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@atoreides

アトレイデス@atoreides

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2013年06月30日(日)20 tweetssource

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

稲垣足穂のハイデガーへの言及、ちょくちょく見掛けるのだけれど、足穂らしく断片がヌッとある形で。…『古典物語』におけるベルグソンについてのような、「どのような著作に、どのような経緯で触れているのか?」、足穂のいずれかの著作で記されてなどはいないのだろうか?

posted at 20:56:50

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…一箇の現存における根源的な歴史性、すなわち『宿命』に、初めて気づかされようとしていた道場なのだ。だから明石もこの付近はなにか知ら故郷的なもの、いわば自分の《Holzwege》に相当する―

行けよ、携えよ
誤ちと問いを
汝の一つの径にそうて 」

(稲垣足穂『明石』)

posted at 20:50:37

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

H・H・エーヴェルスから稲垣足穂に戻って、『明石』を読んでいたら、「第三章 柿本人丸神社」にこんな一節が。 「…『森の径』の著者の云い方を借りれば、上ノ丸高台こそ、自分が、そこに投げ出された者として継承している遺産に、―一時的偶然的なそれでなく、死によって裏打ちされた…

posted at 20:41:32

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

それにしても神楽坂、去年の夏に来たっきりだったのだけれど、…ここ一年でさらにまた、路地に新たに出店してくる飲食店舗数が増えたかのような? 迷路のような路地、何処がどうだったか、確信は持てないのだけれど…。

posted at 20:23:59

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

六本木も神楽坂も、共に坂の町なのだけれど、何処までも車が入っていけるように舗装が引かれた六本木と、人が二人並んで歩くともう幅ぎりぎりの路地の坂が延々と続く神楽坂とは、趣きが全く違い。 二つの街を一挙に廻ると、東京の坂の多面性を感じさせられてしまうものが。

posted at 20:11:10

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

神楽坂、金曜の夜ということもあり、中央の大通りは賑いは凄かったのだけれど、路地にひょいと入り込むと、その道にはもう自分とあともう一人ぐらいしかいない、というヒッソリカンとした空間が広がってきて、やっぱり不思議な町だなぁと、改めて。

posted at 20:05:40

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

それにしても、南北線という名称、路線内の駅に「四ツ谷」も在り、やはり『東海道四谷怪談』の作者、鶴屋南北にあやかってのネーミングなのだろうか? 一緒に廻っていた知人の目撃によると、四ツ谷駅の案内板は南北に敬意を表してか戸板に血文字で描かれているらしく…。

posted at 20:00:39

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

ついで、映画『惑星ソラリス』に登場して有名になった首都高速の立体交差近くにある地下鉄「六本木1丁目」駅から南北線に乗って神楽坂へ。 南北線に乗ったのは初めてなのだけれど、六本木と神楽坂が電車一本で繋がったのはありがたく。

posted at 19:55:58

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

六本木ヒルズ、かつての人いきれをぬって歩くような賑わいはもはやないのだけれど、廻っていると、毛利庭園から円形広場にかけて子供たちが夜のかくれんぼを遊んでいるのに遭遇。…何か、いい感じに生活の色が。

posted at 19:46:37

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

店舗的には、何か縁日の屋台と同じく、ケパブを食べさせてくれるトルコ系の飲食店が増えているように思えたのだけれど…?

posted at 19:42:17

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…麻布十番に繋がり、続けてミッドタウンも出来て、町の際が広尾方面へも伸びて、巨大になって。 先々日、3年ぶりぐらいに六本木訪ねて、さらに広がっているなぁとの感触が。

posted at 19:40:19

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

先々日はオーディトリウム渋谷で『あれから』観た後、金曜の夜の東京の繁華街を見ようと、六本木、神楽坂を廻る。 …六本木、1990年代まではその夜の町としての知名度に関わらず、町の拡がりは案外小さいと思えていたのだけれど、丁度十年前に六本木ヒルズが出来て、町の賑いが途切れることなく…

posted at 19:34:04

 

