ピザよくとりますよ。私が使ってるのはシカゴ。教室指定してもってきてもらえる。ヘビーのロイヤルシカゴにします。少し少ないかな、ぐらいでOK。ビールと酎ハイは別に酒屋さんに頼みます。
posted at 09:30:11
ツイートの記録を停止しています
このアカウントはTwitter APIの仕様変更の影響でツイートの記録を停止しています。
記録を再開するには、Twilogにログインしてください。
Stats | Twitter歴 4,384日(2011/12/04より) |
ツイート数 23,196(5.2件/日) |
表示するツイート :
ピザよくとりますよ。私が使ってるのはシカゴ。教室指定してもってきてもらえる。ヘビーのロイヤルシカゴにします。少し少ないかな、ぐらいでOK。ビールと酎ハイは別に酒屋さんに頼みます。
posted at 09:30:11
寿司は茶月から。銀のさらがうまいという評判だけど弊社は配達区域ではない。
posted at 09:40:19
中大の井上先生、今週も開講を試みるのか。
posted at 09:46:20
そりゃそうだが水田先生自身が超権威だがね。
posted at 09:47:05
社会的評価が低いと長生きできないので、長生きの秘訣はおもねってもらうことでしょう。
posted at 10:21:47
ラッセル先生「長生きの秘訣はよい親を選ぶことだ」
posted at 10:22:56
まあとにかく自己評価高めないと早死にする。
posted at 10:23:14
あれ、岩波の『人倫の形而上学』の訳おもしろいな。
posted at 11:06:40
実は物件のところとかはじめて読んでる。
posted at 11:06:54
物権。
posted at 11:06:59
こういう恥ずかしい告白とかしてもいいのだろうか。
posted at 11:07:11
まあみんな実はたいして読んでないだろうから大丈夫だろうか。
posted at 11:07:34
偉い先生たちの読んでない本告白大会とかおもしろいだろうなあ。
posted at 11:07:48
学会で重要書を100冊ぐらい並べて、「原書で読んだ」「翻訳で読んだ」「一部は見たことがある」「読んでない」「知らなかった」とか回答してもらったらどうか。
posted at 11:08:50
原書はもってるはずだけど家の段ボールのなかで取り出せません。ははは。
posted at 11:09:53
まあ中年ぐらいになると、物理的制約によって人間がどれくらい哲学書読めるかというのがだいたい見当ついてくる。
posted at 11:11:18
だから恥ずかしくないもん。
posted at 11:11:35
水田先生はあの本で言及している本ぜんぶ読んでるかもしれない。
posted at 11:12:17
お、どもども。そうそう、よい時代になりました。
posted at 11:12:36
「自分のもの」と訳されているのはdas Seineなのね。英訳するとpropertyになるかなあ。
posted at 11:15:22
なんか死の所有からはじまって遠いところで迷子になっている気がする。
posted at 11:18:59
そもそも所有とか私の実存となんの関係があるのか……
posted at 11:19:20
いや、昔知的所有権で駄文を書いてしまったことがあるからその責任とらなきゃならないのがあるか。
posted at 11:19:38
ジョン ロック の 知性の正しい導き方 (中部大学学術叢書) を Amazon でチェック! http://www.amazon.co.jp/gp/product/427501751X?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=427501751X&linkCode=shr&tag=yonosukenet-22&redirect=true&ref_=nosim… @さんから
posted at 12:41:12
1万円は高いねえ。
posted at 12:41:26
「自分自身の心を抑うつ状態に置き、最初の困難で意気阻喪してしまい、何らかの学問分野にとおいて洞察を得ることや、自分の日常の仕事に役立つ以上に知識を獲得することは、自分の能力を越えていると決め込む人たちもいます。」
posted at 12:42:28
「……この人たちは、歩いてゆくための足がないと思ってじっとすわっているのです。こういう人たちには、「足を使えば足が得られる」という諺を答として出せばいいでしょう。」
posted at 12:43:08
「誰でも、自分の能力がどれほどの強さをもっているかは試してみるまでは分からないものです。知性に関しては、それを使う前に考えているよりも、一般にその力は大きいと言って間違いないでしょう。「そして、それは進むについれて力を増す」のです。
