日本語の存在語「ある」「いる」の使用区別範囲というと、どのあたりに存するのだろうか? アニミズムに親和的とされる日本での、その言葉に、主体を持つものに繋がる活動体「いる」と、事物に繋がる不活動体「ある」とに、「存在する」その在り方に区切りが点けられているのは興味深く。
posted at 18:23:48
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日本語の存在語「ある」「いる」の使用区別範囲というと、どのあたりに存するのだろうか? アニミズムに親和的とされる日本での、その言葉に、主体を持つものに繋がる活動体「いる」と、事物に繋がる不活動体「ある」とに、「存在する」その在り方に区切りが点けられているのは興味深く。
posted at 18:23:48
@bible_go あるいは、古典では人の存在は「ある」だけだったから、訳した方がその延長で神に対して用いる存在動詞を「ある」にした、ということでしょうか。
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retweeted at 18:16:24
@bible_go どうしてそのように訳したんでしょうね。考証したら論文一本くらいになると思います。考えられるのは、日本語の尊敬語が、目上の人の自発性を消す表現だから、というものでしょうか(だから受け身と尊敬語が似ている)。
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retweeted at 18:16:18
@shinobuyoshi 「わたしはある」というお方は、自発性がなかったということなのだろうか。
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retweeted at 18:16:13
「いる」と「ある」の使い分けは、主語が自発的に動くものかどうかについての話者の判断によるらしい。そうすると、「幽霊」が「いる」と言う人は、幽霊に自発性を認めている、ということになる…。
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retweeted at 18:16:11
@orionaveugle 違星北斗歌、「うたを詠む」というよりは、「うたを怒鳴る」と形容したくなるかの強烈な意志の表出あって、興奮させられてしまいますね。 この歌群には、どのような発語があうのだろうか?と、つい繰り返し、繰り返し、音読してしまっています。
posted at 18:15:24
作画担当の中城健による、車椅子から飛び上がって敵に延髄切りを極める英雄/卑劣漢の、そのすさまじいばかりの脚の瞬発力を捉えた大ゴマは忘れ難く。 梶原一騎『空手地獄篇』シリーズ
posted at 16:52:39
…レジスタンスの仲間を売り渡し、脚は何のダメージも負っていないという卑劣漢という設定で、。 しかしその卑劣漢は、フランスの、キックを主体とした格闘技サファーデの達人でもあり。
posted at 16:38:45
車椅子キャラといえば、梶原一騎の『空手地獄篇』での、フランス編に登場した車椅子キャラも強烈で。 表の顔は、第二次世界大戦時にレジスタンスに従事し、ナチに拷問され、耐え抜いたものの、脚がボロボロとなってしまった車椅子暮らしの英雄、しかし、その真の顔は、拷問にあつさりと屈し…
posted at 16:31:59
直ちに連想したのは『博士の異常な愛情』の「博士」と『第9地区』のオビサンジョ。 RT @atoreides: RT @rakanka: 車椅子キャラが本当は立てることを隠していたり超兵器を内蔵していたりするのは、車椅子が立つ人-座る人の権力関係を転倒させる装置だからでは...
