ポール・デルヴォー展、埼玉では浦和にある「県立近代美術館」で開かれていたのだけれど、もしかして、むしろ大宮の「鉄道博物館」で開かれた方がふさわしかったんじゃなかろうか?と、ふと。
posted at 21:05:42
ツイートの記録を停止しています
このアカウントはTwitter APIの仕様変更の影響でツイートの記録を停止しています。
記録を再開するには、Twilogにログインしてください。
Stats | Twitter歴 5,105日(2010/04/08より) |
ツイート数 136,652(26.7件/日) |
表示するツイート :
ポール・デルヴォー展、埼玉では浦和にある「県立近代美術館」で開かれていたのだけれど、もしかして、むしろ大宮の「鉄道博物館」で開かれた方がふさわしかったんじゃなかろうか?と、ふと。
posted at 21:05:42
その一方で、デルヴォ―のブリュッセルと賢治の花巻との間に同時代性が成立していたことも、間違いない。…19世紀末の人々は、一方では、私たちの同時代人でもある…
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 20:59:46
戦後、花巻の山小屋にこもった高村光太郎も、度々、トラムを使って花巻の温泉郷に出かけている。…萩原朔太郎の前橋から伊香保温泉間にもあったな…「田舎」「地方」で一括りできない、地域ごとの国土開発の状況の個別性というものが、あるわけで…
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 20:59:37
賢治のほうは、それほど路面電車(トラム)は?と思うかもしれないけれども、大正の中ごろには、花巻駅前から花巻温泉郷までを結ぶトラムが通じていて、「月夜のでんしんばしら」にはそれもさりげなく登場している。国有鉄道、軽便鉄道、トラムが、ターミナル駅としての花巻には通じていた。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 20:59:26
絵画(背景)にしばしば描きこまれる蒸気機関車、路面電車はもちろん、電信柱も!会場には、デルヴォ―がアトリエにおいていた(!)鉄道模型や、電信柱の碍子(がいし)も展示されていた!…ああ、デルヴォ―絵画と賢治「月夜の電信柱」はこんなに通じていたのか、と感慨深く。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 20:59:19
P・デルヴォ―は長命だったのでそういう印象がなかったのだけれども、ブルトンより一つ若いだけ、つまりブルトンの同年生まれの宮沢賢治とも同世代なわけで…鉄道をモティーフにする芸術家、という点で、鮮やかな同時代性が見えて、驚いてしまった。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 20:59:13
…自分などはあまり「鉄道」の出てくる夢というものを見たことなく、少なくとも見たことを記憶していることがないのだけれど…、鉄道夢、よくご覧になられている方は多いのだろうか?
posted at 20:44:01
…シュルレアリストの表現を思い出させるような「夢、眠りと鉄道」の親和性の高さが。
posted at 20:37:31
齊藤史の鉄道、鉄道駅詠 〈乗替駅のベンチにながく待つ夢の常に孤りにて行方知らず〉歌集『秋天瑠璃』収録 〈廃軌道に残るとんねるの口暗し 夜夜そこに出でて我にくる汽車〉 歌集『ひたくれなゐ』収録
posted at 20:31:02
…「鉄道とホテル」というと、齊藤史にこんな歌も。 〈足音を持たぬ群集の移動する地下道わがねむる下にあり〉 何か「地獄詠」めいて恐く。
posted at 20:22:42
…『青童子』には、さらにこんな鉄道詠も。 〈眞夜中に電車とまりているごとしどこにもたひらなき場所なるに〉
posted at 20:17:40
…近代を乏しい時代とみなす様な歌人が、しかし、近代の代表たる鉄道網の延長にあるモノレールの運動に驚き、自身の想起を託して…のは、単に、「鉄路の先に故郷が(或いは旅立つべき彼方)が在る」に還元され得ない矛盾が孕まれて、読む者にも驚きを与えてくるな、と。
posted at 20:15:29
〈モノレールしづかに春の空走るまぶしき朝をしばしまどろむ〉〈モノレールに乗りてみたしとおもひつつはや二年ほど過ぎてしまひぬ〉〈噴水のいただき炎ゆる夕まぐれモノレールたかく空を横切る〉〈灯(ひ)ともしてモノレール空をかへれどもなつかしき死者ら降りてきたらず〉 前登志夫『青童子』
posted at 20:08:04
…「乗り物に触発されての創作」というと、前登志夫にも『宇宙驛』という詩集が在り、さらに天王寺-奈良間の鉄道を詠っての短歌の連作も在ったけれど、さらに『青童子』では、「大阪千里中央のホテルにて」と題されたモノレール詠が四首詠まれてきていた。
posted at 20:02:45