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6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…「映画では、悪夢から目が覚ますと…」の可能性の、さらなる探求となるのでありましょうか!? むむッ、待ち遠しいてす。  @4ne4necinema:あの感覚をさらに突き進めて、次作にいれられないかと。夢と現実が絶えず浸食し合うような…。

posted at 19:20:22

6月30日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

「歪み」、強烈でした! 続く場面での桜も美しいと共に、ギョッとさせられるもの在って!! 次作、どの様なものが生れてくるのか? 楽しみです。篠崎さんが『世界恐怖映画シンポジウム』で語られていた…  @4ne4necinema:映画の中にある歪みが生まれてくる

posted at 19:15:04

2013年06月29日(土)10 tweetssource

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…『あれから』には、『グラップラー刃牙』幼年編での、あるエピソードの向こうを張るかのような、奇怪な展開も在って…。

posted at 22:12:00

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…そういえば、篠崎誠監督の映画『あれから』の、或る人物の発語の変容も、瞬間、「声」というよりは「音」のように聴こえてしまい。 酷く怖かった。

posted at 15:01:17

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

エルンスト・ユンガーの音韻論『母音頌』の中では、野戦病院での傷病兵たちの発語が、意味を形成するための子音が苦痛のためにすぐさま焼きつくされ、言葉が母音による呻きに呑み込まれて行く様に触れられてきていたけれど、…こうした戦場の音韻に、ベンやブルトンもまた取り囲まれていたのだろうか。

posted at 14:51:53

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…さらにいえば、イタリア詩人ウンガレッティの短詩形も、第一次大戦参戦時、コルソ山岳の第四高地の塹壕で書き始められたものであるらしく。

posted at 14:36:46

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

表現主義の詩人ベンとシュルレアリスト、ブルトンが、それぞれ独仏の従軍医師として第1次大戦時の野戦病院にいた、ということは何か興味深いものが。詩人トラークルの絶唱『グロデーク』もまた、看護兵だったトラークルの、グロデークの戦いでの野戦病院での体験が影を落としていて…。

posted at 14:29:07

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

傷痍軍人の方々、70年代の中盤にも上野などに集まっておられました。アメ横から動物園に上がる坂に大勢並んでおられたの憶えています。…パンダ目当ての子供だった自分などは、その歴史的な背景も知らずに怯えてしまっていました。 @yasu_kum @signaless @k_ghk東京

posted at 14:18:26

6月29日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

私は知りませんでした。80年代高校の社会科で大島渚「忘れられた皇軍」(63年)を見て知り、ショックを受けましたRT@signaless子供の頃、町のお祭りで見た記憶が。’63年生まれだから、’60年代後半のことです。RT @k_ghk 傷痍軍人って東京では60年代でも見られ

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retweeted at 14:12:56

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…計画停電のために階段を上らざるをえなくなる場面、そしてそこからの展開には、『あれから』自体を忌わしいものと感じさせてしまうような、踏み込んだギリギリが在りますね!! 主人公の靴屋という仕事も、その手作業が象徴を越えて迫ってきて素晴らしかったです! @4ne4necinema:

posted at 09:40:20

6月29日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

『あれから』、面白かったです! 大状況が背景として、主題として説明されるのでなく、表現の中に潜り込んで立ちあがってきた、まさにその瞬間を見ているのだ!との興奮に襲われました。…  @4ne4necinema: 『あれから』 7月5日(金)までオーディトリウム渋谷にて。

posted at 09:25:02

2013年06月27日(木)56 tweetssource

6月27日

@k_kazama

風間賢二@k_kazama

今日はエミール・エルクマンの誕生日。19世紀フランスで人気を博したコンビ作家エルクマン=シャトリアンの片割れ。長編歴史小説や風俗小説を得意としたが、我が国ではホフマン風怪奇幻想短編の書き手として知られる。乱歩「目羅博士」の元ネタのエーヴェルス「蜘蛛」の元ネタ「見えない目」が有名。

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retweeted at 23:33:25

6月27日

@k_kazama

風間賢二@k_kazama

エーヴェルス「吸血鬼」は精神分裂病としての吸血鬼もののさきがけで、その種のいわばニュータイプ・ヴァンパイアのオリジン。傑作はスタージョン「きみの血を」だが、映画ではロメロ監督「マーティン」やニコラス・ケイジ主演「ヴァンパイア・キッス」。ドラキュラ・タイプと比較すると面白いかも。

