善悪の観念を手放しても、ちゃんと知性、教養というものは残ります。すると、私は正しい、おまえが間違っているのだという超自我からではなく、知性と教養というところから、感情をはさまずに、わかりやすく物事を伝えることができるんですね。
posted at 22:09:38
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Stats | Twitter歴 4,512日(2011/11/22より) |
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善悪の観念を手放しても、ちゃんと知性、教養というものは残ります。すると、私は正しい、おまえが間違っているのだという超自我からではなく、知性と教養というところから、感情をはさまずに、わかりやすく物事を伝えることができるんですね。
posted at 22:09:38
私は、あんな嫌な奴じゃない、俺は、あんなことはしない、という話をよくお聞きしますが、言い換えると、あんな嫌な奴にならないように努力している、あんなことをしないように注意しているということなんですね。「ついついやってしまう自分」がいるということを自我はちゃんと知っているわけです。
posted at 20:09:39
鏡(相手)を変えることはできませんが、鏡に映る自分は変えることができます。あるがままの自分を許し認めることができれば、正面の鏡である相手も許し、認めることができるというわけです。
posted at 18:09:39
もしこの世の中に、本当に「善悪」というものがあったとしたら、すべての人間がその善悪に従えばいいわけで、戦争なんて起こるわけがないんですね。 人間業界の善悪とは、自分にとって都合が良いか、悪いかということです。
posted at 16:09:39
善悪の観念を手放したら、すべてがどうでも良くなって、大変なことになるじゃないか、という人がいますが、まったく問題ないですね。というか、逆なんですね。そもそも、争い事やもめ事は、私が正しい、こっちが善だという我見がぶつかり合って起こるんです。
posted at 14:09:40
強迫観念がなくなってくると、だんだん人間関係がシンプルになってきます。余計な付き合いをしなくなるんですね。「なんだ。友達というのも、ただのラベルだったんだ」ということに気づくわけです。ですから、人間関係のトラブルに巻き込まれることがめっきりなくなりましたね。
posted at 12:09:38
あるがままの自分を楽しんでいる人は、とてもドライというか、クールというか。人によっては、冷たいなあと感じるかもしれません。人が何を考え、何をしようが、あんまり関心がないんですね。
posted at 10:09:38
超自我が落ち、あるがままの自分に安住できるようになると、相手をそのまま放っておけるようになるんですね。ああ、この人は、そういう人なんだなあ、という感じで、その人を客観的に見ることができるわけです。
posted at 08:09:40
善悪の観念や、強迫観念で自分を縛りつけている人は、相手に対しても、自分の信念を強要し、コントロールしようとします。ですから、あっちでドンパチ、こっちでドンパチと、争い事や、もめ事が絶えることがないというわけです。
posted at 22:09:38
なぜ観念を手放すと、人間関係が良くなるかというと、人間関係は、言い換えると「自分関係」だからなんですね。まずは、自分からですね。
posted at 20:09:39
鬱やパニック、強迫性障害などの心の病や、体の不調の多くは「おーい、心のバランスが崩れてるぞ」というサインなんですね。
posted at 18:09:39
ほとんどの場合は、支配力が強い超自我が、あるがままの自分を力づくで押さえつけて、勝利する。何十年もずっとこんなことをやってるんですから、当然、どこかおかしくなってくるわけです。
posted at 16:09:39
あるがままの自分は、昔ながらのアナログで、超自我は、デジタル。そもそも、合うわけがないんですね。だから、がんがんぶつかり合うわけです。
posted at 14:09:40
真面目な人、完璧主義の人は、特に超自我が大きいんですね。要するに、善悪の観念が人生をがっちり支配しているわけです。そういう人は、~しなくてはいけない、~してはいけないという強迫観念が強いので、とても窮屈で小さな世界の中で生きています。
posted at 12:09:38
親のしつけや、学校教育というのは、みんな社会性しか重視していないので、自我がどんどん大きくなる。で、あるがままの自分は、主役の座をすっかり失ってしまったというわけです。
posted at 10:09:39