@12842987 ご指摘に感銘を受けました…お話がずれて恐縮ですが、1904年の映画「不可能を通る旅」(松本零士『銀河鉄道999』の直接の元ネタ?)など、映画的想像力も関連しているかも、などと考えています。http://silentfilm.seesaa.net/article/216257334.html… 10分40秒あたりから
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 19:55:50
「革トランク」という作品には賢治の東京体験が色濃く反映されている。ことばが通じずに悩んだこと、岩手では見られないエレベータやエスカレータに接した驚き。賢治には自身の体験を作品に昇華させる構想力があった。#宮沢賢治
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 19:55:38
エレベータやエスカレータは、縦方向への移動を可能にした動く建築である。人間が横方向だけではなく、縦方向へも移動できるという驚きを宮沢賢治は抱いたかもしれない。その驚きは、もしかしたら列車が宇宙空間を走るという『銀河鉄道の夜』のアイデアに結び付いたかもしれない。#宮沢賢治
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 19:55:34
もう20年近く前の中国の地方都市。デパートに設置されたエスカレータをみるために、人々が集まっていた。階ごとにエスカレータガールがいて、まるで鉄道で駅員が改札しているように、あいさつをしていた。私はなぜか、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を思い出した。#宮沢賢治
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 19:55:29
「…にんげんの世に戦きにけり」にも感じられたのですが、「にんげんの」の挿入によって取られて行く歌のリズム、異様ですよね。 「にんげん」という言葉自体を不気味化しようとするかのような。 RT @yasu_kum: 斉藤茂吉 「にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり」
posted at 15:29:07
塚本邦雄の鑑賞がまた凄い…「彼は猿でも豚でもなく、「ひと」と呼ぶ哺乳類の幼獣を無感動に一瞥する。次にその幼獣を背中に括りつけられ、これを泣かさぬやうに、消極的に保護するやう強制された、おそらくは十を幾つも出ぬ少女に視線を注ぐ」続く子守娘をめぐる想像がまた凄い…(『赤光 百首』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 15:14:58
@atoreides 斉藤茂吉、なにか、異様なものを抱え込んでいますよね!…「にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり」(『赤光』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 15:14:53
@atoreides 賛成。齋藤茂吉には、なにかえたいのしれないところがあります。そして、それが、この人が、長い間、日本人にとって忘れることができない理由の、一つだと思うのです。「戦後派の一首の歌に角砂糖の如き甘きもの少しありたり」
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 21:56:03
…前登志夫『青童子』には、斎藤茂吉愛用の洩瓶が「極楽」と名づけられての一首が。 〈祀られし極楽といふ古バケツ茂吉山人の地獄あふれて〉
posted at 21:46:42
自殺せる狂者をあかき火に葬りにんげんの世に戦(おのの)きにけり(斉藤茂吉『赤光』1913)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 21:39:41
1923年ミュンヘン留学時代の斎藤茂吉の歌、医学博士としての動物生体実験歌に続いて、ヒトラーによる「ミュンヘン一揆」の諸相を詠ってきていて、何この得体の知れない人は?と思わせられる。
posted at 21:33:23
〈一匹の犬の頭蓋に穴あけし 手術にわれは午前を過ごす〉〈けふ第二の犬の頭蓋の手術をば つひに為したり汗垂りながら〉 斎藤茂吉の、五七による動物実験記録。
posted at 21:21:30
茂吉、怖い歌多いですよね! 動物実験等を歌題に詠む、という試み自体が恐怖を孕んでいるとも言えますが。 RT @yasu_kum: 「めん鷄ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり」(斉藤茂吉『赤光』1913)…これも「恐怖短歌」?…RT @sakaPI:
posted at 21:09:05
…「エロティック」というよりも、「猥褻」という漢字の合う歌だろうか。
posted at 20:37:29
〈新緑の湧きあがる森を出でてこし少年の悲哀いまだに熟れず〉〈山姥のほとの匂へり少年の眠れる夜半を大木は芽吹かむ〉〈念入りにペニスケースを作りけむ熱帯樹林に女神(かみ)いましけむ〉〈いつまでも成熟なさぬわが青をしぼりしぼりて春の黒森〉 前登志夫『青童子』