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retweeted at 23:26:17

6月27日

@k_kazama

風間賢二@k_kazama

ドイツ怪奇幻想作家H・E・エーヴェルスの長編「吸血鬼」は性行為の最中に相手の血を吸わずにはいられない青年の話。ある意味、スタージョンの秀作「きみの血を」を先取りしている。で、そのエーヴェルスが脚本と小説を執筆した名作映画「プラーグの大学生」を分身テーマの講義のためにこれから鑑賞。

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retweeted at 23:26:13

6月27日

@serpentinaga

江波倉子(CV雨宮伊都)@serpentinaga

そういやけさ大瀧さん訳の『文学における超自然の恐怖』をパラパラやってたら、「エーヴェルス」とか表記されてるよ! 原語よみに拘るなら「エーヴァース」じゃなきゃダメじゃん!(私は「エーヴェルス」で通しちゃうけど(笑))

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6月27日

@miyamo_7

みやも(大阪府)@miyamo_7

(→)H・H・エーヴェルス「C・3・3」 刑務所生活で老いたオスカー・ワイルドが「この世は別世界の怪物が見とる夢やねん、ほらあそこに怪物が~」と訴えるのに出くわして不気味やなあと感じる青年の話。ワイルド老が見たのは己の精神の照り返しなんだろうけどあえて誤読すればクトゥルーっぽい。

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retweeted at 23:24:44

6月27日

@okiraku_k

舞狂小鬼@okiraku_k

『怪奇小説精華』読了。長くかかったなー。(なんせ600ページ以上あるw)でもどれも傑作ぞろいで大満足。エーヴェルスの「蜘蛛」に出てくる妖女の名前が、ゴーチエの名作「クラリモンド」の妖女と同名だったのには初めて気が付いて驚いた。

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retweeted at 23:24:18

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

エーヴェルスの短編『トマト・ソース』、凄い!酷い!!との話は聞いているのだけれど、未だに読めておらず、気になるものが。 J・M・パルミエの『狂気と犯罪の幻想―ワイマール共和国下の』で取り上げられていた、エーヴェルスの植民地ホラー短編『恐怖の裡で』なども怖そうで…。

posted at 23:07:13

 

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6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…「独裁者」も「映画」も、エーヴェルスにとってはともに「大きくなること」それ自体が目的化したものと見えていたのだろうか。 確かに映画のスクリーンにおいては、事物は時に通常の何十倍もに拡大されて映写されることになるのだけれど。

posted at 22:24:24

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

しかし強引さはあれど、1909年に「聖女の『ヴァル・ディ・スコドラ』支配」に象徴される「独裁者とそれと有機的に一体化した人民」の主題と、そして「映画」について、一つの恐怖譚の中で取り上げてしまおうとするエーヴェルスの触知は、「時代的意味への感応」(平井正)としてやはり鋭いな、と。

posted at 22:20:38

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…そうした最終章における映画を語る諸々は、最終章に至るまでの十五章で語られてきたものとどう関わっているのか、その接続点上手く見えなくて。 エーヴェルス、変な人だなぁと。映画への熱意のために、無理矢理に捩じ込んだのか、との感も。

posted at 22:13:07

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…その身体行為の記録フィルムを逆回転で上映してみると、どうか?といった悪趣味な提案を行い。さらには、或る人物の一生を記録撮影し、それをその人物の死後、逆回転で上映してみよう…という、何やら奇怪な鏡像状態の現出の提案をしてきて。

posted at 22:06:55

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

最終章、『セイロンの蛇取り』という、蛇皮製品のために皮を生きたまま剥ぎとられ、しかしなかなか死ねずに蠢き続ける白い筋肉剥き出しの蛇たちを写し撮った記録映画の映像が詳述なされ、フランク・ブラウンは「食べる」「煙草の煙を吐く」「出産する」といった身体に纏わる行為を撮影し、…

posted at 21:59:41

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

それにしても、エーヴェルス『魔法使いの弟子』、最終章ではそれまでの物語記述から切れた形で、唐突に主人公フランク・ブラウンの映画への関心が語られ始め。その唐突さは、ほとんど異様と感じられるほどで。 まるで、何かへの予告編のような…。

posted at 21:53:46

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

そして、『魔法使いの弟子』クライマックス、佐藤肇の映画『怪談せむし男』のラストを思い出させるような、「聖女」の不気味な昇天が…!