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retweeted at 16:22:54
大体さあ、クトゥルフ神話って何よ。そんなもの本当に神話かよ、ぐらいはかましてこようと思います。
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retweeted at 16:19:54
おお! 「恐怖バー」が復活とは!!! RT @KYOFUBAR: 恐怖バー 次の配信は4月11日(水)の夜を予定。テーマは 学生映画/自主映画の現状と問題点について。詳細は追って。
posted at 16:14:48
車椅子キャラが本当は立てることを隠していたり超兵器を内蔵していたりするのは、車椅子が立つ人-座る人の権力関係を転倒させる装置だからではないかしら。フリッツ・ラングとか非常に印象的。
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retweeted at 16:09:57
ラング『死刑執行人もまた死す』、ラングの映画企画にヘルベルト・ブレヒトが脚本で招かれたのだろう、と思っていたら、ブレヒトがラングに企画を持ち込み、共作を呼びかけたのだという。「死刑執行人」ハイドリヒの死の十日後。
posted at 06:04:54
千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji
アントン・ディフリング出演の戦争映画ではチェコの抵抗派がハイドリヒを暗殺する『暁の七人』が良作。A・ディフリングは暗殺されるラインハルト・ハイドリヒの役だが、この映画はハイドリヒを単なる悪役としてではなく、娘や妻との関係から人間としてのハイドリヒも丁寧に映像にしている。
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retweeted at 05:55:16
千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji
旧知の超美形のフラメンコ・ダンサーの女性が今はスペインに在住しているが、向こうの映画で、冷酷なゲシュタポ専門の俳優のギュンター・マイスナーと共演したらしいが、とても気さくで親切な良い人だったと言っていたことを思い出した。
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retweeted at 05:54:58
千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji
アントン・ディフリングというとギュンター・マイスナーと並ぶ、憎々しいゲシュタポの役でハリウッド製の戦争映画でも知る人ぞ知る俳優だが、ハリウッド映画での表情と異なりドイツ映画では、金髪とブルーの目をした繊細な男の役をしており、かなり新鮮でもある。
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retweeted at 05:54:35
千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji
マブゼ博士といえばフリッツ・ラングの映画だが、戦後の西ドイツのマブゼ博士物を見ると、P・ファン・アイクやG・フレーベ、W・プライス、W・ペータースその他、ハリウッド映画にドイツ将校役で出演している俳優たちが、刑事や悪人の役で総出演しており、復員後の元将校たちのように思えて面白い。
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retweeted at 05:49:42
千坂恭二さんの映画論考群、『犯罪者と革命家の十字路』『国家を撃つテロルの地平』『歴史における巨視と微視』…など、どの様な映画が取り上げられているのかもわからぬままに、そのタイトルに強烈にそそられてしまい。
posted at 05:45:11
千坂恭二さんの論考と云うと、政治論考と共に『映画批評』に掲載された映画論群なども、ぜひとも纏めて、出版してほしいものなのだけれど。
posted at 05:34:21
非公開
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『メインストリーム』02及び01は武蔵野美大7号館入口「物々交換所」(鷹の台から徒歩又は国分寺からバス)と美学校「棚ギャラリー」(神田神保町2-20第2富士ビル3F)でも早い者勝ちで入手して頂けます
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retweeted at 04:24:44
千坂恭二(Kyoji Chisaka)@Chisaka_Kyoji
芸術家は「黙って良い作品さえ作ればいい」とよく言われる。本当にそうなのか。「良い作品」の根拠は何なのか。技法なのか。私は芸術家は寡黙ではなく能弁であるべきだと思う。例えば『メインストリーム』における「弾圧」とは「能弁」の謂と理解すべきだろう。
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retweeted at 04:23:37
そういえば、漫画を読んでいて、その漫画の中のキャラクターの訪問や語りかけを受けているような心持になることはあっても、不思議と、作者の訪れを受けている感触は受けたことがなく。 隣りや、すぐ後ろに、手塚や楳図やピーチ・ピッドがいて…ということが起こらない。
posted at 03:47:21
私もシモーヌ・ヴェーユを尊敬している。けれど彼女は聖女ではない。旧約聖書の情熱と不寛容を忌み嫌っていたけれど、その情熱と不寛容を彼女はたぶんに持ち合わせており、自分の出自である旧約聖書を軽蔑していたにもかかわらず、彼女は旧約に似ている。女のエゼキエルないしイザヤのようなものだ。
