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@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

Stats Twitter歴
5,178日(2010/01/24より)
ツイート数
2,481(0.4件/日)

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2012年02月23日(木)3 tweetssource

2月23日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

看取りに際して「どうしたらいいでしょうか」と聞かれるが"経験"するしかないと思う。数十年後は自宅で亡くなる人が増え、死が今よりも怖いものではなくなると思う。逃げないで向かい合って経験して欲しい。だから未経験者の後押し、後方支援をしながら新たな経験者を増やす仕事をしている。

posted at 19:20:15

2月23日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

僕らは看取りの場面にはいないようにしている。もちろん心電図もない。家族が亡くなるということを身を持って体験してもらう。辛いけれど(バックについてますからねと)呼吸が浅くなって、、、止まって、、、それが亡くなったって事なのだと感じてもらう。それが家族で看取るってことだと思う。

posted at 19:19:30

2月23日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

僕らにとって死は人生の最終章、大切な素敵な場面だ。ドラマの最終回よりずっと素敵な場面になる。"残念ながら"という場面ではない。本人家族が死から逃げずに向かい合えるように支援できれば。多くの人にいい経験をしてもらうことのみが自宅で死にたい人が死ねる時代に(数十年計画)繋がると思う。

posted at 19:18:46

2012年02月22日(水)4 tweetssource

2月22日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

勉強仕事遊びだって全て同じく未経験は不安。いきなり経験するのは辛いだけ。死を経験している一般市民、医療スタッフは死をさほど怖がらず「私が看取ってあげたい」となる。医師も看護師も未経験の時は死が怖くて逃げ回ることもよくある。「私の当番の時に亡くならないで欲しい」と祈ることも。

posted at 19:36:09

2月22日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

現代の死は、一部の医療スタッフのみが関わり、ひっそり処理している。敗戦処理のように誰にも公開されない。「医療が力足りず残念でした」と。だから一部の医療者以外は死の経験が圧倒的に少ない。経験がないから不安、恐怖になる。だから避けようとする。なおさら恐怖になる。さらに辛いものになる。

posted at 19:35:30

2月22日

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萬田緑平@ryokuhei

家族は心電図を見ていて、その波が止まったら「死んだんですか?」とスタッフに聞き、看取りの儀式で確認してもらう。これでは死を覗いているだけの間接看取りかもしれない。途中経過も知らないから「ちょっと前まで元気だったのに」「苦し(まなかった)んだ」程度の表面的なところしか見えない。

posted at 19:16:33

2月22日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

4-50年前、自宅で亡くなる人より病院で亡くなる人が多くなった。現在は死というものは病院に任せ、危篤、看取りと最後のところだけ家族に見せる儀式となっている。家族は心電図を見ていて、その波がピコピコいわなくなったら「死んだんですか?」とスタッフに聞き、看取りの儀式で確認してもらう。

posted at 19:15:59

2012年02月20日(月)3 tweetssource

2月20日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

ギアチェンジはされるものでなく自分でするものだと思う。早いか遅いかはその人の生き方で他人には変えられない。周囲が出来るのは本当の事を話し、本人の意志がどんなに揺れようとも支援してあげることだと思う。戦いたいだけ戦えばいい。逃げたかったら逃げまくればいい。自分の心と体が納得するまで

posted at 18:15:25

2月20日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

チャンスが少しでもあればすがりたい、生きたい。もう治療は嫌だ。という気持ちで本人は揺れ動くのは当然。本人は死を受け止めているかいないかなんて、他人が判断するのは不可能失礼!。ギアチェンジはされるものでなく自分でするものだと思う。早いか遅いかはその人の生き方で他人には変えられない。

posted at 18:14:17

2月20日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

ギアチェンジ。それは「これ以上治療を続けると長生きではなく、命を縮める事になるってことに気づいてもらい、余命を穏やかに過ごしてもらいたい」という医療者側からの思い。僕もこれに必死になっていた時期があった。家族のギアチェンジは必須。本人は全てわかってる。わかっているから揺れ動くのだ

posted at 18:13:41

2012年02月19日(日)1 tweetsource

2月19日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「まだ痛くないから末期ではない。だから延命治療をしてあげるべきだ。諦めるのは可哀想」。誤解ではあるがよくある家族の気持ち。その気持ちをわかっていないと、本人のためをと思った余命告知も、治療の中止の勧めも、家族にとって「患者家族の気持ちを踏みにじられた」としか受け止められない。

posted at 20:31:35

2012年02月18日(土)3 tweetssource

2月18日

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萬田緑平@ryokuhei

命の長さより、今の生活や人生を続ける事が大事な人もいるのだが、でも医師はそんなこと認めたら、医療の価値が落ちてしまう。命の長さが一番大切という医療。それでも自分の意志(延命より大切なものがあるんです)を訴えれば病院追放になり、癌難民となるしかない。

posted at 23:31:30

2月18日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

そもそも余命診断は「治療をしなければ3ヶ月、すれば半年以上」なんて治療を勧める材料にされていることが多い。その説明は治療をする選択肢しかない。'命'を出せば患者は必ず医師の前にひれ伏す。そう、印籠として使われている。100%治せるのなら、神ならそこまでいえるだろうが。