ご好評いただきました「三周年記念の大感謝祭」・・いよいよ明日31日(水)をもって終了となります。同じ道を目指す皆様と一緒にプレイできて嬉しいです。ありがとうございます! 自己超越ゲーム「三周年大感謝祭」https://www.stg.news/game
posted at 10:04:14
あるがままの自分が主役で、自我があれこれとサポートする。このバランスがベストマッチですね。
posted at 08:09:41
自我の仕事は、この人間社会で、どううまくやっていくかを考えること、要するに「世渡り」が、自我の使命なんですね。
posted at 22:09:39
相手に「嫌だなあ」と感じるのは、それが「否定している自分」だからなんですね。見たくない、あっち行け!!という感じですね。
posted at 20:09:40
相手に感じるものは、すべて自分の一側面です。自分の中にないものは、反応できないわけです。
posted at 18:09:39
「やれば変わる やればわかる 観念浄化」本当の自分は誰なのか?その答えを探している人は、本を捨てて、ぜひ浄化の旅に出発してみてくださいね。
posted at 16:09:39
私という自己を超えて、リアルな世界に出会った時「なんだ、そういうことだったんだ!」で、すべての疑問に決着が付きます。なぜ?を捨てて、探求をやめた時、真理の方が真理を教えてくれるんですね。
posted at 14:09:39
今までの逆方向へ進んでいくわけですので、最初は戸惑うかもしれませんが、そのうちだんだん楽しくなってきます。浄化ワークをライフワークにすると、どんどん幻想が消えて、やがてすべてがあきらかになる瞬間がやってきます。
posted at 12:09:38
そしてこれまで溜めこんできた意味とか、意義とか、価値とかそんな観念をどんどん捨ててみてください。
posted at 10:09:38
もし本当のことを知りたければ、灯台のサーチライトをスパッと消してしまう。
要するに、知性で探求するのを一切やめてしまうということですね。
posted at 08:09:40
知性で、真理を理解しようとするのは、灯台が灯台を照らそうとしているようなものなんですね。灯台が灯台を照らす・・なーんて一生かかってもできない話ですよね。
posted at 22:09:39
ですから「真理が真理を探してどうすんの?」ってことですね。りんごがりんごを食べることはできないし、目が目を見ることもできないわけです。
posted at 20:09:39
あなたと宇宙ではなく、あなたが宇宙。あなたと真理ではなく、あなたが真理なんです。
posted at 18:09:38
そもそもですよ。この番組を聴いているあなた自身が真理なんです。それは、あなたが信じようが、疑おうがまったく関係がありません。
posted at 16:09:40
DNAがどうのこうのと言っても、なぜひまわりは、そんなDNAになっているのか?なぜカラスは、カーカーと鳴くのか?なんてことは誰にもわからない。「それがそれである」としか言いようがありません。
posted at 14:09:40
真理は、人間の知性をはるかに超えています。なぜひまわりの花が黄色なのかなんて、100万年考えたって、わからないんですね。
posted at 12:09:38
誰かの信念を、自分の信念にしている限り、気休めにはなりますが、探求の旅は終わりません。どこまで行っても決着が付かないんですね。
posted at 10:09:39
真理については、いろいろな人があちこちでいろんなこと言っていますが、そこには、考える主体と、真理という対象があるわけで、結局のところ知性が創りだしたファンタジーの世界なんですねそうだ、きっとそうに違いない、納得、納得!と知性が言っているわけです。
posted at 08:09:40
なぜ、それが面白いのかというと、自我を持つことによって、本来なら存在しない「自分」や「相手」というものを体感することができるからだ。要するに、すべては、創造主の暇つぶしから始まったのである。なんてのが、真理だとしたらどうでしょう?俺は暇つぶしか!なんて、自我が激怒しそうですよね。
posted at 22:09:39
一なるものである創造主はとっても暇だった。まったくやることがないから、ある時面白いことを思いついた。それは、自我というプログラムを通して、全体である自分をバラバラに分割して、世界をみることだった・・
posted at 20:09:40
私の個人的な妄想としましては、創造主というのは、美的センスは抜群だけど
ブラックジョークとSMが大好きな相当の変わりものなんだなと思いますね。
posted at 18:09:38
そもそも、人間業界なんて、創造主が進化論を唱えている世界です。創造主が「創造主なんていない」なんて信じ込んでいるわけですから、何やってんだか、まったくわけがわかんないんですね。
posted at 16:09:39
