“只やる”というのは、強迫する自我がいないということです。海だったら波のない凪、風だと無風、そんな感じの心の状態です。この状態ですと、浄化しようという衝動が起こってきた瞬間に、もう体が自然に動き出している。
posted at 14:09:40
ツイートの記録を停止しています
このアカウントはTwitter APIの仕様変更の影響でツイートの記録を停止しています。
記録を再開するには、Twilogにログインしてください。
Stats | Twitter歴 4,212日(2011/11/22より) |
ツイート数 32,670(7.7件/日) |
表示するツイート :
“只やる”というのは、強迫する自我がいないということです。海だったら波のない凪、風だと無風、そんな感じの心の状態です。この状態ですと、浄化しようという衝動が起こってきた瞬間に、もう体が自然に動き出している。
posted at 14:09:40
この強迫観念が創りだした意識の流れを、観念浄化に向けるのは、逆風に向っていくのと同じことですから、相当大きなエネルギーが必要になってきます。
その結果、できない、やらない、ということになるんですね。
posted at 12:09:39
Tさんの場合は、観念浄化をしなければいけないという強迫観念があるんですね。すると、観念浄化以外のことに意識が集まります。で当然ながら、浄化以外のことをやってしまう。
posted at 10:09:38
「強迫観念」の強迫という文字は、「強く迫ってくる」と書くんですが、~してはいけない、~しなければいけないという思い込みのことです。強迫観念を持っていると、その“逆”の事に意識が集中します。隠さなければいけない、という思いが強ければ強いほど、ますます、バラしたくなるわけです。
posted at 08:09:41
人生上昇塾のモットーは「やれば変わる やればわかる 観念浄化」です。
できないのなら、できるまで。わからないのなら、わかるまで。この当たり前を、当たり前にやった人だけが幻想の雲を突き破って、リアルな世界に出会うことができるというわけです。
posted at 22:09:39
たまに、いったいどれ位やれば見性できますか?なんて質問をいただくのですが、よくよく考えてみると、おかしな話なんですね。自転車で考えてみてください。どれ位やれば、自転車に乗れますか?答えは、はっきりしてますよね。
乗れるまで、です。
posted at 20:09:42
当然ながら、何も変わらないし、何も腑に落ちてないわけで、そんなことにならないように、これだ!と決めたら、そのツールをとことん使い倒してみていただきたい、と思います。
posted at 18:09:39
道具箱を開けると、無料のものから、50万のものまで、いろいろなツールがぎっしりしまってある。でも、結局のところ使いこなした道具なんてひとつもないんですね。道具は山ほどあるが、何も作ったことがなかったんですね。
posted at 16:09:39
この自我の言葉にやられちゃいますと、世の中にはワークやツールなんて、星の数ほどありますから、試しては、次、試しては次、とまったく切りがありません。私もこの浄化ワーク出会う前は、それは立派なツールコレクターでした。
posted at 14:09:40
この旅の注意点は、自我のつぶやきに巻き込まれないこと。こんなにやったのに、思ったような効果がないとか、教える人間が悪いんじゃないかとか。もっと速くて、楽な方法があるんじゃないかとか、なんやかんやと好き勝手言ってくると思いますが、右から左へ聞き流して、決して相手にしないことです。
posted at 12:09:39
まず頭で理解して、納得したら実際にやってみようか、なんて人がいるのですが、これは順序が逆ですね。本当の理解というのは、必ずあとからやってきます。実際に歩いてみなければ、風景は変わらないですから、まずやってみることです。
posted at 10:09:38
ですから、私がお話していることを腑に落としていただくには、私が見ている風景を、実際にご覧いただくしか方法がないんですね。
posted at 08:09:41
青く澄んだ空に、うろこ雲が東へ流れていて、下を見ると、真ん中に大きな川があって、その川の下流には工場があって、なんて、どれだけ適切な言葉を並べてみたところで、実際の風景を相手に伝えることはできない。
posted at 22:09:39
そこまできて、やっと「腑に落ちた」んですね。とても不思議な話なんですが、浄化の旅が終わったことで、なんのために観念浄化をやっていたのかということを、本当に理解した、というわけです。山頂からの風景は、山頂に登ってみなければわからない、ということなんですね。
posted at 20:09:42
今こうやって振り返ってみますと、エゴがエゴをなくそうなんて、なんてことをやっていたわけで、まったく自我満足の旅だったんですね。ようやくそのことに気づいて、浄化ワークを再開し、ついに観念の雲を突き破る時がやってきた。見渡す限り、何にもない。幻想を超えたリアルな世界です。
posted at 18:09:39
でもいつまで経ってもエゴはなくならない。やってもこける、やってもこけるで、とうとう嫌になっちゃうんですね。いままでの浄化効果も、たまたまだったんじゃないかこんなことやっても、まったく意味がないんじゃないかということで、信用が、またぐるんと疑念にひっくり返る。
