主体的にやっていると言えるのだろうか? #takonoki
posted at 02:31:04
「自分では決められないから人に決めてもらう」というのも自己決定。しかし、周囲が「この人には決められないからと判断し決める」と言うのは支援でないと思う。 #takonoki
posted at 00:31:00
何かあれば言って欲しいが、何と言って良いか解らない当事者がいる。 #takonoki
posted at 22:31:06
私たちは常に、当事者たちに対し下地となるストレスを与えている事を意識する必要がある。 #takonoki
posted at 20:31:06
本人が必要とする支援が見いだせない事を「支援には正解がない」と言って事を先送りにしたり課題にしないのはおかしい。 #takonoki
posted at 18:31:08
怒られる事を知っていても、怒られる理由を当事者が理解していなければ、支援はどこまでいっても矯正でしかない。 #takonoki
posted at 16:31:03
「当事者支援」は「当事者のニーズに応えること」と言われる。しかし、当事者自らがニーズを見出すための支援もある。 #takonoki
posted at 14:31:03
良からぬ行動を起こす当事者に対し「しないと約束する」というやりとりは、もしかすると私たちの価値観の押しつけかもしれないと我が身を疑ってみる。 #takonoki
posted at 12:31:09
当事者の痛みはその人固有のもの。他者と比べたり周囲の想像や経験だけでは理解できない。よって、その人のあるがままを、まず受けとるしかないと思う。 #takonoki
posted at 10:31:04
利用する側がひたすら頭をさげている職業は、ヘルパー派遣以外に何があるだろうか? #takonoki
posted at 08:31:05
私達が親もとから自立する時は、長年の暮らしとこれから生まれる長い暮らしの中で考える。しかし、障害者の自立は、その時点での状態や状況や想いの中でしか語られていないように思う。 #takonoki
posted at 06:30:59
「早期発見」「早期療育」については、とりあえず否定しない。もし「療育」の効果が表れるまで続けるならば、それはもはや療育という名の分離でしかない。 #takonoki
posted at 04:31:03
選択肢がなければ選択できない。 #takonoki
posted at 02:31:03
言葉を発しない当事者。本人の想いを知る手立てや情報は言葉以外にもたくさんある。しかし、私たちはそれに気づいていない。 #takonoki
posted at 00:31:01
支援を仕事と割り切る事はありだが、仕事としての支援と支援の間を考えて欲しい。 #takonoki
posted at 22:31:05
「行動障害」と言うが、当事者から見れば私たちの存在や社会の仕組みや周囲の価値観が、自らの想いや行動に対して障害なんだろう。 #takonoki
posted at 20:31:07
「当事者の主体」と「支援者の主体」はぶつかる方があたりまえ。その前提に立てば、支援とはお互いの折り合いを見出すところにある。 #takonoki
posted at 18:31:05
新しい人とのやり取りを拒む自閉症の当事者。私たち以上に関わりたいと思っているかも。ただ、私たちと関わり方が違い私たちの想定を超える積極さ故に、新たな人との関わりを築くことが難しいのだろうと思う。 #takonoki
posted at 16:31:06
当事者からの無理な依頼をそのまま懸命に応える努力も必要だと思うが、それがいかに無理な依頼であるかを当事者に伝わるように伝える努力や代替え案を相談する努力も必要だと思う。 #takonoki
posted at 12:31:07
いつでもどこでも誰とでも笑顔でいられるわけはない。しかし、当事者は常に求められる。 #takonoki
posted at 10:31:05
たとえ同じ事であったとしても、当事者本人自身が知るという事と支援者が当事者に教えるという事とは違う。支援とは前者に対する事であって、後者の事ではないと思う。 #takonoki
posted at 08:31:06
成年後見制度の充実を叫べば叫ぶほど、実は、当事者の周囲にいる人たちとの関係が薄くなっていて制度に頼らざるを得ない状況に向っているのではないかと憂う。 #takonoki
posted at 06:31:00
当事者自身が組んでいる段取りに則して支援したいと思う。しかし、本人はその段取りを説明できず介助者も理解ができず、お互いに辛くなる。 #takonoki
posted at 04:31:03
当事者に「何か言いたい事がある」と理解できても、「何が言いたいか」を理解するのは容易ではない。 #takonoki
posted at 02:31:01
支援者は、当事者から頼まれたできる事を「あなたのため」とやらない場面がある。しかし当事者は、支援者から頼まれた事ができそうになくても「自分のため」と思い懸命にやろうとする。 #takonoki
posted at 00:31:01