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@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

Stats Twitter歴
5,179日(2010/01/24より)
ツイート数
2,481(0.4件/日)

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2023年02月10日(金)1 tweetsource

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

施設で風邪が流行る。避けなくていい。子供は一通り感染するから免疫を持つ。病院、診療所、幼稚園、保育園、学校、、集団生活する施設の利用者と職員は風邪をひきやすい環境にあるから風邪に強い。風邪はなるべく早く貰っておこう。風邪をひかせてもらえなかった高齢者の寿命が少し短くなっている。

posted at 07:14:30

2022年02月10日(木)1 tweetsource

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

政府から製薬会社への天下り。これが世界中で政府がワクチン打たせたい理由の一つ。最近日本政府はファイザーとコロナ内服治療薬の契約をした。勝手に国民を実験台にする契約だ。世界で一番死にたくない国だから高価な風邪薬買ってくれるカモの国されてるのはしょうがない。
yakuji.co.jp/entry20454.html

posted at 10:02:57

2020年02月10日(月)1 tweetsource

2016年02月10日(水)1 tweetsource

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

医学の発展はどこに向うのか。治療はどんどん進歩し、めでたく認知症になるまで生きられる人が増え、さらに胃瘻などの治療で、食べられなくても生きながらえるようになっている。癌が治るようになったら素晴らしい時代が来るのだろうか。骨折が死に向かう恐ろしい病気と言われるのかも。

posted at 12:46:49

2013年02月10日(日)3 tweetssource

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

'いっぽ'では「緩和ケア外来」に常に在宅ケア患者と同じくらいの人が通院してます。急変しても空きベットを探す必要性はありません。通院不可能→入院のバタバタはありません。僕らが自宅に伺えばいいだけですから。入院する人は1割位です。通院期間が長ければ在宅ケアの期間が短くなります(汗)

posted at 14:07:46

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

「余命○ヶ月。治療中止と見放された。ひどい」という話が聞かれるようになった。じつは、今まではそういう患者は抗癌剤治療をズルズル継続して、抗癌剤死していたのでは?。そういう時代より、いいのでは? 「 これ以上続けると命が短くなってしまいますよ。やめておきましょう」と言ってもらえて。

posted at 09:56:04

2011年02月10日(木)2 tweetssource

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

誰だって自分の身の丈にあった、好みの洋服屋を選ぶ。医療は違うみたい。店員(医師)はお客様がどんな服を着たがっているのかも聞かずに、自分の得意の最高級の服を着せようとする。結果、お客様が脱ぎたくても脱がせてもらえず、縛りつけてでも店員の着せたい服を着させられたりしている事もある。

posted at 23:10:07

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

誰だって自分の身の丈にあった、好みの洋服屋を選ぶ。高級ブランド、流行最先端、作業着、安物、着物、、場違いの店には入らない。医療は違うみたい。大きな店に行けばいいものが売っていると勘違いしている。家族は、作業着を着たい親でも高級ブランド店に連れて行きたがる。

posted at 23:08:21

2010年02月10日(水)4 tweetssource

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

2年前、現在「緩和ケア診療所 いっぽ」小笠原先生 を一緒にやっている院長と再会し、一気に癌専門の訪問診療 在宅ホスピスケアの世界 に突入してしまいました。 私は今、楽しくこの仕事を天職だと思ってやっています。外科医として、癌診療をしてきたことが、ものすごく役立っています。

posted at 18:28:17

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

その後、外科医をやめる決心がつくまで5年かかりました。バリバリの一番いい時期の外科医でした。楽しかった。まだまだやりがいのある仕事でした。
外科医はやりたい人は、まだまだいる。しかし、癌末期で苦しんでいる人を診る人、看取る人、癌難民専門医は少ない。と思うようになった。

posted at 09:03:49

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

他の外科医仲間からすれば、そんな(亡くなる)ところに時間をかけている変な奴でした。
7年前  外科医だった私は将来ホスピス関係の仕事をと考え、群馬での緩和ケアの第一人者である、西群馬病院の副院長の斉藤龍生先生に会いに行った。ホスピス医の話しを伺いました。将来この世界で働きたいと

posted at 08:45:18

2月10日

@ryokuhei

萬田緑平@ryokuhei

僕は先輩の反対を気にせず、新米のうちから、告知しました。誰も教えてくれませんでした。余命が短いと聞かされれば、平気なわけない。辛いに決まっている。その患者の人生の終末期を背負わなきゃならなくなりました。そして、それがだんだん負担にならなくなり、当然のことと感じてきました。

posted at 08:12:41

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