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@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

Stats Twitter歴
5,179日(2010/01/24より)
ツイート数
2,481(0.4件/日)

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2017年04月30日(日)1 tweetsource

4月30日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

急変、急病、急死。病気は老化の段階に名前をつけたもの。全て急にはならない。気づかなかっただけで予定通り。必ず徐々に順調に各臓器は老化していき、どこかで予定通り症状として現れ、病気といわれる。いくら早く気がついても、その人の老化の早い臓器から順に病名がついていき、逃げ切れはしない。

posted at 17:09:33

2017年04月29日(土)6 tweetssource

4月29日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

緩和ケアは最後に行くところと多くの人が認識している。勿論嫌なことが近づいて来るのは先送りにしたいし、まだそんな状態と思いたくない。だからこそその時はバタバタするから辛そうだ。「しょうがないんだ」と思える人、嫌だけど辛くない事を選択する人は僅か。そんな人だけが緩和ケアにたどり着く。

posted at 21:35:56

4月29日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

緩和ケアは最後に行くところと多くの人が認識している。まだ大丈夫、緩和ケアの状態ではないと主治医も本人家族も思ってるが、症状は「急に」やって来る。僕らにとっては「ゆっくり」だが、知らない人にとっては「急に」なのだ。こうして緩和ケアに相談しているまなく入院になり、亡くなってゆく。

posted at 18:29:22

4月29日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

緩和ケアは最後に行くところ。痛みが出たら行くところ。殆どのの一般市民、開業医師、半分位の病院医師がそう認識している。まだ必要ないと思ってるが、症状は突然くる。治療入院になり、バタバタしているうちに延命治療になりながら亡くなっていく。だから緩和ケアにたどり着く患者さんは少ない。

posted at 15:13:58

4月29日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

死が辛そうな人
1.人は平均寿命を越えるまでは死なないと思っていた
2.身内の死を経験してない
3.辛いのに家族にもっと頑張れと言われる
4.「そんなこと言ったら可哀想だから言えない」と、家族から「ありがとう」を貰えない
5.やり残したものが沢山ある
〜がんが辛いのではない〜

posted at 06:24:19

4月29日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

死が辛くなさそうな人
1.人はいつか死ぬもんだからしょうがないと思っている
2.死から逃げない、どうしたら辛くなく生られるをか考える
3.家族に「頑張れ」と言われない
4.家族に「ありがとう」と言って貰える
5.「十分生きた」と思えるように生きてきた
〜がんが辛いのではない〜

posted at 06:23:14

2017年04月28日(金)2 tweetssource

4月28日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「本人のために」と家族が勝手に考えるのではなく、本当の事を本人に伝え、家族の希望も伝え、本人の出した希望が正解なのでは。本人がどれだけ理解してようともしてなくても。
そして、家族が自分の生活を壊さない範囲で本人の希望を支援してあげればいい。というのが私の考え方です。 twitter.com/musume21/statu

posted at 22:06:58

4月28日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

癌がなくなったらどうなるのだろう。寿命が伸びて幸せになるか。さらなる高寿命を求めて次の病気が悪者になり、これさえ治れば!と。その相手は肺炎、骨折、認知症あたり。脳が限界に達するまで生きられるようになったのだからこの辺で満足しようよ。若い人が延命出来る医療に力を注いで欲しい。

posted at 14:16:56

2017年04月27日(木)2 tweetssource

4月27日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

私は「病気のデパート」と嘆く人がいる。それも自ら望んだ道。当然、調べれば調べるほど病名は増える。病気は老化。老化は避けられない。歳をとれば必ず全ての臓器が老化するからだ。誰もが調べれば病気だらけになって死んでいく運命なのだ。調べずに死ねば「老衰」という。好きな道に進めばいい。

posted at 14:56:13

4月27日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

入院中の終末期患者に「生きがい」「気力」を求める家族、スタッフ。病院は家族にとっては「生きさせる」所だが、死を意識した本人にとっては「家族に迷惑かけないために我慢して『死を待つ所』」。死を待つ所で生きがいなんて持てるはずない。好きなように好きな場所で生きることを支援したい。

posted at 07:30:25

2017年04月26日(水)3 tweetssource

4月26日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

終末期医療。医療を中心に死に立ち向かうと必ず失敗に終わる。その人の人生は「残念でした」で終わる。一分一秒でも長生きしてもらいたいと言う家族の希望の先には満足も成功もない。治す医療から離れて「本人の願いを叶える方針」にすると、人生を成功に終える事が出来る。「ありがとう」で終わろう!

