80年代は「ゲーセンは悪」と言われており、それに苦しんだ若いプレイヤーはゲーメストとコインジャーナルが主催した「懸賞論文」にその悩みをぶつけてきていた。それは記録として残っており貴重な資料だと思う。
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80年代は「ゲーセンは悪」と言われており、それに苦しんだ若いプレイヤーはゲーメストとコインジャーナルが主催した「懸賞論文」にその悩みをぶつけてきていた。それは記録として残っており貴重な資料だと思う。
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この「ゲーセンは悪」という考えも問題だが、80年代はそれが簡単に「ゲームは悪」という形に転じていた。そんな話を知人から聞かされたばかり
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retweeted at 19:57:29
「ゲーセンは悪」が「ゲームは悪」に転じたのかどうかは検証が必要な話ではなかろうかとは思うが、まあ
posted at 20:00:51
「ゲーセンは悪」には実態として、ゲーセンは悪な、この場合は「正道からドロップアウトした」人々が流れ込んだ場であったという論点があり、「漫画は悪」などと通ずる大衆娯楽一般悪論の延長上の「ゲームは悪」とは性質が違う話ではあったろう。
posted at 20:01:55
(もちろん大衆娯楽悪論も、天下国家立身出世主義的な正道から外れるから悪だというのが基本的な軸なわけだから、密接に地続きになっているのは言うまでもないことだが)
posted at 20:03:45
もちろんゲーセンはそこまで裏社会的意味で「ディープな」場ではなくて、中途半端な淡いの場ではあったわけだけれど……雀荘と地続きではあっても、思えばいわゆるゲーセンはギャンブルの場ではなかった、ギャンブル系ゲームには固有の場(念頭は当然パチスロ)があり、それ以外のセンターだから、か。
posted at 20:08:56
(もちろん実態としては個別にスロット台なども置いていたところはあったろうし、パチスロもスロットゲームセンターとか言われたりするわけだが)
posted at 20:10:55
@nayuta77 >賭博は悪から
賭博の話をまさに書いていたところでしたが、賭博つまり金が戻ってくるものでないようなものがいわゆるゲーセン像の主軸になったものなわけじゃないですか。(まあそこで「ゲーセン」に入ってきて中興した「異分子」がプライズゲームだったわけですが……w)
posted at 20:13:51
@nayuta77 >基本的に身体的でない勝負事に情熱を向けるのは
何故ゲーセンにうらぶれた人々が集まったかというのがまさに、「正道的」でない、身体的でなく成否・勝負が決まる娯楽だったから、ということかと思います。付け足して言えば、ソロプレイができるので社会性がなくてもよかった。
posted at 20:16:13
この淡いの雰囲気がゲーセンに独特だったもので、文化セクターで言えば「不良」と「オタク」の中間的な領域が宿る場だったわけだけれど、思えばこういう淡いの領域はテキ屋(・紙芝居屋)辺りから語り起こせるものかもしれないな。
posted at 20:21:07
@nayuta77 正道つまりレギュラーな社会的キャリア観に対する脅威に働くという意味で文脈を共有し、実際に媒体を同じくすることが多々あると言えど、別な領域があるとして扱うべきでしょう。投機や高級賭博は現に社会的成功と密接に絡んでいるわけですし、ギャンブル概念は別にその特質と一帯不可分ではないです。
posted at 20:29:39
@nayuta77 (今回の話題で言えば特に、ゲーセン的ゲームに血道を上げてきたような人々は、「賞金すら出ない、社会的に完全に無駄なもの」に血道を上げる(ヤクザなどから見ても)異常な人々、であって、だから裏社会そのもの的ですらない淡いの領域にあったわけですよね)
posted at 20:31:57
@nayuta77 一応ゲーマーですから、いわゆるギャンブルといわゆるゲームは連続的なものだが違う、と言わなければならないと思ってきたし、一般社会からも金という共通基準で図れる=合理化し得る一時の娯楽、狂騒であるギャンブル、とは異なるゲーム固有の価値を考えねばならないと思ってきたというのはあります。
posted at 20:34:47
RRRの政治性とかについて云々言いたい人が、そこにあるものの所属を「インド」という一語・一色で語っていると、それでもうダメ感
posted at 20:41:15
@nayuta77 実態としては、「アニメ・漫画も巨大産業だ」「ゲームも産業として金になる、プロゲーマーという生活がある」という筋で、金と成功という共通基準によりどの看板も社会に居場所を得ていきましたね。(そしてまた、「何故プロにもならないのにわざわざゲームなんてやるのか」という話型に変形していく)
posted at 20:48:36
"『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』の監督が、イースターエッグ、舞台裏の秘密について語った"
"ジョン・フランシス・デイリーとジョナサン・ゴールドスタインが、削除シーン、キャストとのD&D、影響を受けた作品、アクションシーンなどを語ります!"
https://collider.com/dungeons-and-dragons-movie-directors-john-francis-daley-jonathan-goldstein-interview/…
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retweeted at 21:04:39
逆に、船を返してネヴァーウィンターに向かう決断をエドガンが下すのに、もう少し時間をかけていた。
キーラ「え?戻らないの?」
エドガン「いやいや、他のに対応できるヒーローがあの街にいくらでもいるだろ?」
という会話などが観客に響かなかったので、短く英雄的な言動に撮り直した。 https://pic.twitter.com/kUfB6EZmqq
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retweeted at 21:04:44
それはhonorがないなw
posted at 21:05:02
あの映画でタイトルのhonorの話をするなら、ヒーローたらんと努めたが道を外れて盗賊になった男がヒーローに戻った、という話だから「honor among thieves」、盗賊という境遇に囲まれながらも残っていた名誉・道義心、ではあっても「アウトローの誇り」ではないよな……とは思っていた
posted at 21:10:05
でも宝をバラ巻いて庶民に分け与えること自体は「アウトローの誇り」だよね。まあ盗賊に堕ちたエドガンの旧盗賊団も「庶民には手を出さない」という「アウトローの誇り」を有していた(少なくとも評議員の前では主張していた)わけではあるけれど……
posted at 21:12:45
「──だが今は違う!」がK2にミーム汚染されているのを内に感じた
posted at 23:50:25