posted at 16:09:39
でも実際に試してみると、あら不思議?なんだかわからないけど、心がすっかり軽くなっているし、毎日出ていたパニック発作が一カ月もやってこない。
もしかして、すごいものを見つけちゃったのかも?そんな感じで、疑念が、だんだん信用に代わっていくわけです。
posted at 14:09:40
私がやってきた浄化の旅も、この自転車の話と同じようなプロセスを通ってきたんですね。まず、疑念から入ったんですね。こんな簡単な方法で、心の病が治ったら医者なんていらないじゃないかというわけです。
posted at 12:09:39
やっぱり二つの車輪で走れるわけがない、きっとなにかトリックがあるはずだ。俺はあいつに騙されたんだ、なんてことになっちゃうわけで。またまた信用が、疑いにひっくり返っちゃうわけです。せっかくもう少しで、腑に落ちるところなんですが。実にもったいない話です。
posted at 10:09:39
で、見よう見まねで、乗ってみると・・最初は、必ずこけます。気を取り直して、再チャレンジしてみると、またこける。くそお~負けるもんかと奮起しても、またこける。自我的には、まったく面白くないわけです。で自分を正当化するためにいろいろな理由を考え出すんですね。
posted at 08:09:40
自転車教団の信者になっただけで、本人は何も変わっていない。まだ、自転車が自分の外側にあるんですね。じゃあ、腑に落とすためには、どうしたらいいのか?実際に自転車に乗ってみる、それしかありませんよね。
posted at 22:09:39
さすがに、これは信じないわけにはいかないなということになる。やっと自転車というものがわかったぞ!いやあ~ほんと、この乗り物はすごいなあ、となるわけですが、よくよく考えてみると、はじめの疑いが、信用に、ひっくり返っただけなんですね。
posted at 20:09:45
そこで、自転車を持ってきた人が、理屈を説明する。車輪とペダルの関係やら推進力がどうのこうのとやるんですが、なんとなくわかるようで、まだまだ信じられない。じゃあ、実際に私が乗ってみましょうかということで、説明していた人が自転車の乗って見せるとびっくりするんですね。
posted at 18:09:38
例えば、外国からはじめて自転車という乗り物が入ってきた。タイヤは、たった二つしか付いてない。こんなものが走るわけがないじゃないか、絶対倒れるはずだと思うんですね。最初は、大いに疑っているわけです。
posted at 16:09:39
さて、「腑に落ちる」とは、いったいどういうことなのか?ということになるんですが、「腑」という文字は、はらわたと書きますよね。要するに、自分の外側にあった概念や理屈が消えて「自分とひとつになった」ということなんですね。
posted at 14:09:40
以前番組の中でお話しましたが、言葉は、すべて観念であり、概念や理屈は、方便なんですね。ですから、私の話を知性では、なんとなく理解することはできても「腑に落ちる」ということはないわけです。
posted at 12:09:39
なくなったのは、「支配」ですね。いままでの人生は、常識やモラルが支配人で、私は使用人だったわけですが、その支配権が逆転したんですね。常識はあるが、常識に使われることはない、ということです。
posted at 10:09:39
たまに、観念浄化なんてやちゃうと、常識やモラルがなくなっちゃうんじゃないかと心配される人がいますが、そんなことはまったくないですね。こんなお気楽な人間ですが、常識もモラルもちゃんと残っています。
posted at 08:09:41
温泉に入っている人が、温泉に入りたいなあ、思うでしょうか?そんな人いませんよね。それと同じで、本当にあるがままの自分を生きている人は「あるがままの自分」という言葉を持っていないんですね。今の自分が実際にそうなんですから、当たり前の話です。
posted at 22:09:38
わかりました、あるがままに生きればいいんですね、という人がいるんですが
あるがままの自分、というのも実は観念です。観念を書き換えても、結局「あるがままの自分」という観念に縛られ、強迫されることになるんですね。
posted at 20:09:42
私もそうでしたが、大半の人がこのままではダメだ。もっと良くなろう、もっと良くしようという観念に強迫されて生きているんですね。
posted at 18:09:40
でも、それはまだ自我が小さな子どもであれば・・の話です。先程、お話したとおり、私たち大人は、人間社会の常識という共有観念に、すっかり洗脳されているんですね。ですから、このままでOK,あるがままでいいんだ、なんて到底思えないはずです。
posted at 16:09:39
さて、Mさんからいただいたご質問のもしエゴがあるままの自分のことであれば、そもそも浄化ワークなど必要ないのではないかと思うのですが・・ということですが、まったくその通りですね。
posted at 14:09:40
で、そのあと、いったいどうなったのか?というと、どうにもなってないんですね。何者かになる必要もないし、何かを変える必要もない。あるがまま、で、即楽園です。いつも、ただぴっろい原っぱで、大の字になっている・・そんな感じですね。
posted at 12:09:40
