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@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

Stats Twitter歴
5,178日(2010/01/24より)
ツイート数
2,481(0.4件/日)

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2014年11月30日(日)2 tweetssource

11月30日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

幸せってなんだろう。私は幸福論を語る人種ではないが、地位や名誉や財産を目指した人は死ぬ時に幸せそうには見えない。私には。名誉や地位を讃える人達は死にそうになったら離れていく。財産にはたかりに来る。家族をかえりみずに得たものと引き換えになった家族の愛情は勿論薄い。寂しそうに見える。

posted at 21:22:05

11月30日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

幸せってなんだろう。私は幸福論を語る人種ではないが、「結婚して幸せになりたい♡」には違和感がある。多くの人生の最終章をみていると、「死ぬ時に『幸せだった』と感じられるか」が最終結論のようにみえる。私はそこを目指す。「結婚出来たから幸せだった」と言う人にはあったことがない(汗)。

posted at 21:21:58

2014年11月28日(金)1 tweetsource

11月28日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「よくなってます詐欺」。一般市民は癌の事を知らない。治らない状況でも、死に向かっている状況でも、詐欺医から癌の一部、、大きさや血液データーの推移だけを見せられ「よくなってます」と言われて喜び、莫大な治療費を継続しながら亡くなる。本人が続けるってことは満足しているからいいのかも?

posted at 21:09:51

2014年11月26日(水)3 tweetssource

11月26日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

辛くない人達
1.人はいつか死ぬもんだからしょうがないと思っている
2.死から逃げない、どうしたら辛くなく生られるをか考える
3.家族に「頑張れ」と言われない。
4.家族に「ありがとう」と言って貰える。
5.「十分生きた」と思えるように生きてきた。

posted at 22:42:14

11月26日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

死が辛い人達
1.人は平均寿命を越えるまでは死なないと思っている
2.死を知らないから逃げる。逃げれば怖いの悪循環
3.辛いのに家族にもっと頑張れと言われる
4.「そんなこと言ったら可哀想だから言えない」と、家族は本人に「ありがとう」が言えない
5.いろいろ先送りにして生きてきた

posted at 22:41:02

11月26日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「がんで死ぬのならしょうがないが、食べられなくなって死なせるのは可哀想。これでは餓死です」。「がん」で亡くなる事、「死」がどういう事かを知らない家族は死を受け止められない。こうして本人の意志にかかわらず治療が選択され、本人が「可哀想な状態」と家族が判断(諦める)するまで続く。

posted at 10:02:33

2014年11月24日(月)1 tweetsource

2014年11月18日(火)1 tweetsource

11月18日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

病院の医師は老衰を知らない。病気を見つけて治療するのが病院だから、病名がない老衰はあり得ない。歳をとれば必ず臓器は老化する。病気って殆どが老化だから、病名なんてつけようと思えばいくらだってつけられる。老化に抵抗したければ病院へ。老化を受け止めてゆるく生きたければ病院には行かない。

posted at 11:58:44

2014年11月17日(月)1 tweetsource

11月17日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

医療の進歩はどこに向かっているのだろうか。死なないことが目標、目先の延命が目標になっているのでは?。不可能を可能にしようとしているだけなのでは?
次の目標は脳の老化を早期発見して薬で治療?しようとしているみたい。
若くして病気で困る、亡くなるのが避けられるような医療がいいなあ。

posted at 12:49:23

2014年11月14日(金)1 tweetsource

11月14日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「突然、、」「この前まで元気だったのに」。おかしいんじゃない。必ず落ちる時は急にくる。安定している時期があれば必ず落ちる時期がある。みんな「今安定しているから大丈夫」と必ず来る老化の階段に対する心の準備をしない。お金の保険は十分準備するのに、最も大切な心の保険はかけない。

posted at 14:06:25

2014年11月13日(木)2 tweetssource

11月13日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「覚悟は出来てます」。親が死にそうな時の覚悟って「親の死を我慢する」ってこと?それは自分の心を押し殺すだけ。何処かで爆発してしまう。爆発しなくても不発弾として長年くすぶり続ける。覚悟より「あれもできなかった」という後悔を減らすことを考えた方がいいのでは。「ありがとう」を勧めます。