posted at 21:47:04

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

映画『ラ・パロマ』で、エーヴェルス短編『スタニスラーフ・ダスプの復讐』を撮り上げたダニエル・シュミットは、その中盤に歌を織り込み。 原作短編自体にはそうした歌の場面はなかったものの、もしエーヴェルスが『ラ・パロマ』を見たならば、小躍りして喜んだのではなかろうか?

posted at 21:42:21

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…やはり歌に溢れたエーヴェルスの原作版『プラ―グの大学生』を読んだ時にも感じたのだけれど、『魔法使いの弟子―悪魔狩りの人々―』、もし映画化するならば、ミュージカルが相応しいかもしれない。

posted at 21:34:56

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

翻訳者佐藤恵三によると、定本にあるノヴァーリス詩と、エーヴェルスの引用版とでは若干の違いがあるらしく。 誤認による引用間違いなのか、それとも『魔法使いの弟子』の物語に即しての、意識しての書き換えだったのか…? ちょっと気に懸るものが。

posted at 21:31:37

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

そういえば『魔法使いの弟子』、自作の詩やノヴァーリス、ゲーテらの詩の引用も多く、文学キャバレーの契約詩人でもあったエーヴェルスらしく、「詩に語らせる」ということ度々試みられてきていた。ノヴァーリスの『聖歌』の第七節『賛歌』などは、三頁に渡って引用なされ。

posted at 21:27:39

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…とはいえ、サド作品のような、反語的に神の賛歌と読めるものになっているかといえば、『魔法使いの弟子』、そうとは取りきれぬ宙吊り感があり…。 エーヴェルス、良くも悪くも「怪奇作家」だな、と。

posted at 21:23:00

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…フランク・ブラウンの行動を押し止めようとするかの言葉を放って、反ってフランクを行為へと背中を押してしまったのが、「神父」である、という仕掛けも周到で。 うわ、エーヴェルス、狡猾だな、と!

posted at 21:15:02

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

興味深いのはミステリにおける「操り」主題さながらに、言葉による洗脳的な誘導と暗示によって他人を操っているつもりの主人公もまた、何ものか超越的なものによって誘導されているのではないか?との読みも『魔法使いの弟子』には引き込まれていることで。 冒頭の「大きくなること」の対話を通じて…

posted at 21:11:19

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

エーヴェルスにはポォ論も在り。日夏耿之介によって翻訳もなされているらしいのだけれど、…その中に、『ヴァルデマール氏の奇怪な症例』への言及などはあるのだろうか?

posted at 21:05:32

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…暗示を解いたはずなのに、暗示によって生まれたはずの「聖痕」が残り続け、催眠術により「自分は聖女である」と信じ込まされたはずの娘が催眠術を解かれた後も、幻視と法悦に浸り続ける、その展開は戦慄的で。 …ヴァルデマールからマブゼへの掛け橋たるものを、そこに見出すこと可能かもしれない。

posted at 21:01:58

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

エーヴェルスの『魔法使いの弟子―悪魔狩りの人々―』における催眠暗示の用い方は、ヴァルデマール実験の成果を社会政治の力学へと振り向けたかの面が見られ。 つまりはマブゼ的な何かが。

posted at 20:51:01

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

エーヴェルス『魔法使いの弟子―悪魔狩りの人々』には、ゲーテの物語詩からの示唆と共に、ポォが『ヴァルデマール氏の奇怪な症例』で記述した、催眠暗示によって、意識を死んだ肉体に留め続けることに成功した、ヴァルデマール実験の成果も参照されているかもしれない、と、ふと。

posted at 20:46:48

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…怖いのは、ゲーテの物語詩や『ファンタジア』における、事態を収拾してくれる高位の魔法使いが、この「ヴァル・ディ・スコドラ」の物語には居ない、ということで。大きくなろうとするものは、とことん膨らんで、膨らんで…。

