で、そのあと、いったいどうなったのか?というと、どうにもなってないんですね。何者かになる必要もないし、何かを変える必要もない。あるがまま、で、即楽園です。いつも、ただぴっろい原っぱで、大の字になっている・・そんな感じですね。
posted at 22:09:38
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Stats | Twitter歴 4,512日(2011/11/22より) |
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で、そのあと、いったいどうなったのか?というと、どうにもなってないんですね。何者かになる必要もないし、何かを変える必要もない。あるがまま、で、即楽園です。いつも、ただぴっろい原っぱで、大の字になっている・・そんな感じですね。
posted at 22:09:38
まったく何にもなくなっちゃった。自分を縛っていた最後の一本の縄がやっとほどけたわけで、後にも先にも、この時の爽快感が一番気持ち良かったですね。
posted at 20:09:39
私から出てきた透明なる観念は、300観念ぐらいでした。それを一日かけて、ひとつずつ丁寧にワークしていくと、心を覆っていたどんよりとした雲が消え、どこまでも広がるような空がパッと広がりました。
posted at 18:09:38
ある意味とってもうらやましいプログラムなのですが、残念ながら、私の場合は、只の酒好きのオッサンです。それで良かったんですね。エゴがあるままで、まったく何も問題なかった。エゴが問題だという分別心こそが、問題だったわけです。
posted at 16:09:39
よくよく考えてみると、マザーテレサだって、ノーベル平和賞が欲しくて、
一生懸命努力したわけではないはず、ですよね。どうしてもやりたい、という抑えられない衝動がやってきた。そのエゴを満たすために、行動した、それが多くの人達に受け入れられ、結果的にノーベル平和賞を受賞したわけです。
posted at 14:09:40
透明なる観念を、別の言葉でいうと、「理想の人間像」ですね。いいか、よく覚えておけ。あれが理想の人間というものだ、あんな人間になれるように、おまけも一生懸命に努力するんだぞというわけです。その理想の人間の象徴が、私の場合マザーテレサだったわけです。
posted at 12:09:38
この時作った観念リストを見てみると、まるで、小学校の「道徳の時間」ですね。子どもの頃に刷り込まれた観念というのは、とても強力です。大人になっても、ずっと心の真ん中に鎮座しているんですね。
posted at 10:09:39
要するに、人間業界の常識中の常識ですね。立派な人間にならなくてはいけない、みんなに愛される人間にならなくてはいけない、自分勝手ではいけない、協調性がなければいけない、思いやりがなければいけないなどなど・・
posted at 08:09:40
見落としていたというか、これが観念だなんて思いも着かなかったんですね。
観念だと気づきにくい観念、それを私は「透明なる観念」と呼んでいます。
posted at 22:09:39
結局、自我が今の自分を否定し、もっともっと良い人間になろうと、この浄化の旅をやっていたんですね。ということは、まだまだ自己否定が残っているってことです。で、もう一度、徹底して自己否定を点検していくと、まったく見落としていた観念が続々と湧いてきました。
posted at 20:09:39
なんだ、そういうことだったのかって、もう大笑いです。さて、いったいどんな気づきがやってきたのか?それは、マザーテレサは、マザーテレサの「何々をしたい」というエゴを満たそうとしただけだった、エゴを消そうとしていたのも、またエゴだったんだということです。
posted at 18:09:38
俺は、マザーテレサのような人間には縁がないんだ。極悪非道な人間に生まれついてしまったんだって感じで、心底がっかり、です。で、嫌になっちゃって、しばらくやめちゃうんですね。不貞腐れて、酒三昧の日々を過ごしていたわけですが、ある時、バリバリ!!って感じで、大きな気づきがやってきた。
posted at 16:09:38
くっそお~ まだまだ浄化が足りんのだ!ということで、さらに一年、毎日観念浄化に取り組みました。エゴが消え去った世界は、何度か体験するのですが
しばらくすると、竹の子のように、またひょっこり顔を出してくるんですね。
posted at 14:09:39
浄化の旅に出発して一年。心が軽くなる、ストレスがなくなる、パニック発作が出なくなったなど、観念浄化の恩恵はいろいろあったのですが、あいかわらずエゴは、やる気満々なんですね。自己中心的な考えや行動は、一向に消え去る気配はなく、心が静かになった分、ますます輝いてみえるわけです。
posted at 12:09:38
この観念浄化ワークに出会った当時は、がんばって思い込みをせっせと手放していけば、マザーテレサのようにエゴがなくなって、きっと慈悲深い人間になれるはずだ、なんて思っていたわけです。
posted at 10:09:38
マザーテレサといえば、慈悲深い人、愛の人、聖者、ノーベル平和賞を受けた偉人、などなど、この人間業界では、最高級の言葉が思い浮かぶわけで、尊敬されている人や憧れている人も多いと思います。何を隠そうこの私もそうだったんですね。
posted at 08:09:41
旅のガイドブック「楽園へかえろう」をお読みいただいた方から、度々メールを頂戴するのですが、一番多いのが、マザーテレサの話に衝撃を受けたというご感想です。
posted at 22:09:39
本日は、Mさんからいただいたご質問です。「あるがままの自分」とは何でしょうか?もしエゴがあるままの自分のことであれば、そもそも浄化ワークなど必要ないのでは、と思うのですが。