全体であるあなたが、自我というプログラムを使って「人間」を体験している・・それが人生であるというのは、事実ですが、なんでそんなことやっているのかは、私にはさっぱりわかりません。
posted at 14:09:38
ひまわりの花は、なんで黄色いの?なんて、子どもに聞かれても、困っちゃいますよね。「あのね~ ひまわりの花は黄色いもんなんだよ」としか答えようがないわけです。
posted at 12:09:39
さて、JJさんの自我を持つことに何か意味があるのでしょうか?というご質問なのですが、結論から言いますと・・「わからない」、なんですね。
posted at 10:09:39
でも、この宇宙は、ひとつの現象であって、主体も客体もない。観察するものも、観察されるものもない。ですから、意味も、意義も、価値も存在できないというわけです。これは、理屈ではなく、見性することで、はっきりとわかることなんですね。
posted at 08:09:40
観察する私という主体と、観察されるお店という客体がある。そこに「意味」というものが生まれてくるんですね。
posted at 22:09:39
たとえば、行きつけの居酒屋に行ったら、店が閉まっていた。いつもはとっくに開いている時間だし、今日は定休日でもないし、いったいどうしたんだろう、何があったんだろう?とお店が開いていない理由を考えますよね。
posted at 20:09:39
意味とか価値というのは、主体があって、対象となる客体がなければならないんですね。ちょっと小難しい話になってきましたが、吉本のチャーリー浜風にいうと「きみたちがいて、僕がいる」という感じですね。
posted at 18:09:39
なぜ意味が無いかというと、私という自我を超えてしまうと、この宇宙はひとつの現象であって、どこにも中心というものがないからです。中心がないということは、主体も客体もない。もし中心というものがあれば、そこを主体として、全体を見渡せるわけですが、そもそも観察点自体がないわけです。
posted at 16:09:39
意味を探して、悶々としていたのは、答えが見つからないからではなく、意味を探していること自体に問題があったからです。
posted at 14:09:39
あれれ?なんだここは、身覚えがあるようなないような・・なんだまた家に戻ってきてしまったじゃないか。もしかして、無いものを探していたってことかいな?ちゃんちゃん♪というオチなんですね。
posted at 12:09:38
で、哲学とか精神世界なんてものが生まれてきた。で、結局どこに行き着くのか
というと、またスタート地点に戻ってくるんですね。
posted at 10:09:39
そもそも、意味も、意義も、価値も、人間が創りだしたものなんですね。たぶんそんなものがあるんじゃないの?きっとあるはずだよ、というか、ないと困るじゃん。そうだ、みんなで探してみよう!って感じですね。
posted at 08:09:41
そもそも自分の信念を手放す気がまったくないので、何を言っても聞く耳を持ってない。自己正当化する自我のやることは、実にめんどくさいわけです。
posted at 22:09:39
私もメルマガやらミクシィやらいろいろやっているので、たまにそんなメールが届きますね。私はこんな信念を持っているが、安達の言うことは、私の信念とはまったく違うものだ。おまえが間違っているのだ、そんな感じなんですけど、こういう人はどうしようもないですね。
posted at 20:09:39
相手を認めると、自分を否定することになるわけで、自分を肯定するためには、相手を攻撃する必要があるわけです。
posted at 18:09:38
人生の意味とは、こうである。人間は、何々のために存在しているのだ。これは正しくて、あれは間違っている、なんて信念を持っていたとしたら、まったく違う意見を聞くと、相手と対立しちゃいますよね。
posted at 16:09:39
たまに、安達さんの話は、いつも一貫していて、ぶれないですよね。なんて言っていただけるのですが、それは、まったく信念を持っていないからなんですね。ですから、ぶれたくてもぶれようがないわけです。
posted at 14:09:39
私がこうやって、すっかりお気楽になっちゃったのは、人生には、意味も、意義も、価値もないということがはっきりわかったからです。一生懸命に仕事をしようが、お酒を飲んで酔っ払っていようが、まったく同じことなんですね。
posted at 12:09:38
で、はっきりとわかったこと。それは、意味とか、価値とか、意義というものは、人間業界特有の観念であって、そんなものはない、ということです。
posted at 10:09:39
で、ようやくこの浄化の旅に出会って「本当の自分は誰だったのか?」ということを思い出すことができました。20年近くやってきた自己探求の旅がやっと終わったわけです。
posted at 08:09:41