posted at 20:39:32

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

しかし、「大きくなること」の自己目的化された流れは、そこに栄養を注いだものの意図からも次第に外れて。 外側からの傍観者を気取ろうとしていたフランクを、事態はディズニー映画『ファンタジア』の「魔法使いの弟子」エピソードにおけるミッキーマウスのような立ち場へと牽き摺っていき…。

posted at 20:34:24

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

〈彼は心からの満足を感じていた。さっきからの出来事は、ことごとくおれが仕組んだことだ。操り人形どもは、おれのふりつけで手足をふって踊っていたのだ。 …おれはすぐれた演出家なんだから、世界史という猿芝居の中でセンセーションを巻き起こすほど、きっとうまくこの芝居をやってやろう。」

posted at 20:28:43

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

『魔法使いの弟子―悪魔狩りの人々―』 冒頭、第一章に掲げられたこのフランクと老神父の対話を初端として、その方向性でなく、「大きくなること」それ自体の肯定が産み出していく諸事態の恐怖が記述なされて行き…。

posted at 20:22:08

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…悪もほかのすべてのものと同じように、生きる権利があるのです。―ただ矮小なものは醜いのです!」彼の声はうわずり、…「でもあなたはそれを伸びるに委せたらいいでしょう――あなたが悪と呼ぶものをね!それは大きくなるでしょう―そして大きいものはすべて美しいのです」 『魔法使いの弟子』

posted at 20:17:29

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…「違います。御老体!」と(フランク・ブラウンは)声をひそめて語りかけた。「それはほんとうじゃありません。生を満喫する前に、どんなものも滅んでしまってはいけないのです。」「いや滅んでいいのです。悪はそうです」「違います。悪ですらそうであってはいけないのです。…

posted at 20:11:52

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

〈「…―どんな力も利用しないままで放っておくべきじゃないでしょう」「その力と言ってるのは病気なんですよ! 火が消えるのが早ければ早いほど、皆にとっては好都合なんですよ。」 ドイツ人(フランク・ブラウン)は椅子に長々とそり返ったが、そのまなこは異様な光に輝いた。…

posted at 20:08:00

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

…鞭打ちを奉じる過激な狂信者と変え、村の宿の娘を、催眠暗示によって「聖痕の浮き出した聖女」へと成らしめる、が…という物語。 エーヴェルス『魔法使いの弟子―悪魔狩りの人々―』

posted at 20:02:44

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

イタリア北部の山岳地帯にある寒村「ヴィル・ディ・スコドラ」に現れた、世界を相手に遊戯するニヒリスト、フランク・ブラウン。彼はその「面白そうだ」という興味のままに、禁酒と、公開の場での告解を人々に勧めていた微温的な宗教指導者を、「お前は奇蹟を行ったのだ」と奇蹟の実在を信じ込ませて…

posted at 19:57:58

6月27日

@atoreides

アトレイデス@atoreides

エーヴェルスの1999年作『魔法使いの弟子』読む。面白い! エーヴェルスの代表作『アルラウネ』で「神を試すのです。神にも無視し得ない行為によって」とテン・プリンケン枢密顧問官を唆して「アルラウネ」を創造させたニヒリスト、フランク・ブラウンを主人公としての三人称による催眠術怪異譚。

posted at 19:51:29

6月27日

@KatsuoOkuhara

奥原佳津夫@KatsuoOkuhara

【おまけ】 詩劇“Macbeth”の心象風景を形作る頻出単語は、前記“Time”のほかに…“Blood”"Nothing"などです。…時・血・無…ストーリー上の意味だけでなく、台詞に織り込まれた、そうしたイメージの積み重ねが、作品の光景・質感となっていくところが、詩劇の魅力。

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6月27日

@KatsuoOkuhara

奥原佳津夫@KatsuoOkuhara

こなれた日本語訳だと、この“時(Time)”が、文脈に応じて、「時代」とか「世間」とか、その場その場に応じた“意味”で訳し分けられてしまうので、詩劇のイメージの連鎖が描き出す光景が見えてこないのが残念なところ。 …ま、どっちを取るかって話なんですけど…。