posted at 20:33:28
前登志夫『青童子』、タイトルに相応しく、少年を巡るエロティックな歌も詠まれて来て。何処か少年愛的なニュアンスも嗅ぎ取れるかのような… 〈抜き胴の冴ゆる少年に黒光る胴撃たせつつ性にめざめき〉〈少年のペニスの鞘の華麗なる森のゆふべに翁舞ふらむ〉
posted at 20:26:19
そういえば、先頃、大宮の古書店で買った前登志夫の歌集『青童子』(短歌研究社 1997年刊行)には、こんな一首が。 〈六百年のむかしに殺りし青年の生首匂ふ草のもみぢに〉
posted at 19:52:43
怪談短歌、恐怖短歌の試み、色んな形で行われ詠われ続けてほしいですね! 多人数の連歌で、一首ごとに恐怖の質が変容していく様な歌の流れに触れてみたいものです。 RT @sakaPI: つい最近、Twitter上でやっていましたよ。http://bit.ly/Zf4FLY
posted at 19:43:04
齊藤史歌集『密閉部落』、恐怖短歌ばかりとも言えるかもしれないのだけれど。 〈カーテンが閉ぢつつ映す終場面暗き山遠く裂けしまま消ゆ〉
posted at 19:25:06
齊藤史歌集『密閉部落』には、「怪談短歌」というよりは、「恐怖短歌」とでも呼びたい歌が。 〈てのひらは死を知ることなしおのずから冷たく固くややちぢむのみ〉〈標本瓶のこの脳髄も考へしや永遠といふような漠たることを〉〈サイミンと指もて書けり こと終わりねむりゆくべく眠らせよといふ〉
posted at 19:20:40
齊藤史『渉りゆかむ』より 〈霊園といふ駅に多くの人降りてその先へゆく我と数人〉 何かちょっと、『ゲゲゲの鬼太郎』の『幽霊列車』エピソードを思い出させられてしまう。
posted at 19:09:50
齊藤史『昭和五十一年作品』より 〈窓の外にくだるは露か夜しぐれひそやかにして何か近づく〉
posted at 19:06:52
齊藤史歌集『ひたくれなゐ』より 〈うるはしき月水土春なれば屍室のとびらすひし煽りぬ〉〈薄き月さす病廊を何者か過ぎぬ 酸素テントのごとく光りて〉〈死の足を見たりしかな扁平にしてものやはらかく歩めり〉
posted at 18:59:48
怪談短歌というと、齊藤史にも『ひたくれなゐ』を中心に怪談的な怖さを持った歌が幾つか 〈「遺作」とある小さき画廊 ときたまにドア音もなく開閉をしぬ〉〈梅雨づもり睡き窓辺になめくぢは過去世(くわこぜ)のぬめりひきて這ひたり〉〈置きさられし古き木の椅子いづかたの他界へ落つるべく傾きぬ〉
posted at 18:54:01
短歌百物語 #tanka100stories 怪談短歌、こんな試みも行われていたのか! 2010年以降、続けられていないようなのが残念。 「一語摘み」で拡げられ重ねられていく怪談短歌世界、単語に不吉なものを擦りつけるかのようで、思いもかけぬ怖さへ飛躍も起こり得そうな…。
posted at 18:45:06
短歌百物語 #tanka100stories 、ラストスパートがだいぶ利いてきました。あと20首です。年内にゴールしましょう。
(形式)【番号】前の歌から一語をもらった怪談短歌(拾った一語)/名前 QT @前の人のtweet +ハッシュタグ でお願いします。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 18:17:44
なお、なかにしけふこさんを中心とした「納涼怪談短歌百物語」も涼しく進行中です。こちらもぜひ。http://bit.ly/9H5u4U( #tanka100stories)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 18:17:34
ご近所から奇声が聞こえてくる。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 17:41:22
中学の修学旅行のしおりに注意事項の1つとして「奇声を発しない」というのが書かれていたのを思い出した。あれは教師のギャグだったのか、それともあのころ私たちは奇声を発しがちだったのか。
『収穫』予告編http://p.tl/5OWc
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 17:41:16
…R・シュトラウスがホフマンスタールの「チャンドス卿体験」「保守革命」についてどの様な把握をしていたのか?は、気になるものが。 二人の往復書簡、林光の『日本オペラの夢』中で一部紹介されていたのだけれど、「音楽と言葉」の可能性を巡って、特濃な対話が交わされているようで…。
posted at 00:36:38
『四つの最後の歌』は、R・シュトラウスの死の前年の1948年、「戦後」に作曲なされ。 シュトラウスというと、自分などはついつい「保守革命家」ホフマンスタールの相方との理解してしまうのだけれど、…R・シュトラウス、ホフマンスタールの死後二十年を生き延びていたのだった。
posted at 00:17:01
…リンチが『ワイルド・アット・ハート』で使用していた演奏は、どなたの指揮、歌唱によるものだったのだろうか?