posted at 18:51:41

4月26日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

患者が死にたいと言う時、本当に死にたいのではない。死にたいくらい辛いのを家族にわかって欲しい時に言う最後の脅し文句だ。大抵こう言う時は家族が「頑張れ!」と言っている。「頑張りが足りない。鬱だ。気力がないのは弱い人間だ」と人間性否定されながら死んでいく。そんな状況は死にたい位辛い。

posted at 08:32:48

4月26日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

亡くなる数日前に「これでは癌で死ぬのではなく、餓死なのでは。点滴してあげて下さい」。多くの人は死に関してこの位の知識、理解度なのだ。死を知らないので「死にそう」な状態も当然わからない。点滴すれば元気になると信じている。信じたい。死を知らなければ延命治療にならざるを得ない。

posted at 00:44:53

2017年04月25日(火)1 tweetsource

4月25日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

人間は必ず老化する。人によって老化していくパーツの順番と年齢が違う。結果的に弱いところから先に老化する。脳が先だと認知症。心臓が先だと心臓病、肝臓が先だと肝臓病。先に老化してくるパーツを治療で持たせられれば、その分少し長く生きられる。でも治療(全ての臓器をもたせる)には限界がある

posted at 07:13:37

2017年04月24日(月)2 tweetssource

4月24日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

癌終末期患者。好きな酒やタバコを我慢させられている人がどれだけいるだろう。食べろと怒られている人がどれだけいるのだろう。「体にいいこと」を強制され、「悪いこと」は禁止される。恐らく命の長さには殆ど関与しない。むしろ「好きなようにさせてもらえないストレス」で生きる気力は減るだろう。

posted at 10:54:07

2017年04月23日(日)1 tweetsource

4月23日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

病院では医師の方針と患者の希望がずれていることが多い。心ある看護師ほど、このギャップ、ジレンマに悩む。「私のしていることは誰のための看護なのか」。患者さんのために看護師になったのに。がんばっても感謝されない現場や、嫌がる患者に処置したり。ジレンマにバーンアウトする看護師も多い。

posted at 20:11:20

2017年04月22日(土)3 tweetssource

4月22日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

一般市民は「医師はなんでも知っている」と誤解している。大きな病院にいる医師は日々勉強していないと治療の最前線にはいられない。社会性や人生経験はむしろどんな職業よりとぼしいかもしれない。そんな自分より若い医師に、必ず誰もが通る人生の最も大切な時間の使い方を全て任せて良いのだろうか。

posted at 18:07:39

4月22日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

なんでも「目的」があってそのための「方法」がある。方法が先ではない。病院での治療法はあくまで「方法」。「どう生きたいか」という「目的」がないと「方法」をいくら考えても満足出来ない。そもそも病院医師の専門は治療法。自分より人生経験のない医師に「どのように生きるか」は任せるのは酷だ。

posted at 18:07:30

4月22日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

延命治療。辛い延命治療は殆どの人が望まないが、具体的に何が延命治療なのか考えるとすごく難しい。医師だって的確に答えられる人は少ない。だから皆、延命治療のワナにはまってもがく。「医療は延命するためのもの。本人が望めばどんな治療も大切な延命治療。望まねば薬一錠でも辛い延命治療」

posted at 09:48:48

2017年04月21日(金)2 tweetssource

4月21日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

家族友達に、つねづね「ありがとう」と伝えておこう。それが自分と相手の老化に対するリスク管理。自分が愛する人に延命治療を望まないで済むための、後悔しないための最大のリスク管理。「まだ元気だから」は甘すぎる。老化は水面下で進み、突然表れる。あなたにも明日が来るとは限らない。

posted at 17:43:23

4月21日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「覚悟は出来てます」。愛する家族とのお別れに、正面から向き合わずに勝手に「覚悟」なんて無理だ。「産んでもらって育ててもらってありがとうございました」と両親の頭がしっかりしているうちに感謝を両親に伝える事が覚悟の前にしなきゃならない事。病名がついてからではなく、今でしょ。