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6月27日

@KatsuoOkuhara

奥原佳津夫@KatsuoOkuhara

【まじめな話】 『マクベス』を詩的なイメジャリーを辿って読むと、“時(Time)”との争い、というライトモチーフが現れます。主人公・マクベスは、追い抜かれないように、先回りされないように、と常に追い立てられ“時(Time)”と競おうとします。

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6月27日

@KatsuoOkuhara

奥原佳津夫@KatsuoOkuhara

【こたえ(の一例)】
つい“マクベス”と答えたくなってしまいますが…印象的な「今、なんどきだい?」は劇中、バンクオウの台詞なので…“バンクオウの亡霊”が正解かな?
(あえて“リチャード三世”というのも、たぶんアリです…)

Retweeted by アトレイデス

retweeted at 19:40:29

6月27日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

「あゝ わが祖父の物語!/泥海ふかく溺れた児らは/透明に 透明に/無数なしやつぱに化身をしたと//註 有明海沿の少年らは、小さい板にのり、八月の限りない干潟を蹴つて遠く滑る。しやつぱは、泥海のそこに孔をうがち棲む透明な一種の蝦。」伊東静雄「有明海の思ひ出」…夏の、泥の海の物語!

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6月27日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

(立原道造に)有明海を是非見せたいと思つた。沈鬱な中に一種異様な、童話風な秘密めいた色彩と光が交りあつて、これはまだ日本の詩人も画家も書いてゐないものだ(伊東静雄「立原道造君と私」1939)

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retweeted at 19:34:40

6月27日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

(承前)吉増剛造氏の、10年前のNHKテキストでの伊東静雄論は、戦前戦中との結びつきより、むしろ、伊東の弟子といえる文学者たち―庄野潤三、島尾敏雄、三島由紀夫らの回想を通じて伊東静雄を捉えなおそうとするものだった…戦後文学者たちの師としての伊東静雄への、俯き加減のまなざし…

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6月27日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

吉増さんは、10年前NHKラジオ『詩をポケットに』で、3回にわたって伊東静雄について語っていて…その時は、静雄の故郷、有明海諫早湾の水門が閉められた直後だった。…干潟を捉えるまなざしを、写真家・東松照明の「つよく俯く力」を参照しつつ語っていることが印象的だった。

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6月27日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

【告知・拡散希望】吉増剛造氏講演「伊東静雄「有明海の思ひ出」に添いつつCinéとともに」今週末、土曜日です。shikiha.webnode.jp 多メディアを横断しつつ、国際的な活躍を続ける詩人・吉増剛造氏が、新作ゴーゾーシネ上映とともに、伊東静雄について語ります。

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6月27日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji

考えてみれば、革命の秘密組織の現実などは極めて退屈なものだ。構成員は、来る蜂起のその日まで、何の変哲も無い日常に紛れ込み、正体を隠す必要があるからだ。これはまさに鴨長明のようであり、革命組織とはシルトの岸辺にある、苔生した要塞でもあるかのようだ。

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6月27日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji

戦前、帝大とは別の早稲田や慶応その他の私大は、裕福な子弟が社会に出る前に年齢を増やす避難所のように見られていた。今でも大学は学問をするところだという建前や実業的動機を離れれば、大学は暇な時空だといえる。何もやることがない学生はそこで退屈を能動的に体験することだ。

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6月27日

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千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji

ジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』の沿岸要塞は、最前線でもあるが同時に現世からの隠遁の場のようでもある。そこで主人公は数百年前から姿を見ない敵の来襲を監視する日々を送るのだが、これも退屈譚の一つの変奏といえるように思う。

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6月27日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji

三島由紀夫の精神上の(あるいは感情においての)師匠だった蓮田善明は、その遺著『鴨長明』で、長明の隠遁を、生の再生のための準備であり、単に世を退いたものではないと述べている。私は蓮田論で、これはあり得たかもしれない蓮田の戦後生活論だと述べたが、退屈論もこれと絡められるだろう。

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6月27日

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千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji

何事にも能動的ものと受動的なものがあるならば、退屈にも、能動的な退屈と受動的な退屈があるように思う。能動的な退屈とは選択された退屈であり隠遁に見られるとすれば、受動的な退屈とは強いられた退屈であり、現実の伴侶としてある。同じように退屈だが、確信犯とそうでない場合の様な違いがある。

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