まったく何にもなくなっちゃった。自分を縛っていた最後の一本の縄がやっとほどけたわけで、後にも先にも、この時の爽快感が一番気持ち良かったですね。
posted at 10:09:38
私から出てきた透明なる観念は、300観念ぐらいでした。それを一日かけて、ひとつずつ丁寧にワークしていくと、心を覆っていたどんよりとした雲が消え、どこまでも広がるような空がパッと広がりました。
posted at 08:09:41
ある意味とってもうらやましいプログラムなのですが、残念ながら、私の場合は、只の酒好きのオッサンです。それで良かったんですね。エゴがあるままで、まったく何も問題なかった。エゴが問題だという分別心こそが、問題だったわけです。
posted at 22:09:40
よくよく考えてみると、マザーテレサだって、ノーベル平和賞が欲しくて、
一生懸命努力したわけではないはず、ですよね。どうしてもやりたい、という抑えられない衝動がやってきた。そのエゴを満たすために、行動した、それが多くの人達に受け入れられ、結果的にノーベル平和賞を受賞したわけです。
posted at 20:09:41
透明なる観念を、別の言葉でいうと、「理想の人間像」ですね。いいか、よく覚えておけ。あれが理想の人間というものだ、あんな人間になれるように、おまけも一生懸命に努力するんだぞというわけです。その理想の人間の象徴が、私の場合マザーテレサだったわけです。
posted at 18:09:39
この時作った観念リストを見てみると、まるで、小学校の「道徳の時間」ですね。子どもの頃に刷り込まれた観念というのは、とても強力です。大人になっても、ずっと心の真ん中に鎮座しているんですね。
posted at 16:09:39
要するに、人間業界の常識中の常識ですね。立派な人間にならなくてはいけない、みんなに愛される人間にならなくてはいけない、自分勝手ではいけない、協調性がなければいけない、思いやりがなければいけないなどなど・・
posted at 14:09:40
見落としていたというか、これが観念だなんて思いも着かなかったんですね。
観念だと気づきにくい観念、それを私は「透明なる観念」と呼んでいます。
posted at 12:09:39
結局、自我が今の自分を否定し、もっともっと良い人間になろうと、この浄化の旅をやっていたんですね。ということは、まだまだ自己否定が残っているってことです。で、もう一度、徹底して自己否定を点検していくと、まったく見落としていた観念が続々と湧いてきました。
posted at 10:09:38
なんだ、そういうことだったのかって、もう大笑いです。さて、いったいどんな気づきがやってきたのか?それは、マザーテレサは、マザーテレサの「何々をしたい」というエゴを満たそうとしただけだった、エゴを消そうとしていたのも、またエゴだったんだということです。
posted at 08:09:41
俺は、マザーテレサのような人間には縁がないんだ。極悪非道な人間に生まれついてしまったんだって感じで、心底がっかり、です。で、嫌になっちゃって、しばらくやめちゃうんですね。不貞腐れて、酒三昧の日々を過ごしていたわけですが、ある時、バリバリ!!って感じで、大きな気づきがやってきた。
posted at 22:09:39
くっそお~ まだまだ浄化が足りんのだ!ということで、さらに一年、毎日観念浄化に取り組みました。エゴが消え去った世界は、何度か体験するのですが
しばらくすると、竹の子のように、またひょっこり顔を出してくるんですね。
posted at 20:09:42
浄化の旅に出発して一年。心が軽くなる、ストレスがなくなる、パニック発作が出なくなったなど、観念浄化の恩恵はいろいろあったのですが、あいかわらずエゴは、やる気満々なんですね。自己中心的な考えや行動は、一向に消え去る気配はなく、心が静かになった分、ますます輝いてみえるわけです。
posted at 18:09:39
この観念浄化ワークに出会った当時は、がんばって思い込みをせっせと手放していけば、マザーテレサのようにエゴがなくなって、きっと慈悲深い人間になれるはずだ、なんて思っていたわけです。
posted at 16:09:40
マザーテレサといえば、慈悲深い人、愛の人、聖者、ノーベル平和賞を受けた偉人、などなど、この人間業界では、最高級の言葉が思い浮かぶわけで、尊敬されている人や憧れている人も多いと思います。何を隠そうこの私もそうだったんですね。
posted at 14:09:40
旅のガイドブック「楽園へかえろう」をお読みいただいた方から、度々メールを頂戴するのですが、一番多いのが、マザーテレサの話に衝撃を受けたというご感想です。
posted at 12:09:38
本日は、Mさんからいただいたご質問です。「あるがままの自分」とは何でしょうか?もしエゴがあるままの自分のことであれば、そもそも浄化ワークなど必要ないのでは、と思うのですが。
posted at 10:09:39
我々一人一人は、全体の一部です。ですから、この人間業界全体が平安な世界になるには、まずあなた自身の心が平安になる必要があるんですね。幸せだ、不幸だという観念を手放せば、今この瞬間にある平安に出会うことができますので、ぜひ内観してひとつひとつ丁寧に浄化していただければと思います。
posted at 08:09:40