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@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

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2023年06月30日(金)15 tweetssource

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「同じて乱をなすより他に行く道がない」と思っていた「文学青年」が ついには そういう道を選んで辿った、という次第です。自分の精神(知・情・意)は自分で制御するしかない。自分で自分を整えるしかない。

posted at 17:54:18

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

勿論、今は そう思っていない──モデル論の学習研究は、それはそれで私に創造の苦しみ・悦びを与えてくれて、私の生活のほとんど(40才から今 [ 70才 ] に至るまで)を費やしてきました。

posted at 17:53:30

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

T字形ER法(TM の前身)をつくっている途上、私は 自らの仕事が なにかの代用(疑似体験)ではないかという思いを 13年前に綴ったことがあったけれど、今にして思えば、「文学青年」が夢見ていた作家の仕事の代用であることを疑っていたようです。

posted at 17:52:57

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

特に、T字形ER法と その進化形の TM を創ったことは、「文学青年」として味わうことのできなかった創造の苦しみ・悦びを私にもたらしてくれた。

posted at 17:52:44

6月30日

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佐藤正美@satou_masami

そして、その仕事の延長線上でモデル論の学習へと進むことになった次第です。この仕事に就いたことは、私の今までの生活を一変しました。この仕事に就いて、私は 自ら 意欲して計画して実践して、そして実績を積んでいくことを体験しました。

posted at 17:52:31

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

でも、私は、怠けたことは一度もない、仕事に専念していました(というか、日本に先例のない RDB を導入・普及するのだから先達もいなかった)、いきおい独りで──独りというのは大げさな言いかたであって、私を支えてくれた人たちもいました── RDB の使いかたを考えなければならなかった。

posted at 17:52:14

6月30日

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佐藤正美@satou_masami

会社には一ヶ月に数回ほどしか出社しなくて家に籠もって (昼夜逆転の生活をしながら)自分を ただただ仕事に打ち込んだ──当時(1980年代前半)はテレワークなどなくて、私が出社しない状態というのは他の人たちから見れば「怠けている(欠勤している)」としか見えなかったでしょう www

posted at 17:48:32

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

当時、私は、社長の庇護のもとで、自由気ままに仕事をさせてもらった──「自由気まま」という意味は、勿論、「放縦に流れる」ということではない、私は自己管理をしながら仕事を着実に進めていました。

posted at 17:48:10

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私の生活が大きく変わったのは、30才すぎに A 社に転職して、リレーショナル・データベースを日本に導入普及する仕事に就いてからです。

posted at 17:47:55

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「文学青年」ごときは、作品を創る訳でもなく──したがって、文学を職業にして、作品を創る苦しみや愉しみを味わうこともなく──、文学の愛好家にすぎない。

posted at 17:47:41

6月30日

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佐藤正美@satou_masami

30才すぎになるまで、私は、自分のやりたいことを掴めないまま、私の眼に写る社会生活が下衆(げす)いとしか思われず、社会生活になじめず、転職と無職をくり返していました。どこかで折りあいをつけなければならないとは思っていたのですが、当時の私には社会生活が低俗な茶番劇にしか見えなかった。

posted at 17:47:18

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

大学院(修士課程)を修了して就職したけれど、いったん「文学青年」気質にそまってしまうと、なかなか 素(もと)の白地になることは難しい。「そういう心は、同じて乱をなすより他に行く道がない」。

posted at 17:46:50

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

大学生の時には、学生運動が盛んだったので、大学はしばしばロックアウトされて、富山県から上京して下宿していた私は、三畳一間の部屋に閉じこもって文学書・哲学書を読み漁っていて、自分自身と和することもできず、他人と和することもできず、憤懣やるかたない状態がいっそう拍車がかかった。

posted at 17:46:36

6月30日

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佐藤正美@satou_masami

自我が目覚める青年期には、たいがいの人は こういう状態を体験しているのではないか。とりわけ「文学青年」は、こういう意識が著しいのではないか──私は、高校生になった頃から こういう状態が著しかった。