posted at 20:45:47

2月18日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

余命。私は以前、本当のことを伝えてあげたいと余命告知をしていた。最近は聞かれないと話さない。我々は3日の余命すら当たらない。数ヶ月の余命診断なんてありえない。そもそもテストの得点を他人に予測されるのだって気分悪いのに、自分の命の予測されるなんて嫌だ。失礼だと思うようになった。

posted at 19:01:53

2012年02月16日(木)1 tweetsource

2月16日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

医師は治療することが染み付いています。治療に余裕があり人に興味がある医師が患者家族のことに目を向けられます。最前線で働きながら、緩和ケアの立場でも考えられる医師なんかほんのわずかでしょう。医師はスーパーマンでも人格者でもお医者様でもない。多くを求めすぎないでください。

posted at 14:30:49

2012年02月15日(水)1 tweetsource

2月15日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

代替医療は「必ずよくなる」「こんなに治った人がいる」と溺れるものは金の藁でもすがる医療。病院医療では「あまり悪くなってない」「よくはなっていないが、化学療法をやっていたから進行を送らせられたとも考えられる」と本人が疑問を感じていても化療を続けるお茶濁し医療(がまだある様子)。

posted at 22:33:36

2012年02月13日(月)1 tweetsource

2月13日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

死を見たことない人は、当然死に方も知らない。全部病院任せだから心電図がフラットになったら死ぬとしか知らない。だから、かなり体の状態が悪くても死を認識できない。しょうがない。知らない死だから怖い。怖いから逃げる。逃げるから更に辛くなる。世代を超えて伝わる死の恐怖の悪循環。

posted at 21:13:51

2012年02月12日(日)2 tweetssource

2月12日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

看護師、介護士が現場でジレンマを感じ閉塞感の中で仕事をしている。どうしたらいいでしょうかと自分の出すべき正解を求めてさまよっている。患者利用者の希望を叶えたいが、医師の指示は「体のため」が大優先。年を取るとその人生よりどんな状況でも長く生きさせることが優先になってしまう。

posted at 10:20:37

2月12日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

患者さんが私の呼んだ救急車で搬送された。「入院はいやだ〜なんで運ばれるんだ〜」と叫ぶ患者さんにかける言葉はなかった。妻はこのまま本人を自宅で看てあげたいと思ったが、離れた家族からの「入院させないのは可哀想」という訴えを聞かないわけにはいかなかった。「私だけの夫じゃないから(涙)」

posted at 09:55:14

2012年02月11日(土)1 tweetsource

2月11日

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萬田緑平@ryokuhei

『「延命はしないでね」と家族には常日頃言ってある』そんなんじゃ甘い。いつかその時が来て、「延命治療をしないであげてください」と言った家族は他の家族から「冷たい」と責められたり、「一回位入院させてあげないと可哀想」となる事が多い。余程仲のいい家族じゃ無いと延命拒否の願いは叶わない。

posted at 11:06:14

2012年02月09日(木)4 tweetssource

2月9日

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萬田緑平@ryokuhei

私がしなければならない事はそんな環境を否定することではない。私の話を信じてもらえれば「痛みから開放されて素敵な人生が歩めるのでは」と希望を持ってもらえるような人間に近づくことだと思う。信用してない人に「我慢しないで飲んでいいんですよ」といくら言われても効果はない。

posted at 21:06:22

2月9日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

癌が痛いと言われる原因は痛み止めを使わないからだと思う。しかし医療用麻薬を使うには障害が多い。麻薬というだけで怖いのに、看護師や薬剤師が「強い薬だから」「○×時間空けてください」という。家族には「そんなに使っていいのか?」と言われる。そんな環境では誰だって恐ろしくて使えない。

posted at 20:53:00

2月9日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

医療用麻薬を怖い薬だと思っている人、使用する恐怖より痛みを我慢する方を選ぶ人は想像以上に多い。薬の説明は薬剤師の仕事と言われるが、薬剤師の説明で医療用麻薬を使えるようになった患者は滅多にいない。。薬剤師の説明で怖くなってしまい、それをくつがえすのに時間がかかることは多々ある。

posted at 19:18:38

2月9日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

医療用麻薬を怖い薬だと思っている人、使用する恐怖より痛みを我慢する方を選ぶ人が8割位がただと思う。医療用麻薬を処方をするのが医師の役目ではない。処方したってほとんどの患者は使わない。患者が自ら痛み止めを使いたくなるような安心感と希望を与えるのが医療用麻薬を処方する技術だと思う。

posted at 19:17:05

2012年02月03日(金)1 tweetsource

2月3日

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萬田緑平@ryokuhei

医療用麻薬を怖い薬だと思っている人、使用する恐怖より痛みを我慢する方を選ぶ人は想像以上に多い。癌の痛みは痛み止めを我慢する痛みだと思う。「飲めって言っても飲んでくれない」と、むしろ本人が悪者になってしまう。いくら「飲んでいい」と言われても怖い薬だと思う本人の心は解けない。

posted at 22:01:39

2012年02月01日(水)1 tweetsource

2月1日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

頑張って欲しい。それはどんな家族も持つ当然の望み。それが本人の最大の支援だと思っている。勿論最初はそうだ。でも、いつか本人は頑張れと言われることが苦痛になる。頑張っても頑張っても「もっと頑張れ」といわれる。頑張りたくない自分を選ぶか、家族を選ぶか究極の辛い選択を迫られているのだ。

posted at 23:10:47

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