posted at 12:43:50
「したがって、この場合の適切な治療法は、心を働かせ、思考を精力的に当面の仕事に向けることです。戦争という闘争においてと同様、心の闘争においても、「彼らは、自分たちが勝っていると考えている限り、勝った」ということが当てはまります。」
posted at 12:44:51
「学問上のどのような困難に出くわしても、それを克服してみせると確信していれば、必ずと言っていいほどそれは私たちに困難を突破させてくれます。」
posted at 12:45:23
「自分の力がもつ強さや、それを確実に規則的に使用した時の力は、試してみるまでは誰にもわかりません。」
posted at 12:45:47
「確実なのは、弱い足で出発する人は、強権な身体としっかりした手足をもっていながらじっと座っているだけの人よりも、遠くまで進むだけでなく、ますます強くなるということです。」
posted at 12:46:19
ロック先生ありがとうございます。下川先生も。
posted at 12:46:28
学問とか知識じゃなくて「モテ」に置き換えても使えるような気がする。
posted at 12:46:48
タイムラインにある「概念分析」の意味がわからなくて気持ち悪い。
posted at 14:40:07
でも不求甚解。
posted at 14:40:41
なんか自己評価が下がっている。
posted at 14:43:28
(概念分析とは関係ない理由で)
posted at 14:43:45
おお!えらい古いのがリツイートされてる。
posted at 16:24:48
あれ、お返事もらってるありがとうございます……でもあんまりはっきりわからない……
posted at 18:01:54
@eguchi1965 初めまして。ライルは自然言語の非公式的な論理の明確化によって哲学的問題に対処する方針を概念分析といっていたと思います。他方、自然言語の非公式的論理は、それ自身社会生活の構成要素という意味で、単に道具でなく社会学からすると積極的現象かとも思っています。
Retweeted by 江口某(焦土)
retweeted at 18:02:46
@contractio 非形式論理でした。失礼しました。
Retweeted by 江口某(焦土)
retweeted at 18:02:56
「他方、自然言語の非公式的論理は、それ自身社会生活の構成要素という意味で、単に道具でなく社会学からすると積極的現象かとも思っています。」こっちの方が微妙にわかりにくいのかしら。
posted at 18:04:08
なぜわからないかを説明するのは非常に難しい。まず「他方」で結ばれているのがわりにくいような……
posted at 18:05:00
「他方社会学では、〜を〜するのが概念分析だ」ならわかりそう。
posted at 18:05:20
「自然言語の非形式的論理は、社会生活の構成要素なので、概念を分析することは社会学でも当然価値がある」ならわかる。
posted at 18:06:31
おそらく「ある概念をばらばらにして必要条件とかを導出ようなのだけが分析じゃないよ、その概念がどういうふうに使われているかを見るのも分析であるのだし、その使われかたは社会的な関係の上でなりたっているので社会学の研究対象なのだ」ってことだろう。
posted at 18:08:33
これでいいのかどうかはあんまり判然としないけど、これくらいの理解で許してもらうことにしよう。ありがとうございます。
posted at 18:09:10
ふつうはこんな感じか。 http://en.wikipedia.org/wiki/Philosophical_analysis…
posted at 18:15:19
「分析」っていうとやっぱりなにかをより細かい要素に分けることを期待する。
posted at 22:04:16
「概念分析」っていうと、概念がアプリオリ(?)に含んでいるものを明らかにしたり、命題がどういうときに真になるかの条件を出してくれたりすることを期待してしまう。
posted at 22:04:54
これらはかなり伝統のある使い方なので、それ以外の意味で「概念分析」を使うのならば、よほど用心しないといろいろ誤解されたりするかもしれない。
posted at 22:07:14
『概念分析の社会学』に関してはそういうことをしているようには見えなかったけど、もう記憶が薄くなっているので……すみません。
posted at 22:07:59
もちろん。見えかたと実際にどうであるかは別。私はいろんなものが見えないから。
posted at 22:12:28
だからまあ「似てないような気がする」とかその程度。
posted at 22:13:05