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retweeted at 03:31:26
ドストエフスキーの小説で、男と女が理解し合えず、互いを苦しめ合うのは、Dにとって、性はつまるところ凌辱か、純粋主義にほかならないからである。彼の小説の登場人物は、放蕩者と天使であって、「人間」はほとんどいない。Dは間違いなく人間ではなかった。(『カイエ』)
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retweeted at 03:28:57
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本を読むということが、時に、まさに実際に会う以上の「訪問」「不意打ちを受ける」ということであるのはわかるのだけれど。
posted at 02:11:37
シュミットの獄中記におけるシュティルナー記述は、何気に、変なニュアンスを孕み、怖く。 「…今獄舎に私を訪れている唯一者はマックスである。この凶暴なエゴイストがこうして訪れてきたことに私は深い感銘を受ける」
posted at 02:05:29
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マックス・スティルナー 「かくて我等は再び森の獣、野の花のようになろう。」
posted at 01:41:17
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黒き豺歩みゐて
ひねもす語る絵空事
「現世ノ面背ニ負ヘ」
「怪ハワレ屠リ幸ヲ得ム」
(くろきやまいぬあゆみゐてひねもすかたるゑそらことうつしよのめんせなにおへけはわれほふりさちをえむ) #パングラム #いろは歌
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retweeted at 01:35:49
館へ汗す朧夜に 女の悲鳴劈きぬ 鳩胸抉る銛揺れて 負けゐし小知恵うそ笑ふ
やかたへあせすおほろよに おみなのひめいつんさきぬ はとむねえくるもりゆれて まけゐしこちゑうそわらふ
オリジナルいろは19弾は、間にあわなかった探偵。
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閉ぢぬる室(むろ)に遺体(ゐたい)あり 鍵は机で腕部なし 砒素残す魚(うを)大絵皿(おほゑざら) 眉根八重(やへ)寄せ目も見けれ オリジナルいろは、18弾は密室ミステリ。
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retweeted at 01:34:54
露置く梢(こずゑ)陽も濡れて 畝(うね)の紫陽花(あぢさゐ)霧けぶる 空見む虹を手弱女(たわやめ)と 繊翳(せんえい)叶へまほろばよ オリジナルいろは、17弾。
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衣落ちゐし少年(せうねん)に 北叟笑(ほくそゑ)む魔魅(まみ)叫(たけ)び乗る 夜半(よは)囀(さへず)りつ雪荒れて 否めぬ科(とが)を得笑ふや オリジナル短歌、16弾修正。腐注意。
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鉾あげ率(ゐ)ぬる鷺(さぎ)烏(からす) 卍巴(まんじどもゑ)に入り乱れ 骸(むくろ)八十(やそ)なせ追ひ詰めよ 吾(わ)の冬得ては打ち終へね オリジナルいろは、15弾も囲碁で。
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白雪は木食侘し求めなめ灯火湧きし雲は消ゆらし(しらゆきはもくしきわひしもとめなめともしひわきしくもはきゆらし) 回文短歌6作目。木食(もくじき)は木の実や草だけを食べて修行すること、また、その人。
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違星北斗bot在ったとは!!
posted at 01:30:01
※「何ッ! 糞でも喰へ!」と剛放に どなった後の無気味な沈黙 (違星北斗、「小樽新聞」昭和2年10/28)
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retweeted at 01:28:26
※ナニッー糞でも喰らへと剛放にどなったあとの淋し―――い静(違星北斗、『志づく』S3年4月)
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※アイヌは単なる日本人になるじゃない神ながらの道に出て立て(違星北斗、『志づく』S3年4月)
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retweeted at 01:25:53
生成語「なる」は、もう『古事記』の冒頭初っ端から用いられてきて。「天地初發之時、於高天原成神名…(あめつちはじめてひらけしとき、たかまのはらになるかみのなは…)」 万葉仮名で、「成」という漢字が用いられていたかどうかはわからぬものの。
posted at 01:07:35
…「ある」「いる」についての言及は、第一章「人間を作る言葉 言葉を作る人間」においては、無く。 「なる」という生成語については言及あるものの。
posted at 00:54:38
古書店で大野晋『日本語の年輪』(昭和四十一年)を購入。「うつくしい」「すき」「…ます」といった種種の日本語の語源を、豊富に用例を引きつつ辿っていく試み。「ある」「いる」という日本語の存在を示す言葉の、語源近くまで遡る試みも為されているのではないか?と期待したのだけれど…
posted at 00:49:13