posted at 17:46:19

6月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「自分自身と和する事の出来ぬ心が、どうして他人と和する事が出来ようか。そういう心は、同じて乱をなすより他に行く道がない」(小林秀雄、「私の人生観」)。

posted at 17:45:59

2023年06月14日(水)5 tweetssource

6月14日

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佐藤正美@satou_masami

私は、そういう状態が今(70才)に至るまで続いています。そして、私は、今、ドストエフスキーの次の ことば を噛みしめています──「美、それはじつに恐ろしいものだ。それが恐ろしいのは規定することができないからである」。

posted at 18:00:45

6月14日

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佐藤正美@satou_masami

作家になる努力もしないで、文学が ただ好きだった「文学青年」の行く末なんて惨めなものです。でも、いったん、文学に取り憑かれたら、それ以前の状態には戻れない。(「文学青年」の)惨めさを知って、諦められるものではない。二度と素(もと)の白地になることはない。

posted at 18:00:21

6月14日

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佐藤正美@satou_masami

そして、作品を観て [ 聴いて ]、そういう感情を いったん 体験したら、それ以前の状態には もう戻れない、二度と素(元)の白地になることはない。

posted at 18:00:00

6月14日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏のこの文は、「芸術の存在性」を端的に表しているのではないかしら? 一枚の画(彫刻、詩、小説、音楽など)を観て(聴いて)おのおのの人がそれぞれ感情を揺さぶられ、その感情が互いに異なっていようが、その作品を共感する──そういう感情が存るかぎり、芸術は存在し続けるでしょうね。

posted at 17:59:32

6月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「画を見る為に、人々は、めいめいの喜びも悲しみを捨ててかかる必要はない。各自が各自の個性を通し、異った仕方で一枚の画に共感し、われ知らず生き生きとした自信に満ちた心の状態を創り出す。そういう心は、互にどんなに異っていようが、友を呼び合うものです」(小林秀雄、「私の人生観」)。

posted at 17:59:06

2023年05月29日(月)13 tweetssource

5月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう人たちのなかから天才が出て来て作品をのこすのでしょう、だから芸術は滅びることはないでしょうね。

posted at 17:43:23

5月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

人間として生まれてそんな事(「美」)が一番気にかかるままに じぶんの流儀を形にできないで人生を終える人たちが多いのではないか、そういう人たちは芸術家の作品を羨望・感嘆・嫉妬の入り交じった感情で眺めてきたし、これからも そういう人たちは絶えず生まれてくるでしょう。

posted at 17:43:07

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

「海が光ったり、薔薇が咲いたりするのは、誰の眼にも一応美しい、だが、人間と生れてそんな事が一番気にかかる」人(芸術家)とは、カミュ氏の ことば を借りれば、「自己の流儀で、世界を再建する」気概と感性と技術を最上に表した人ではないか?

posted at 17:42:48

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

それでも、いっちょ前に芸術について語るほどの恥知らずです──「とかく臭気(くさみ)の付(つく)族(わごぜ)に真物(まことのもの)なし」。

posted at 17:42:23

5月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「文学青年」ですら、「海が光ったり、薔薇が咲いたりするのは、誰の眼にも一応美しい、だが、人間と生れてそんな事が一番気にかかる」性質が顕著です、「文学青年」は、日常生活には無頓着なまま 自らの感性を大事にしている、でも 芸術家にはなれない 「下手気の抜けぬ未熟柿」です。

posted at 17:42:07

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

この意味では、私は「詩みたいなものを書く単なる馬鹿」です──「文学青年」と云われて、そして「文学青年」であることを気どって、作品を遂には書けなかった人たちの大方は そうでしょう。

posted at 17:41:50

5月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「私は、詩人肌だとか、芸術家肌だとかいふ乙な言葉を解しない。解する必要を認めない。実生活で間が抜けていて、詩では一ぱし人生が歌えるなどという詩人は、詩人でもなんでもない。詩みたいなものを書く単なる馬鹿だ」(小林秀雄)。