posted at 08:18:38

2017年04月20日(木)2 tweetssource

4月20日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「『ありがとう』なんか言えない。あきらめるみたいで。それを言ったら最後になってしまいそう」。という理由で『ありがとう』は封印される。元気な時は『ありがとう』と感じない。子供からの『ありがとう』は人生最大のブレゼント。言ってもらえない方がよっぽどかわいそう。言われてる人は幸せそう。

posted at 22:58:37

4月20日

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萬田緑平@ryokuhei

「癌終末期患者にかける言葉がない」という話をよく聞く。「頑張れ」や気休めの言葉は聞き飽きた。その人の「人生」を肯定する。その人の考える「人生」を教えてもらう。その人の嘆きも自慢話もただひたすら聞く。辻褄なんかあってなくても気にしない。気の利いたアドバイスなんか必要ないと思う。

posted at 11:35:55

2017年04月19日(水)4 tweetssource

4月19日

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萬田緑平@ryokuhei

医師と子供は「生きれば生きるほどいいに決まっている」と思い込んでいる。高齢者の生活を見ればそんなことないとわかる。治療の最前線で頑張っている医師は忙しくて自分のプライベートを作るのに精一杯。高齢者どころか親や祖父母の生活も知らない。治療は医師に任せる。生き方は本人に任せるがいい。

posted at 17:10:52

4月19日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

なんとか親を自分の手のひらに乗せようとする子供は多い。喧嘩や、頑固になるもその抵抗。なんで子供の支配下に入らねばならないのか。自分だったらイヤですよね。「頑固になっちゃった」って言うけど、子供が作っているのです。子供が親に尊厳を持って接していれば、頑固親父にはなりません。

posted at 09:21:23

4月19日

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萬田緑平@ryokuhei

親が高齢になると、子供は親を支配したくなる。「面倒を見てやる」という名のもとに。
気高い親ほど当然抵抗する。そりゃそうだ。短期の記憶力が落ちるだけで、体力が落ちるだけで老人扱いされて、子供に従わなければならないなんて。「親でいる」という社会的地位までとりあげられるのは寂しい。

posted at 09:20:14

4月19日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「何歳になっても親は自分を子供だと思ってる」って、あきれたようにいうけど、当然だ。親は死ぬまで子供の事を考えている。「家に帰りたい」なんて言えない。子供に迷惑はかけたくない。子供が入院といえば従い、治療しろと言えば従う。「帰りたい」と言い出すって、よほどの事なんです。

posted at 07:29:33

2017年04月18日(火)2 tweetssource

4月18日

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萬田緑平@ryokuhei

病気は老化の段階に名前をつけているだけ。病気にならないということは老化しないという事。そんなのあり得ない。必ず病気になるのだ。「病気になって残念」ではなく「上手に老化と付き合って生きる」の方がいいのでは。アンチエイジングは「死なない」ためでなく「死ぬまでよりよく生きる」ため。

posted at 16:04:29

4月18日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

独居の方は、近所に支えてくれる友人知人がいるので一人暮らしが成り立っている。独居は「好きでしている」のであって「かわいそう」ではない。そんな人が入院すると、毎日訪ねてくれる近所の人はいないから本当に一人ぼっちになってしまう。一人暮らしの人ほど家に帰してあげたい。「かわいそう」。

posted at 07:02:03

2017年04月17日(月)3 tweetssource

4月17日

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萬田緑平@ryokuhei

「手術出来ない」は「手術しない方が元気で長く生きられますよ」と言う意味。手術なんかやろうと思えばいくらでも出来る。良心ある外科医は合併症に苦しむ患者を見るのはいや。しかし家族は「手術をしてもらえない」と不満。「手術出来ない」は諦めることではなく、より良く生きる為の賢い選択なのだ

posted at 21:51:19

4月17日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「骨折したら手術、熱が出たら抗生物質投与、食べられなかったら点滴。病院に連れて行くのが最善当然家族の義務」とほぼ100%の一般市民、医療者が信じている 。高齢者は医療のおかげで長生きしてるのではない。生命力が強いから高齢者なのだ。治療をしないという我慢は難しいが効果的なのだがなぁ

posted at 18:47:05

4月17日

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萬田緑平@ryokuhei

「病気に負けちゃだめ」「弱気になっちゃだめ」というけれど、一番頑張りたいのは困っている本人なのに余計なお世話。子供が出来ない夫婦に「子供を作ったほうがいいわよ」という無神経さと似てる気がする。どんな生き方だろうが本人の決めた生き方を支援することが本当の支援では。