posted at 00:03:57
R・シュトラウス『最後の四つの歌』「第四曲 夕映え」、金管の猛りと歌声の絡みには「爽快な陰鬱さ」とでも呼びたくなるような、音楽ならではの矛盾の統合が在って興奮させられるものが。色々なバージョンを聞き比べてみたいッ!と感じさせられてくるような、音の威力が溢れ。
posted at 00:02:33
勢いでついつい聴いてしまう・・・・R・シュトラウス「大管弦楽のための日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」(R・シュトラウス/バイエルン州立菅)http://ml.naxos.jp/album/291376 繰り返し聴いていると「駄作」の烙印に疑問符がついてくる。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 23:30:05
オーストリアの詩人、劇作家フーゴ・フォン・ホーフマンスタールは1874年の今日生誕。23年間のR・シュトラウスとの共同制作で、文学としても十分な鑑賞に耐えうるオペラ台本を書き上げました。二人は会う機会が少いため膨大な往復書簡を残しました http://bit.ly/y0IOfS
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 23:28:38
ナクソスジャパン Naxos Japan@naxosjapan
【ザOBI】R・シュトラウスの最高傑作の一つが、この「四つの最後の歌」であることに異論のある人はいないでしょう。彼の死の前年に描いたこの落日の音楽は人生の重みと儚さ、そして郷愁まであらゆるものを含んだ美し過ぎるもの。「夕暮れ... http://bit.ly/yHaOGu
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 23:28:08
リヒャルト・シュトラウス『夕映え』、リンチ映画『ワイルド・アット・ハート』での使用は、実のところ、歌唱に入る前の序奏部分のみの断片化されて使用なのだけれど、…改めて序奏に続けての歌詞翻訳に触れると、何か、映画のドラマ部分に対応してくるものも感じられて…。
posted at 23:04:13
…//ここにおいで、ひばりをさえずるままにしよう。/眠る時刻になるから/さびしさのなかで私たちは/迷わぬようにしよう。//おお広い静かな平和、/夕映えのなか深く。/私たちは疲れきっている。/これがことによると死なのだろうか?〉 アイヒェンドルフ『夕映え』(門間直美翻訳)
posted at 22:56:04
アイヒェンドルフ詩『夕映え』(門馬直美翻訳) 〈私たちは悲しみも喜びも/手に手をとって通り抜けて来た。/いまやさすらうのをやめて/わたしたちは高く静かな地で休もう。//まわりの谷は落ち込み、あたりは暗くなった。/ただ二羽のひばりが名残惜しげに/夕もやのなかをのぼってゆく。//…
posted at 22:51:47
そういえば鮫島有美子ライブに続けて、一緒に図書館から借りていたリヒャルト・シュトラウスの『歌曲集』(ジェシー・ノーマン歌唱)を聞いていたら、こちらには、デビッド・リンチ映画『ワイルド・アット・ハート』に使用されていたシュトラウス『四つの最後の歌』の「第四曲 夕映え」が収録なされ。
posted at 22:44:29
まさかと思って検索したらあった!!ってか昨日の投稿じゃないか。これは、名曲。そして、そのうちやろうと思ってたことを先越されましたw 【初音ミク】武満徹 - 『他人の顔』のワルツ (4:30) #nicovideo #sm12964740 http://nico.ms/sm12964740
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 22:40:11
2010年1月20日、N響第1666回定期で、武満徹の映画音楽「他人の顔」のワルツ。 http://bit.ly/9m9rH4 この曲で、これ以上素晴らしい演奏をしりません。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 22:38:36
『他人の顔』のワルツ!武満徹の映画音楽ではこれが大好きです。
安部公房自身が脚本も書き、勅使河原宏の1966年監督作品でした。http://www.youtube.com/watch?v=zwSGGPrTdMU…
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 22:37:16
…晩年の武満徹は、谷川俊太郎に向かって「歌をもっと作りたいから詞を書いてね」と作詞を頼み込んでいたらしく。 …それは実現してほしかった、もっと色々な武満ソング、聴きたかった…、との想いが。
posted at 22:28:47
…にしても『ワルツ』をはじめとしての武満徹ソング、「音響」を重ねていく様な武満オーケストラ曲に対して、親しみやすい華やかなメロディを誇り、思わず口ずさませてしまうような楽しさが! ライナーノートの武満徹の娘、武満真樹の文章によると…
posted at 22:21:51
『他人の顔』のドラマに深く連動しての『ワルツ』歌詞、日本語歌詞の歌唱でなく、他国語詞で唄うという、ビアホールでの映画内ライブの「歌詞の意味を迂回させる」ためのアイデア素晴らしい! 作詞にあたって、岩淵達治さんに勅使河原宏監督、原作者安部公房からの注文などはあったのだろうか?