posted at 20:09:39
我々一人一人は、全体の一部です。ですから、この人間業界全体が平安な世界になるには、まずあなた自身の心が平安になる必要があるんですね。幸せだ、不幸だという観念を手放せば、今この瞬間にある平安に出会うことができますので、ぜひ内観してひとつひとつ丁寧に浄化していただければと思います。
posted at 18:09:38
そもそもですよ。なんでそんなことをやらなければならないのか?答えは、シンプルです。「そうじゃない」と思い込んでいるから、ですよね。要するに、自己否定が出発点になっているわけです。だから、出発点に戻って、その思い込みを手放してやる。はい、おしまい。
posted at 16:09:39
恥ずかしながら、当時は、毎日その通りにやっておりました。で、清く正しく善良な人間になったのか?それはみなさんのご想像にお任せしたいと思います。
posted at 14:09:39
その本の最後にポジティブ用語集なるものが載っているんですね。正義、正しさ、善良、調和、友情、平和、成長、進化、などなどいろいろあるんですが、それを自分の本質だと信じて、毎日唱えると人生がどんどん良くなっていくということなんですが・・
posted at 12:09:38
この「パラドックスの法則」という教材を作ろうと思ったきっかけは、本棚にあったとても古くて、スリムな本を久しぶりに手に取ったから、なんですね。
15年以上位前に買った本だと思いますが、その当時は、精神世界にどっぷりはまっていまして「精神世界のバイブル」と呼ばれていた本です。
posted at 10:09:39
正義だ、調和だ、進化だ、平和だ、なんて言いながら、いつまで経っても、平安な世界は実現しない。それどころか、どんどん逆の方向へ進んでいるわけです。外の世界に何かを求めると、必ずその逆を体験することになる。それが、この世界の仕組みです。
posted at 08:09:41
今回お話したパラドックスは、何も「幸せ」だけじゃないんですね。ある意味、この人間業界全体がパラドックスの法則に支配されているといっても過言ではありません。
posted at 22:09:39
じゃあ、いったいどうすればいいんだよ~ということになるのですが、要するに、幸せ、不幸の条件付けを手放してしまえばいいんですね。具体的なやり方については、ガイドブック「楽園へかえろう」の中で「幸せコイン」という浄化テクニックを公開していますので、ぜひ実際にやってみてください。
posted at 20:09:39
ただ、一時的に「不幸」を忘れているだけ、なんですね。時間が経てば、必ず「私は幸せではない」という世界にいたことを思い出すことになります。これが「幸せのパラドックス」のからくりです。ぐるぐると出口のない迷路の中で遊んでいる、そんな感じになるんですね。
posted at 18:09:38
さて、ここで最も重要なポイントがあります。それは「幸せになったわけではない」ということです。
posted at 16:09:40
仕事が終わった後の一杯目のビールなんてたまりませんよね。ああ、幸せだなあ、俺はこのために生きてるんだなあ~なんて、その瞬間は、本気で思ったりするものです。女性なら、好きな人から告白されたなんてことがあったら、幸せを感じるんじゃないかと思います。
posted at 14:09:39
たまに、「不幸」を忘れるような出来事に出会うかもしれません。それを「幸せ」と呼んでいるんですね。
posted at 12:09:38
ですから「幸せになりたい」という願望を持っている人は、宇宙に向かって、「今の私は、幸せではありません」と選手宣誓しているようなものです。この宇宙には、過去も未来もなく、ずっと今しかないんですね。ですから、ずっと「私は幸せではありません」という世界の中で生きることになるわけです。
posted at 10:09:38
A子さんの「幸せになるために、不幸になる」という考えの奥には、幸せになりたい、という願望があるんですね。で、その願望のさらに奥を見ていくと
「今、私は、幸せではない」という決め付けの観念がある。ここが出発点なんですね。
posted at 08:09:40
もうお気づきの人もいると思いますが、結局のところ、得をしたいという「願望実現」をやっているんですね。その願望がある限り、どこまでいっても、最初の「得しようとすると、損をする」に戻ってくるわけで、結局、損をすることになる、とわけです。まさに、パラドックス!ですよね。
posted at 22:09:39
得しようとすると、損をする。裏を返せば、損をすれば、得をするってことだよね。じゃあ、まず損すればいいだな、って話なんですが、よくよく考えてみると、どこかおかしいですよね。
posted at 20:09:40
パラドックスとは、日本語に訳すと、「逆説」とか「逆理」という意味なんですが、わかりやすくいうと、一見正しいようだけど、よく考えてみると矛盾している話のことです。今回A子さんから頂いた質問は、まさに「幸せのパラドックス」なんですね。
posted at 18:09:38
クレタ人は、嘘つきなんだから、彼が言ったことも嘘だとすると・・クレタ人は、正直者になるから、彼も正直者になるわけで、彼が正直者だとすると、彼の言った「クレタ人は、全員嘘つき」が、本当だから、彼も嘘つきであるからして・・・考えれば考えるほど、わああ!!となりそうですよね。
posted at 16:09:39
お次は、「嘘つきのパラドックス」。クレタ島に有名な詩人エピメニデスと言う人が住んでいました。彼は「クレタ人は全員嘘つきだ。」と言いました。さて、クレタ人の彼が言った言葉は本当なのでしょうか?
