種田山頭火法師十月十一日未明松山一草庵におい
て腦溢血にて大往生いたしましたつゝしんでお通
知申上げます
松山市御幸寺一草庵
柿 の 會 https://pic.twitter.com/zcETswUkSt
posted at 13:00:00
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種田山頭火法師十月十一日未明松山一草庵におい
て腦溢血にて大往生いたしましたつゝしんでお通
知申上げます
松山市御幸寺一草庵
柿 の 會 https://pic.twitter.com/zcETswUkSt
posted at 13:00:00
1940(昭和15)年10月8日 一草庵(現愛媛県松山市御幸山御幸寺)にて 山頭火
posted at 18:08:00
夜、一洵居へ行く、しんみりと話してかへつた、更けて書かうとするに今日は殊に手がふるへる。
posted at 18:03:00
感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろ(マヽ)う、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。――
posted at 17:34:00
芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろ(マヽ)う、澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとした、うるほひが見えてゐて何かなしに人を動かす力があるのはこの心があるからだと思ふ、
posted at 16:18:00
感謝は懺悔と精神との娘である、私はこの娘を大切に心の中に育くんでゆかなければならぬ。
posted at 14:16:00
一洵老が師匠の空覚聖尼からしみ/″\教へてもらつたといふ懺悔、感謝、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道である――と思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり、精進があれば必ずそこに感謝があるべき筈である、
posted at 12:15:00
皇室――国への感謝、国に尽くした人、尽くしつゝある人、尽くすであらう因縁を持つて生れ出る人への感謝、母への感謝、我子への感謝、知友への感謝、宇宙霊―仏―への感謝。――
posted at 09:46:00
早朝護国神社参拝、十日、十一日はその祭礼である、――暁の宮は殊にすが/\しく神々しい、なんとなく感謝、慎しみの心が湧く、感謝、感謝!感謝は誠であり信である、誠であり、信であるが故に力強い、力強いが故に忍苦の精進が出来るのであり、尽きせぬ喜びが生れるのである。
posted at 08:03:00
十月八日
――晴。
posted at 07:00:00
1940(昭和15)年10月7日 一草庵(現愛媛県松山市御幸山御幸寺)にて 山頭火
〔六日,七日の日記は,それぞれ日付と内容が三回,二回と重複して書かれ,混乱している。これは書いても書いても意に満たぬ感じがするまま,繰り返して書いたものと思われる。〕(春陽堂山頭火日記(八)注記より抜粋)
posted at 18:20:00
犬から餅の御馳走になつた話、――
posted at 18:15:00
けさは猫の食べのこしを食べた、先夜の犬のことをもあはせて雑文一篇を書かうと思ふ、いくらでも稿料が貰へたら、ワン公にもニヤン子にも奢つてやらう、むろん私も飲むよ!
posted at 17:29:00
早朝和尚さんに逢ふ、――昨日はどうでした、お祭りのお小遣はありますかと言ふてくれた――勿体なし勿体なし、人には甘えないつもりだけれど、いづれまたすみませんが――とお願ひすることだらう、あゝあゝ。
posted at 17:09:00
十月七日
曇―晴。
posted at 17:06:00
感謝の生活、私は本当にそれを思ふ。
posted at 16:47:00
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町、一洵どんぐり庵へは四丁、友人もみな、親切――、すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である。私は感謝して、すなほにつゝましく私の寝床をこゝに定めてから既に一年になろう(マヽ)としてゐる。それに/\……。
posted at 16:40:00
一草庵―狭間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲場ポンプが(ママ)ある、水質は悪くない、焚物は裏から勝手に採るがよろしい、東に北向だからまともに太陽が昇る、(此頃は右に偏つてはゐるが)月見には申分がない。
posted at 16:11:00
澄太が一草庵と名づけてくれた、一木一草と雖も宇宙の生命を受けて感謝の生活をつづけてゐる、感謝の生活をしろよとは澄太の心であつたのであらう。
posted at 15:36:00
昨年一洵老に連れられて此処新居へ移つて来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅――高台で閑静で家も土地も清らかであり市街や山野の遠望も佳い――が殊に和尚さんにその人を得た。たゞ感謝あるばかりである。
posted at 14:56:00
和尚さんの温言―お祭りのお小遣が足りないやうなら少々持ち合せてゐますから御遠慮なく――とわざ/\いつて来られたのである、――温情、あゝありがたしともありがたし、
posted at 14:52:00
十月六日
晴―曇。
posted at 13:23:00
夜は防空訓練がすんだので落ちつけるとよろこんでゐたら、ぬくいので籔蚊が来襲してさん/″\だつた、でも更けて冷えてきてからはゆつくり読み書きが出来た。
posted at 12:23:00
感じた、……帰庵すると御飯を野良猫に食べられてゐた。
posted at 11:48:00
澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとしたうるほひが見えて居て何か知ら人を動かす力があるのは此の心があるからだと思ふ。
posted at 11:05:00
感謝は慥悔と(ママ)精進の娘である、私は此の娘を大切に心に育くんで行かなければならぬ、そして感謝の心で死んでゆきたい、その感謝――誠の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであらう。
posted at 10:13:00
一洵が師匠の空覚聖尼からしみ/″\と教へられたといふ感謝、懺悔、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道であるとつく/″\思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり精進があれば必ずそこに感謝がある筈だ、
posted at 09:22:00
早朝護国神社参拝、感謝慎しみの心が湧く。感謝!感謝!感謝は誠であり信である、国への感謝、国に尽くした人、尽くしつゝある人、尽くすであらう因縁を持つて生れ出る人への感謝、母への感謝、我子への感謝、友人への感謝、宇宙霊への―仏―への感謝。
posted at 08:37:00
十月七日
曇のち晴。
posted at 08:36:00
けさは猫の食べのこしを食べた、先夜の犬のことをもあはせて雑文一篇を書かうと思ふ、いくらでも稿料が貰へたら、ワン公にもニヤン子にも奢つてやらう、むろん私も飲むよ!