おそらく、「AはBを含意するようだ」とかってときのテスト方法が違うんだろうと妄想。由緒正しいやつでは「BでないA」みたいなものを考えられるか考えてみたりするわけで。
posted at 22:14:20
「X君は独身だけど妻がいる」だと×、「Y子は独身男だ」だと(なんかいやな感じがするけど)×、だから「独身男は結婚してない/妻がいない/男性である」みたいに分析されることになる。
posted at 22:15:18
まあこういう言語直観みたいなものに訴えるのがどの程度意味があるのかわたしにはわからん。
posted at 22:15:49
概念史みたいなのはまあおもしろいけど概念分析とは呼びにくい感じ。
posted at 22:16:28
そもそもまあそういう狭い「概念分析」みたいなのってなんかあれそうだからあんまりあれだ。
posted at 22:16:55
まあでもとにかく「概念分析」というからにはなんかの「必然的関係」みたいなものを主張してくれることを期待してしまう。
posted at 22:17:35
あれ、私自身はまだ「概念分析」ってのを自分の言葉として使ったことないような気がする。なんだかわからんしねえ。
posted at 22:18:06
まあ伝統あるのを別の使い方されると、なんか不当に乗っ取られてる感じがしますね。
posted at 22:18:31
だから「概念関係(連関?)の分析」ぐらいは賛成。
posted at 22:18:52
そんな比喩表現は勘弁してください。
posted at 22:27:22
むにゃむにゃなっててわからん。
posted at 22:27:50
あるものが導管であるときはどんなときかはっきりさせてくれたら考える。
posted at 22:28:10
そうでなければなにも言ってないに等しい、かもしれないしそうでないかもしれない。とにかく私には関係ないことでござんした。
posted at 22:28:50
ロック先生のあれは置いてきてしまった。写経したくなった。
posted at 22:29:39
「さあ、次回は導管を収集して集合だ!」
posted at 22:30:54
ではあるものが導管であるときはどんなときですか?
posted at 22:32:29
植物の組織において、液体や気体をある部分からある部分に運ぶ役目を果たしているとき、ぐらいかな。
posted at 22:33:45
たんにわからないなあ、という嘆息です。もっと勉強しないと。
posted at 22:34:09
研究自体には(得に興味がある対象分野について)興味があるので、がんばってほしいと思っております(本当)。
posted at 22:34:48
まあ「概念分析ってなんですか?」っていわれたら、「概念どうしの(必ずしも必然的ではない)関係を明らかにすることです、必然的関係だけを探しているわけではありません」ってこたえ続けてたらいずれ世界は変わるかもしれないので、それはそれでOK。
posted at 22:40:24
伝統のある言葉も、新しい意味で使いつづけていればそれが自然な使い方になるかもしれないし。
posted at 22:42:25
けっきょくこの http://socio-logic.jp/ethnomethodology2_navi.php… 前田先生の文章の「概念分析」の項は、ウィトゲンシュタイン先生の「導管」の比喩によって語られていて、それがいったいなんであるのか私には理解できない。
posted at 22:47:12
その比喩の直前には、「 概念の結びつきの中には,それがないと他の判断や推論が成り立たなくなるような強い結びつきと,そうした結びつきを前提としつつなされる一つひとつの判断や推論のような弱い結びつきがあるのです。」とよいポイントが指摘されている。
posted at 22:48:24
ところが「強い」結びつきと「弱い」結びつきがどういうもので、それが導管とどういう関係になっているかわからない。(「強い」「弱い」は以後出てこない)
posted at 22:48:56
しかしもっと共感的に読むべきだろう。もう一回。
posted at 22:51:38
いや、やっぱりいまの私の力では無理だな。
posted at 22:53:05
ので、まあ興味はもっているけどいろいろ建設的なことができるほど理解してないということで。
posted at 22:54:07
っていうかそういう抽象的なことを抽象的に考えたりするより先に、具体的な問題考えたい。
posted at 22:55:31
どうも視野が狭くていかんな。
posted at 22:55:53
総論より各論を見るべきだろう。ツイッタとかでも余計なことは書かないようにした方が人様の貴重な時間をとらずにすみそうな気がする。ごめんなさいごめんなさい。
posted at 22:56:49
クルター先生自身がconceptual analysisっていう言葉を使っているのかな?
