こうして、「神に服従すること=僧侶への服従」となってしまい、僧侶のみが人間を救うことができるという、バカバカしいお話ができあがるわけです。僧侶のような組織を持つ社会では、「罪」というものが必ず必要になります。彼らは「罪」を利用して力を振るうからです。(続く)
posted at 23:21:43
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こうして、「神に服従すること=僧侶への服従」となってしまい、僧侶のみが人間を救うことができるという、バカバカしいお話ができあがるわけです。僧侶のような組織を持つ社会では、「罪」というものが必ず必要になります。彼らは「罪」を利用して力を振るうからです。(続く)
posted at 23:21:43
設備も人員も、新設には金がかかる。そこに群がる介護業者には事欠かない。新たな利権が生まれる。(『わたしのリハビリ闘争』多田富雄) http://amzn.to/XcjG57
posted at 21:21:37
スーパーリアリズム。/Yolk - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=A0D4ARaHNOg…
posted at 19:33:38
理念も科学的根拠もなしに、日数だけで患者を振り分けて、とりあえず介護保険に誘導する。それに必要な高額な予算は、新規事業として認める。介護予防の二の舞になりかねない。(続く)
posted at 19:21:32
シンクロナイズド転倒。 https://pic.twitter.com/2XIEqAbBSx
posted at 18:39:58
リハビリの専門知識もなしに始めたこの事業は、瞬く間に馬脚を現し、見事に失敗した。施設は今閑古鳥が鳴いて、高額な装置は埃をかぶっている。リハビリ医学の常識を無視した施策は、税金を使って業者を潤わせただけの事業となった。(続く)
posted at 17:21:27
非公開
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殉教者。 https://pic.twitter.com/ZzV74JAOCp
posted at 16:03:09
思い出すのは、業界と結びついて厚労省が行った「介護予防事業」である。介護予防は、民間の団体が補助金を湯水のように使って、高額な機器をそろえ、要介護度の低い老人を無理やり一堂に集めて、「パワーリハ」と称する健康体操まがいの指導をした。(続く)
posted at 15:21:20
宗教の区別という意識がなくて、本当の宗教的実践をしている人を尊ぶということです。(『ブッダ入門』中村元〈なかむら・はじめ〉) http://amzn.to/REnwhD
posted at 13:21:17
元気印。 https://pic.twitter.com/OtlvhsSqxU
posted at 11:38:52
――のちに、これを釈尊の言葉として、あるいは初期の仏教徒の言葉として、あまねく願わしいこととして認めた。仏教という狭い領域を限って、仏教の教えに従っている人は尊崇するけれども、他の人は顧みないというのではない。(続く)
posted at 11:21:12
その人がジャイナ教徒であるか、仏教徒であるか、アージーヴィカ教徒であるか、そういう区別はあまり問題にしなかった。本当におのれの身を修めているかどうか。それが問題なのですね。そういう人であれば尊崇する。(続く)
posted at 09:21:06
朝もや。 https://pic.twitter.com/tfA1bCtiWQ
posted at 08:22:09
そういう人々をヴァッジ人は尊敬しているかどうか。宗教の区別は問題ではないのです。区別の意識さえなかったでしょう。ただ、静かにじっと瞑想したり修行をしたりしている人がいれば、その人を尊ぶということです。(続く)
posted at 07:21:03
ブッダは仏さまで、アルハットは阿羅漢、つまり小乗仏教の聖者だと使い分けるようになったのです。これは後代の発展です。ジャイナ教では、古い意味をそのまま残していて、アルハットというのはジナのことで、ジナはまたブッダとも呼ばれています。(続く)
posted at 05:21:01
それからジャイナ教でも、ジナ(祖師)がアルハットと呼ばれています。だから初期のころには、仏教もジャイナ教も同じ意味で「アルハット」といっていたのですね。後世になると、仏教では、ブッダとアルハットを区別するようになりました。(続く)
posted at 03:20:56
いま「真人」と訳しましたが、もとの言葉は「アルハット」です。一般には音を写して「阿羅漢」といいます。敬われるべき人、あがめられるべき人、尊敬に値する人という意味です。だからどの宗教でもいいのです。仏教では、仏陀の称号の一つとして「アルハット」といいます。(続く)
posted at 01:20:52
翌日、母があやまりにいって、靴をとってきた。秋山(和慶)も、斎藤の怒りに腰が抜けるようになって動けなくなったことがある。(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉) http://amzn.to/GMjfrH
posted at 23:20:49
斎藤宅でまだ指揮のレッスンのあったころ、小澤征爾は斎藤の怒りに靴もはかずに飛び出し、そのまま裸足で家に帰った。オーケストラの雑用をひとりでかかえ、指揮の勉強もままならないころだった。(続く)
posted at 21:20:47