posted at 22:14:56
〈…/昔 庭先で/別れを告げても/それでも君をあんなに近く感じた/いつか別れる定めであったにせよ/長いことぼくは忘れていたのだ/ある日突然君が他人になることがあるということを//今日の君の肌はまた硬く生気がなくなった/まるで他人の顔の面をつけたように〉 『ワルツ』詞、抜粋
posted at 22:01:51
…『Songs of Love&Heart』ライナーノートには、ドイツ文学者、ブレヒト劇の演出家、岩淵達治さんによってドイツ語で作詞された『ワルツ』のドイツ語原詩と、岩淵達治さん自身によるその日本語翻訳が付され。
posted at 21:56:19
安部公房原作、勅使河原宏監督の映画『他人の顔』のために作曲された『ワルツ』、映画での前田美波里歌唱(とそのドラマ内での使われ方)も素晴らしかったけれど、こちらの鮫島有美子ソプラノによる歌も、聴きごたえ有り!で。
posted at 21:48:55
図書館で、オペラ歌手鮫島有美子のソプラノによる、武満徹作曲ソングを中心としてのライブを収録したCD『Songs of Love&Heart』を借りる。 武満自身や谷川俊太郎による作詞曲、岩淵達治さんによるドイツ語作詞曲『ワルツ』、他『リリー・マルレーン』などが収録なされ。
posted at 21:41:57
齊藤史歌集『杳かなる湖』「夜の道」連から 〈言葉なべて呪文のごとき日もありぬ家の奥処に火を燃して居り〉
posted at 21:31:35
「詩は、ひらがなが凶暴さを帯びてこなければならない」と語られていたのは何方だったか…?
posted at 14:08:15
もちろん、原民喜の詩における「漢字とカタカナのみの表記」は、その詩で語られているものの内的必然に深く応じた故のものと、強く強く感じさせられるのだけれど。
posted at 14:02:09
そういえば以前、「荒地」派の同人による対談を読んでいたら、「漢字とカタカナのみ」の効果に頼っての詩作を批判的に語っているのを見かけたことが在って。1950年代においても、漢字カナのみの表記はただそれだけですでにして或る異様なものを読む者に与えてくる、と捉えられていたこと教えられ。
posted at 13:54:31
…あるいは、受け取る側の感触として、八木重吉のひらがなのみの表記や、原民喜の、漢字とカタカナのみの表記の詩作に感じる、何か゜異様なものに触れた」という感触は、何処から来るものなのか?
posted at 13:46:33
…こうした、日本語のかたちをとって現れてくる存在了解に、「言霊」はどう関わってくるのか? こないのか?
posted at 13:42:11
主語なしに長いセンテンスを書き続けられることを可能とする様な文法構造、「ある」「いる」といった「存在」を示す語の活動体、非活動体の使い分け、「雨に降られる」といった受身の迷惑形、「私」「俺」「ぼく」「自分」といった一人称の多種な在り方…
posted at 13:37:00
しかし、一肇『フェノメノ』の「忌み語」使いには色々と妄想させられたのだけれど、…実際、『万葉集』で語られる様な言霊思想、言霊観念は、日本語の中にどう根を下しているのだろうか?
posted at 13:31:36