posted at 22:58:13
おそらくそうなんだろう。
posted at 22:58:36
"Discourse and Mind"とか関係ありそうだけど読むのは数年先になるだろう……
posted at 23:00:44
でもとにかく午前中よりはずいぶんすっきりした。皆さまありがとうございます。
posted at 23:03:12
あれ、10,000ツイート越えてた。
posted at 23:20:11
年月が経つのははやい……
posted at 23:20:33
まあ正直なところ、私自身は哲学だろうが社会学だろうが法学だろうがなんだろうがあんまり気にならない、というかそういうのあんまり気にしてない気はするのだが、そうでもないか。
posted at 23:22:03
「哲学的な」主張をする社会学者の人達には昔から非常に興味がある。どっちかっていうと「うらやましい」みたいな感じの興味。
posted at 23:22:37
ていうかそういうの気にしてたらやりたいことがなんもできない気がするし。
posted at 23:23:10
まあそもそも「概念」ってのがなんだかよくわかってないから、「概念分析」とか「概念を分析する」とかってのもよくわからなくてなんかイライラするんだよな。
posted at 23:24:57
昼間ロック先生読んでたら「概念」は複合観念であって(理想的には)単純観念まで分析できなきゃなんない、みたいな話書いてあってはっと思った。まああんまり正確じゃないけど。
posted at 23:25:53
まあ「概念ってなんですか?」ってやってもう20年か……なにもわかってないというのはこれはどっかおかしいのではないか。
posted at 23:26:31
「哲学的遅れ」みたいな概念を創設したい。
posted at 23:27:59
まあしかし(理論)社会学をバックグランドにしている人々が哲学とか倫理学とかをバックグランドにしている人間の興味を引きやすいってのはあるかもしれないと思う。私は気になる。
posted at 23:36:09
言語学とか経済学とか政治哲学とか法哲学とかやってる人々は、基本的に同じ言葉でやりとりできるんではないかと思うんだけど、社会学の人々はなんかディスコミュニケーションしちゃうことがあるような気がする。でもこれは単純枚挙だな。
posted at 23:37:17
いまあげた人々は基本的に(少なくとも部分的には)「哲学」やってるという自覚があると思うんだけど……(理論)社会学の人も哲学なはずなのにもろに哲学やってる人々と差別化したいところがあるのかな。
posted at 23:39:19
もしかしたら「規範」の扱いが社会学では特別なのかもしれない。
posted at 23:40:02
まあでもそんな大きなことを考えるのはむだ。
posted at 23:40:14
ごめんなさいごめんなさい。
posted at 23:40:24
ついついそういう思考にひきづられるクセがある。
posted at 23:40:39
10000ツイート分撤回。
posted at 23:41:03
でも道徳はやっぱり感情の問題かもしれない、ってのが流行中。
posted at 23:43:48
まあ倫理学や政治哲学なんかのアンソロジー見ても社会学者が出てくることはほとんどないので、英米でもずいぶん断絶があるんだろうと思う。なんかおかしいよな。
posted at 23:47:11
セックス関係では社会学者のもいくつか見た。まあやっぱり実証研究は迫力がある。
posted at 23:49:08
なんかまあ近いところに暗黒大陸が広がっている感じがする。
posted at 23:50:16
まだエスノメソドロジーがなんであるのかもわかってないのでなんとも……いずれわかってくるはず。
posted at 23:58:56