posted at 10:20:31

2014年11月12日(水)1 tweetsource

11月12日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

死を意識した高齢者は「早く治して元気になって」という言葉に疑問を感じる。どんなに治療しても良くならないのを身を持って感じているから。「病院に行きたくない」と言えば「頑固だ」「気力がない」と責められる。本人が一番わかっているのに。タイムマシンで若返らなければ元気に戻れないことを。

posted at 07:24:28

2014年11月10日(月)2 tweetssource

11月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

ラーメン屋と同じにしちゃダメ?そんなに大切なことならラーメン屋選びより病院、医師選びに時間をかけるべきでは。医師からみても「いい医師」の定義はいろいろです。シンプルに「相性」を大切にしてはいかがでしょう?
医療も任せるものではなく、利用するもの。あなたの人生のために。

posted at 21:05:56

11月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「主治医に何か言うと不機嫌になる」「こちらの言いたい事があってもいい出せない」「自分の病状を聞く時間もない」と、病院、医師に不満をもつ人は多い。確かに事実だ。しかし、そんな病院に希望して通院しているのは本人。行列の出来るラーメン屋に並んで「遅い!」「まずい!」と文句をいうのと同じ

posted at 16:25:54

2014年11月08日(土)1 tweetsource

11月8日

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萬田緑平@ryokuhei

彼女に人生で一番幸せな時間を味あわせてあげて。彼女が蒔いた全ての種が収穫出来るよう手伝ってあげて。死なないようにではなく、より幸せに生きさせてあげるかを考えてあげて。彼女のおかげで家族が再び一つになって、彼女が安心出来るようにしてあげて。あなたとあなたの家族なら出来ると思う。

posted at 21:13:43

2014年11月05日(水)8 tweetssource

11月5日

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萬田緑平@ryokuhei

⑧きちんと亡くなる準備はしましょう。その上で長生きする準備と計画を一緒に立てましょう。実は病気でない、あなたにとっても変わらないことだと思います。明日でおしまいの準備をした上で、はじめてあなたの好きなように生きられるのではないでしょうか。

posted at 21:54:39

11月5日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

⑦医師から告げられた余命は当たらないから一度忘れましょう。告げた医師の気持ち通り、あくまでも目安にしましょう。あなたの命は結構短いかもしれない。結構長いかもしれない。わからないんです。きちんと亡くなる準備はしましょう。その上で長生きする準備と計画を一緒に立てましょう。

posted at 21:53:50

11月5日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

⑥家族の望み、「1日でも長く」を目的としている医療の先には「残念でした」「かわいそうだった」となる。人生は「失敗」で終わります。「本人の望みを叶える」目的にすれば人生は「成功」で終わるのです。だから好きなように生きさせてもらえる人にとって「余命」はそんなに重要じゃなくなるようだ。

posted at 21:53:09

11月5日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

⑤本人の望みは大抵「1日でも長く」ではなく、「介護されてまで生きたくない。辛いのはイヤ」だ。そしてその望みが叶うと亡くなるその日まで話をしている事が多い。その日まで歩いている人もいる。急変も危篤と言う言葉もない。予定通りなのだし、きっと本人が望まない言葉だからだろう。

posted at 21:52:11

11月5日

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萬田緑平@ryokuhei

④我々は月に20人の看取りがある。しかし余命1日が「当たる」確率は半分以下だろう。余命1日がわからないのだから数ヶ月や半年が「当たる」わけない。「当てる」なんて失礼だろう。自宅で家族が「好きに生きていいよ」と言ってあげると本人は好きなように生きられる。

posted at 21:50:52

11月5日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

③一方、治療を承諾させる手段として余命告知が使われることも多い。「治療しなければ△ヶ月、治療すれば○ヶ月以上」。これはあなたの余命診断ではない。「このくらい違うよ」というたとえに使われているだけです。

posted at 21:50:26

11月5日

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萬田緑平@ryokuhei

②では、どうして伝えるか? それは多くの患者や家族が「医療は進歩しているので、まだまだ治療すれば死なない」と誤解したり、無理な治療を望んで命を短くしようとする。「よりよく生きて欲しいとの思いから、「そんなに長くないのですよ」という意味の目安として伝えているのだ。

posted at 21:49:57

11月5日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

①神様から余命を告げられたら、、それは残された時間なのだろう。命の診断なのかもしれない。一方医師から余命を伝えてもらったら、、その余命は命の診断ではない。医師は神ではない。余命の正確な診断方法もない。その医師の、同じような患者を診てきた個人の経験による余命予測中央値だ。

posted at 21:49:30

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