posted at 17:41:35

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

私のような程度の「文学青年」であっても、幼児の頃から感受性が強いと言われてきました、しかし芸術家にはなれなかった──芸術の技術を学んでこなかったことも一因ではあるけれど、たとえ 技術を学んだとしても、私は きっと 芸術家にはなれなかったでしょう。

posted at 17:41:17

5月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、「美」とは、、、この語、定義無し。畢竟、自らの情念に突き動かされて作品をつくる、としか言いようがないんではないか。

posted at 17:41:02

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

芸術の技術を努力して学んでも、そんな努力は当たり前のことであって、努力して芸術家になれる訳でもない。でも、このことは、芸術に限らず、およそ あらゆる分野において当たり前のことであって、芸術では特に「美」に取り憑かれた人が努力を積み重ねて天才となって作品をのこすのでしょう。

posted at 17:40:45

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

歴史のなかに燦然とかがやく天才的な芸術家の伝記を私は 多数 読んできましたが、それぞれの芸術家は おのおの 生まれ育った環境が違うし、性質(性格)も違うので、芸術家になるための一般手続きなどないでしょうね。だれもが芸術家になることを欲して芸術家になれる訳ではないでしょう。

posted at 17:40:15

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

この文は、芸術家の性質(特質)を吐露していますね。それに対する答えは、私は芸術家ではないので、推測でしか言えないのだけれど、おそらく「曰く言い難し」というしかないでしょう。

posted at 17:40:00

5月29日

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佐藤正美@satou_masami

「海が光ったり、薔薇が咲いたりするのは、誰の眼にも一応美しい、だが、人間と生れてそんな事が一番気にかかるとは、一体どうした事なのか」(小林秀雄、「私の人生観」)。

posted at 17:39:38

2023年05月14日(日)15 tweetssource

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

「人生に『意味』はない」などと悟ったふうに小賢しく言い散らして、僧の真似事をして、「如是」 などと口走らないことだね。

posted at 14:44:38

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

僧でもない──出家して修行していない──われわれは、われわれが置かれた生活の「場」で われわれ成りの「意味」を探ればいいではないか。そして、苦しんで悩めばいいではないか。

posted at 14:44:17

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

その底に至って いったい なにを得ることができるか、、、「思量箇不思量底(箇の不思量底を思量す)」、「非思量」(薬山弘道大師(禅僧))。追究しても その底なんて ないわ www. 薬山大師に突き放されただけだわ。

posted at 14:43:54

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

「如是」ということを頭でわかっていても生活のなかで実践できていないような われわれは、空念仏を唱えているだけでしょうね。そうであれば──「意味」から逃れられないのであれば──、それを徹底的に追究すればいいではないか。

posted at 14:43:26

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

「如是」(あるがまま)というのは仏教の偉大な教えだけれども、それを実感できるには並々ならぬ修行がいる、修行そのものが悟りであると実感するには(「意味」を探ろうとして精神の地獄に陥っている じぶんをも あるがままに観るには)大悟していなければ できやしない。

posted at 14:43:13

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

われわれは、対象について(われわれの外部で生起する [ 存在する ] 事態・事物、あるいは じぶん自身をも対象にして)「意味」を見つけられないとき──「『意味』を喪失したとき──、対象の「存在」を見失う。われわれが精神(知・情・意)をもっている限り、ものごと の「意味」を探るでしょう。

posted at 14:43:00

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

技術と感性が(非常に高いレベルで)相まってはじめて、対象に 直接 向かって「意味」を掴むことができる。これは なにも 芸術に限ったことではなくて、われわれの生活でも そのまま 通用するでしょう。

posted at 14:42:38

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

芸術は技能のみではないのは確かでしょう、芸術家が体験した情感(「意味」)の伝達でしょうね、しかし 「意味」を伝えるには それに ふさわしい技術がいるのも確かでしょう。

posted at 14:42:24

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、それらの技術・感性が或る程度上達したとき──非常に高いレベルに達したとき──、対象が伝える「意味」(すなわち、芸術家が体験した情感) 掴むことができるようになるのではないか。