posted at 08:18:00
和尚さんの温言――お祭のお小遣が足りないやうなら少々持ち合せてゐますから御遠慮なく、とわざ/″\いって(ママ)来られたのである、――温情、あゝありがたしありがたし、――人には甘えないつもりだけれど、いづれまた、すみませんが――とお願ひすることだらう、あゝあゝ。
posted at 07:39:00
今日明日は松山地方の秋祭。
posted at 07:25:00
十月六日
晴―曇。
posted at 07:00:00
1940(昭和15)年10月6日 一草庵(現愛媛県松山市御幸山御幸寺)にて 山頭火
posted at 18:44:00
夜は防空訓練がすんだので落ちつけるとよろこんでゐたら、ぬくいので籔蚊が来襲してさん/″\だつた、でも更けて冷えてきてからはゆつくり読み書きができた。
posted at 18:39:00
感じた、……帰庵すると御飯を野良猫に食べられてゐた。
posted at 17:45:00
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数丁、どんぐり庵へは四丁――友人はみな親切、――すべての点に於て私の分には過きたる(ママ)栖家である、私は感泣して、すなほに慎ましく私の寝床をこゝに定めてから既に一年にならうとしてゐる、――それに、それに。――
posted at 16:47:00
一草庵―狭間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほとよく(ママ)してある、水は前の方十間ばかりのところに汲場ポンプが(ママ)ある、水質は悪くない、焚物は裏から勝手に採るがよろしい、東に北向だから、まともに太陽が昇る、――此の頃は少し右に偏つてはゐるが――月見には申分がない。
posted at 16:30:00
澄太が一草庵と名つけて(ママ)くれた、一木一草と雖も宇宙の生命を受けてひたすらに感謝の生活をつゝけてゐる(ママ)、感謝の生活をしろよとは澄太の心であつたのであらう。
posted at 14:22:00
――忘れる(マヽ)せぬ、昨年十二月十五日一洵老に連れられて此度新居へ移つて来た御幸山麓御幸寺境内の隠宅、――高台で閑静で家も土地も清らかであり市街や山野の遠望も佳い、――殊に和尚さんにその人を得た、たゝ(ママ)感謝あるばかりである。
posted at 13:25:00
和尚さんの温言――お祭りのお小遣が足りないやうなら少々持ち合せてゐますから御遠慮なく――とわざ/\いつて来られたのである、――温情、身に滲む温情、あゝありがたしともありがたし。
posted at 10:57:00
今日明日は松山地方の秋祭。
posted at 08:28:00
十月六日
晴―曇。
posted at 07:00:00
1940(昭和15)年10月5日 一草庵(現愛媛県松山市御幸山御幸寺)にて 山頭火
posted at 18:39:00
夜は防空訓練がすんだので落ちつけるとよろこんでゐたら、ぬくいので藪蚊が来襲してさん/″\だつた、――でも更けて冷えてきてからはゆつくり読み書きが出来た。
posted at 18:34:00
ゆふべ散歩して、しみ/″\したの(マヽ)もの、そして何となしにさむ/″\したものを感じた、――帰庵すると御飯を野良猫に食べられてゐた。
posted at 16:46:00
焼松茸で一杯やりたいなあ!
posted at 16:39:00
松茸が安くなつた、まだ出盛りではないけれど、下物四十銭、上物八十銭になつた。
posted at 14:56:00
お祭でも私にはお祭はない、小遣があつて気分のよい日はいつでも私のお祭である、私の食卓のまづしさは、お祭に於て、かへつてまづしさを増すのである!
posted at 14:17:00
至るところお祭前の風景、子供がさわぎまはつてゐる。
posted at 11:44:00
午前中は引き籠つて読書、午後は久しぶりに道後へ、鬚を剃り垢を落してさつぱりした、いつも一浴一杯だが、今日は一浴だけで一杯は遠慮した。
posted at 09:39:00
未明起床、早朝より空襲警報鳴りわたる、何となく落ちつかず。
posted at 08:39:00
十月五日
快晴、まつたく秋晴である。
posted at 07:00:01