posted at 08:52:12

2017年04月16日(日)1 tweetsource

4月16日

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萬田緑平@ryokuhei

15年くらいたてば「全ての治療は本人の承諾(希望)が無ければ受けられない」という状態がくるであろう。医師の「治療してあげたい」「治療すべき」。家族の「治して貰いたい」という願いより、「本人の意志」(認知症でも意志はある)を優先するべきだ。そういう時代が絶対くる。

posted at 11:19:23

2017年04月15日(土)3 tweetssource

4月15日

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萬田緑平@ryokuhei

抗がん剤治療は辛いと思われている。残念ながら治療をやめる判断は医師が決定するべきだと思われているし、本人より家族にその決定権がある事が多い。かなり本人が苦しそうにならないと治療中止の決断にはならないのだ。癌治療が辛いのではない。本人に治療中止の決定権がないから辛いのだ。

posted at 16:54:28

4月15日

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萬田緑平@ryokuhei

医療が人生の最後の砦? 実は医療で救えない人(最後までは必ず救えない)を救えるのが介護福祉、在宅ケアスタッフの醍醐味。医療に頼らず戻さず、本人の最後の生きる希望を叶えて支えれば、感謝される素晴らしい仕事だってことに気付いていない介護福祉スタッフが多い。医療の下請けじゃ無い!

posted at 08:12:29

4月15日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

@Naru20100117 「歩けなくなった」。これは「治療法がない」よりずっと本人には辛い。どんな治療より、歩くこと、歩ける環境が「生きることを支える」事になる。入院して「危ないから歩かないでね」「オムツにしてね」と言われるのは「そろそろ生きるのを諦めたらどう?」と言われているようなもの。

posted at 06:08:15

2017年04月14日(金)5 tweetssource

4月14日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

動物は歩けなくなった時が死ぬ時。病気が治っても歩けなければ死ぬ。人間の本能も同じに見える。「治療法がない」と言われても立ち直るが、歩けなくなった人は生きる気力がなくなる。「危ないから歩くな」で無く、何としてでも「歩きたいという本能」=「生きること」を支えてあげて欲しい。

posted at 21:35:06

4月14日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

地震も受験も準備が必要。癌は50%、死は100%、平均寿命より前に死ぬ確率は50%。高確率なので当たっても不幸ではないはず。むしろいつか当たるのが当然、準備が不要なわけない。 準備している人は怖がらない。準備してない人は怖い。医療(当たってから)だけでは救えない、心の準備が必要。

posted at 16:49:51

4月14日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

癌再発治療で医師の提供する情報は、治療効果(腫瘍が小さくなるか)や生存期間、副作用。患者側が知りたいのは、治療すればどんな生活になるか、根治するのか。どこまで元の生活に戻れるのか? そして聞きたくないけど「最後はどれだけ苦しむか」。病院医師には知らないので答えられない項目が多い。

posted at 13:36:32

4月14日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

どんな素晴らしい医療に頼っても必ず人は死ぬ。つまり人生の最終章に近づけば近づくほど「いい医療」は無力になり、むしろ治療、入院、我慢、、、という「辛さ」につながる。そこに気づけた人たちは人生の最終章を楽しめる。気づけなかった人たちは辛い。いや、本人でなく家族が気付くかどうかなのだ。

posted at 07:13:37

4月14日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

医師とは必ず「本人の希望を聞くだけでいいのか?」「治せる可能性のある人の「非治療」の希望を聞いていいのか?」という議論になる。本人置き去りの議論に。私は医療にこだわらない。本人の希望にこだわる。本人の希望が満たされれば、それがハッピー。特に人生の最終章に近づけば近づくほど。

posted at 07:04:20

2017年04月13日(木)1 tweetsource

4月13日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

高齢者にとって入院は海外旅行に連れて行かれるようなもの。そこでの生活は相当なストレス。言葉はわからない、会話は聞こえない、いつもいる人はいない。気温も違う。いつもの物がいつもの場所にない。生活習慣なんて全て奪われてしまう。必ず良い想いが出来ると保証が無い限り行きたくない所なのだ。

posted at 16:27:41

2017年04月12日(水)1 tweetsource

2017年04月06日(木)1 tweetsource

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