posted at 14:41:55

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「先ず(先達あるいは手本を)真似ろ」とは 古来 言われてきたことではないか。手本を真似ているうちに、対象を描く技術を習得して じぶんの感性を養うことができるのでしょう。

posted at 14:41:41

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「個性は個性的になろうとする意志から生まれるものではない。独創的になろうと熱中しているひとは、時間を浪費しているし間違っている。そのひとに何かがやれたとしても、じぶんの好きなものを模倣したにとどまる。やればやるほど、じぶん自身とは似ても似つかぬものを生むに終わるのだ。」(ピカソ)

posted at 14:41:28

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「芸術家の最初の素材は、決して人生ではなく、つねに他の芸術作品である」(アンドレ・マルロー、「芸術心理学」)、感性も努力して獲得される才でしょうね。

posted at 14:41:09

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、「意味」は「形式」(文法、形態)に載って運ばれるという(高校生でもわかる)極めて当たり前のことを なんと 60歳を越えて はじめて 「納得」しました(実感として腹に入りました)。

posted at 14:40:53

5月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私はモデル論(事業分析・データ設計のためのモデル作成技術)を30年近く探究してきて、そして その傍ら 文学・哲学・英語を学習してきて、われわれの生活の核心は、「『意味』を伝える」ことにあると確信しています。

posted at 14:40:38

5月14日

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佐藤正美@satou_masami

「美しい自然を眺めてまるで絵の様だと言う、美しい絵を見てまるで本当の様だと言います。これは、私達の極く普通な感嘆の言葉であるが、私達は、われ知らず大変大事な事を言っている様だ。要するに、美は夢ではないと言っているのであります」(小林秀雄、「私の人生観」)。

posted at 14:39:33

2023年04月29日(土)9 tweetssource

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「思い出」 というのは、(実際の)体験の記憶でしょう、頭のなかで考えた単なる想像は「思い出」とはならないでしょう。人生を終えるときに「思い出」を豊富に持っていたいと私は願っています。

posted at 18:17:02

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は仕事が大好きです、仕事のなかで「工夫」して、巧くいったことも しくじったことも体験してきて、そういう体験こそが仕事ができなくなったときに (あるいは、引退したときに)「思い出」になるのではないか。

posted at 18:16:43

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は若い頃から他人のことには無関心であって、自己中だったのですが、年老いた今、平均寿命から云って もうのこされた年数が少ないので、いっそう 自らの才識を伸ばすことしか興味がない。

posted at 18:16:24

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

今まで学習・研究してきたことを更に一歩進めるための工夫を色々と考えていれば、よそ見する暇などないでしょう。成すべきことを為す、それだけのことです。

posted at 18:16:02

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

というか、批評される側の人は、他人の批評など聞き流して、「いつも眼の前にある物について心を砕いている」──「お前の道を進め、人には勝手な事を言わしておけ」(ダンテ)としか思っていない。

posted at 18:15:46

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

批評された側の人は、批評した人の文面から批評した人の才量を ちゃんと測っている、少なくとも私は そうです。

posted at 18:15:26

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

物に実際に衝突していない他人の批評は、──たまには、すごく良い助言になることもあるけれど、そうなるには、その他人の才識が私と同じかそれ以上でなければならない──他人の批評のほとんど多くは SNS のクソ・リプのような言いたい放題の中身です。

posted at 18:15:11

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の この文は、長年 ひとつの仕事にたずさわっていて、その仕事に対して「工夫」を重ねてきた人なら納得(実感)するんではないか。「物に衝突する精神の手ごたえ、それが批評だ」というのは、「工夫」を考える初めの一歩でしょう。

posted at 18:14:43

4月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「文化の生産とは、自然と精神との立会いである。手仕事をする者はいつも眼の前にある物について心を砕いている。批評という言葉さえ知らぬ職人でも、物に衝突する精神の手ごたえ、それが批評だと言えば、解り切った事だと言うでしょう」(小林秀雄、「私の人生観」)。

posted at 18:14:24

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