蜂が刺しても、それを払うと叱られる。そんなことに気を散らしてはいけない、と。(『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』財団法人民主音楽協会編) http://amzn.to/REmQsD
posted at 19:20:43
アラビック・カリグラフィ その四。 https://pic.twitter.com/dEBLbuuzBu
posted at 17:37:52
にもかかわらず、アサーフは明らかに拷問された揚げ句、20発以上の弾丸で、身体を穴だらけにされたのだった。(アブドゥルハミード・ハルティー、34歳)『シャヒード、100の命 パレスチナで生きて死ぬこと』アーディラ・ラーイディ http://amzn.to/T3RHAT
posted at 17:20:39
アラビック・カリグラフィ その三。 https://pic.twitter.com/W6LFraznbY
posted at 15:34:40
もう片方の手と腕とあごの骨は折られ、身体じゅうあざだらけだった。両手首の傷は、彼がきつく縛られていた証拠だった。その晩その地域で、イスラエル兵との衝突は1つも報告されていない。(続く)
posted at 15:20:35
アラビック・カリグラフィ その二。 https://pic.twitter.com/kmh32bCRu7
posted at 13:51:35
2001年1月7日、彼の遺体はネツァリーム交差点の近くで見つかった。前夜11時に父親の家を出たのちの彼の行方は分からない。翌朝、遺体が発見されたとき、片手の指はすべて切り落とされ、親指がかろうじてぶら下がっているだけだった。(続く)
posted at 13:20:31
インティファーダが始まるとアサーフ(※アブドゥルハミードの愛称)は緊急医療チームに志願し、ほとんどの時間を負傷者の救助や彼らの看病に費やすようになった。(続く)
posted at 11:20:30
アラビック・カリグラフィ。ドン・キホーテだろうか? https://pic.twitter.com/p91fOECpOm
posted at 10:40:39
非公開
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一気に煽ると強烈なアルコールが胃壁にぶつかってくるのが分かる。(『終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉) http://amzn.to/T3RzRT
posted at 09:20:26
バルカンのホスピタリティーを凄いと思うのはこういう時だ。貧窮極まる難民の家庭で幾度もてなされたことか。しかし、それが彼らにとっての尊厳なのだ。こういう時はありがたく頂く。(続く)
posted at 07:20:23
そして客人にはまずこれを、と自家製のラキヤ(梅で作ったブランデー)を取り出しグラスに注いだ。(続く)
posted at 05:20:17
「朝昼晩とこればかりなのよ。でも肉は身体が温まる。飢えと寒さにはこれが一番」
posted at 03:20:12
家に上がれと言うのでバラックの中にお邪魔する。台所に腰掛けて改めて話を聞いた。流しの上にはジュース一本と豚肉のペーストの小さな缶詰が三つ。(続く)
posted at 01:20:11
『荒野の庭』言葉、写真、作庭 丸山健二(求龍堂、2005年) http://amzn.to/T3Rxd1
posted at 23:20:09
制約の一生で終わってもいいのか。道徳、法律、ありとあらゆる規則。その他、ろくでもない諸々の不文律。あなたはそんなものに振り回され、過剰に適応して生きてきたのか。それで生きたと言えるのか。胸を張って言えるのか。(続く)
posted at 21:20:07
モルモン原理主義者の信奉者たちは、自分たちは宗教上の義務として一夫多妻制を実践していると説明しているのである。(『信仰が人を殺すとき』ジョン・クラカワー) http://amzn.to/1uh3dNh
posted at 19:20:02
モルモン原理主義者は、現代のモルモン教徒とちがって、聖徒には複数の妻をめとる神聖な義務があると本気で信じこんでいるのだ。(続く)
posted at 17:19:58
空間的に果てがなく、時間的にはじまりも終わりもなく、創造主の出番のない宇宙。(「序」カール・セーガン)『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』スティーヴン・ホーキング http://amzn.to/T3RmhN
posted at 15:19:53
彼自身、明確に述べているように、彼は神の心を理解しようとくわだてたのである。この努力から導かれた結論は少なくともこれまでのところ、まったく予想外のものだった――(続く)
posted at 13:19:52
恐るべきアンバランス。視覚は騙される。 https://pic.twitter.com/xWv8L9Lr1q
posted at 12:58:55
これはまた、神についての書物でもある――ひょっとすると、神の不在についての本かもしれないが。いたるところに神ということばが現われる。宇宙を創造するとき、神にはどんな選択の幅があったのか、というアインシュタインの有名な問いに答えるべく、ホーキングは探究の旅に出た。(続く)
posted at 11:19:47
無限が完結した実体として存在するなど、可能無限派にしてみれば混乱し矛盾した概念でしかないのです」(『無限論の教室』野矢茂樹〈のや・しげき〉) http://amzn.to/T3ReyH