posted at 14:09:38
全知全能の神なんだから、なんでも作れるはずですよね。でも、もし作れちゃったら、その石を持ち上げることができない神は、全知全能じゃないじゃないか、となるわけで・・・うーん、ですよね。
posted at 12:09:39
ぜひ一緒に答えを考えてみてください。まずは、「全能のパラドックス」
全知全能の神は、自分が持ち上げることができないほど重い石を作る事ができるか?・・さて、いかがでしょう?
posted at 10:09:38
「パラドックス」に関して質問なんですが、もし願望の逆の事が起こるのであれば、幸せになりたければ、不幸になろうとすれば良いのでしょうか?たとえば、わざと会社を辞めたり、わざとお金を浪費すると、幸せになれるのでしょうか。
posted at 22:09:39
今この瞬間は、自我が存在することができない聖域です。そこには、まったく問題というものがありません。問題があるのではなく、問題だと思っている自我がいるということです。ぜひ、これが良い、あれは悪いという善悪の観念を手放して、本当の「これでいいのだ」人生を楽しんでください。
posted at 20:09:39
すっかり消え去ってしまったことや、まだやってこない未来のことをあれこれ考えて、不安になったり、悩んだりしているわけです。要するに、自我の自作自演劇場なんですね。
posted at 18:09:38
そして、過去でも、未来でもなく、今この瞬間をしっかりと味わう。それが、宇宙と一体になって、あるがままに生きるということです。前回ゲストのピッカリさんも話していましたが、苦しみというのは、今ではなく、過去や未来にあるんですね。
posted at 16:09:39
どうあがいたって、私たち人間は、その時、その場の縁を、感じ味わうしかないんですね。過去がどうだ、未来がどうだっていったって、結局のところ、人生には、今しかないわけで・・だったら、すっかり諦めちゃったらいいんですね。
posted at 14:09:39
これでいいのだ!の本当の意味は、「出来事に、良いも、悪いもないのだ」ということです。感情と回転寿司の回で、お話しましたが、目の前に、回ってくる皿は、選ぶことができません。悲しいときには、大いに悲しみ。楽しいときには、大いに楽しみ。怒るときには、大いに怒る。
posted at 12:09:39
人間が不思議なのは、良いことには、まったく関心ないのに、悪いこととなると、なぜ起こったのか、どうすればいいのかって考えるんですね。
posted at 10:09:38
エゴを超えたリアルな世界には、良いも、悪いもありません。起こるべきことが、今も、淡々と起こっているだけです。それを自我が、これは、良いことだ、あれは、悪いことだと分別しているわけです。
posted at 08:09:39
要するに、良いも、悪いも、すべてエゴのご都合なんですね。以前番組でお話しましたけど、私は、今とても幸せなんですけど、いったいどうしたらいいんでしょうか?なんて、相談は未だに一件もありません。来るのは、すべて不幸話なんですね。
posted at 22:09:39
すると、「もちろん、それこそ大災難ですよね」というんで、「それじゃあ、人間はみんな大災難に会うために生まれてきた、ってことになりますよ」というと、さすがに「う~~ん」と黙ってしまいました。
posted at 20:09:40
すると、「災難の意味ですよ」と言うんで、なるほどなあ~と思いました。
この方は、出来事に、意味があると思っているんですね。で、こんな質問をしてみました。「死ぬことは、災難ですか?」
posted at 18:09:39
ああ、それは大事にならなくて良かったじゃないですか~というと、その方は「で、こういう災難は、どう考えればいいんでしょうか?」とおっしゃるんですね。質問の意味がよくわからないもんで、逆に、いったい何を考えるんですか?と聞いてみました。
posted at 16:09:39
以前ある方から、こんな相談がありました。車に乗っていたら、後ろから来た車に当てられてしまった。車は凹んでしまったけど、怪我はなかったんです、というんですね。
posted at 14:09:39
先程、お話しましたが、良い縁は悪い縁の縁となり、悪い縁が良い縁の縁となっているわけですから、良い縁だけを欲しがっても、そもそも、無理な話なんですね。
posted at 12:09:39
馬が逃げなければ、馬が増えることもないし、骨折しなければ、息子は戦争に駆り出されて、もしかしたら死んでいた。でも、人間のエゴは、いつも良いことだけを欲しがります。馬を逃がさずに、馬が増える方法はありませんか?みたいな相談は、山ほどあります(笑)
posted at 10:09:38
この話のように、人生いろいろありますよね。何十年も生きていると、実にいろいろなことが起こってくるわけです。でも、よくよく考えてみると、良い出来事は、悪い出来事の原因になっているし、悪い出来事は、良い出来事の原因になっているんですね。何から何まで、全部つながってるわけです。
posted at 08:09:41