posted at 09:19:41
無限のものがそこにあるのだと考える立場から捉えられた無限は『実無限』と呼ばれ、可能性としてのみ考えられるとされる無限は『可能無限』と呼ばれます。実無限派にしてみれば、可能無限などは本物の無限ではありませんし、可能無限派にしてみれば、実無限など妄想の産物にすぎません。(続く)
posted at 07:19:37
それに対して切り口解釈の方は、あくまでも可能性としての無限しか考えません。線分を切断すれば点が取り出せる。そしてそれはいつまでも続けていける。その可能性こそが無限であり、その可能性だけが無限だと言うのです。(続く)
posted at 05:19:32
「ここで、寄せ集め解釈と切り口解釈の二つの解釈が出てきました。これは実は無限論の系譜を辿るときにたえず現われる対立しあう二つの立場なのです。寄せ集め解釈は、線分には無限個の点がすでに存在していると考えます。(続く)
posted at 03:19:28
昔から、――治人あり治法なし=人を得て治まるので、法の如何によるものではない。という言葉がある。(『雍正帝(ようせいてい) 中国の独裁君主』宮崎市定〈みやざき・いちさだ〉) http://amzn.to/T2m1eu
posted at 01:19:25
間に合わなかったのであろう。この苦しい最後の場面で釈尊は呪文を唱えただろうか。祈とうをしただろうか。すべて否である。(『人間ブッダ』田上太秀〈たがみ・たいしゅう〉) http://amzn.to/T2lwB9
posted at 23:19:20
説法のなかで釈尊自身が自分の病気を祈とうや呪文によって治したと述べている例はまったくない。病気にかかったら医者の治療を受けている。釈尊は亡くなる前に激しい下痢をしている。これが死の直接の原因であるが、この時は医者は駆けつけていない。(続く)
posted at 21:19:12
仏教信仰に金銭はいらない。たとえば極楽浄土にゆきたいと願う人に金銭を出せ、物品を買えと説いた経典があっただろうか。祈とうや呪文によって病気が治ったということはない。(続く)
posted at 19:19:08
つまり火を崇拝すれば厄除けできるなら、火を取り扱う職業の人は毎日厄除けしていることになろう。何の災いもその人にはないはずなのに、どういうわけかそうではない。それは一体どういうことかと釈尊はいう。(続く)
posted at 17:19:06
父親を嫌悪する女子高生からの相談に岡田斗司夫が厳父となって答える。心理学的に見れば父の役割は規範を示すことにある。 http://toufu.tumblr.com/post/101359906338/%E7%9B%B8%E8%AB%87%E8%80%85-%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F-10%E4%BB%A3-10%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%81%A7%E3%81%99…
posted at 16:24:47
火を崇拝すると厄除けになるといわれるが、本文中に書いているように、釈尊が拝火教のカッサバ兄弟を帰依させた事例は、火を崇拝することの無意味を理解させるためであった。(続く)
posted at 15:19:03
それなのにわたしたちは、大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきたのです」(『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治) http://amzn.to/UJTrM4
posted at 13:18:57
危機一髪。 https://pic.twitter.com/bXdHtvmT82
posted at 12:13:02
ルワンダについて、ダレール氏は次のように語る。「ルワンダはわたしを変えました。生涯心から消えることのない体験だったからです。大量虐殺は核兵器の使用と同じく、人類が越えてはならない一線です。(続く)
posted at 11:18:52
実際、クリントン政権下の国連大使マデリーン・オルブライトはルワンダにわずか270名の基幹定員を残すことにすら反対した。(『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』フィリップ・ゴーレイヴィッチ) http://amzn.to/T2kRj0
posted at 09:18:47
PDD第25号には同時にワシントンの政策決定者が「政策言語」と呼ぶものまで含まれ、米国は自分が参加したくない任務を実行しないよう他国にも働きかけるべきだ、とうながしている。(続く)
posted at 07:18:43
これは要するに米国が国連平和維持活動への関与を避けるべき理由をまとめたチェックリストである。ダレールが求めた増援と攻撃指令が米兵を必要とせず、その任務が正確には平和維持活動ではなくジェノサイド防止であろうが、そんなことは関係なかった。(続く)
posted at 05:18:38
国連軍のルワンダ撤退はフツ至上主義党による最大の外交的勝利であり、その責任はほぼ完全に米国にある。ソマリアでの大失敗の記憶がまだ生々しかったホワイトハウスは大統領決定指示(PDD)第25号なる文書を起草したところだった。(続く)
posted at 03:18:32
UNAMIRは270名を残して撤退することになり、残った兵士にも砂嚢(さのう)の裏に隠れて事態を見守る以上のことはできないような命令を与えた。(続く)
posted at 01:18:26