…詩の言葉が「故郷」を捉えようとすると、言葉はなぜかくもその「不気味さ」をあらわとするのか。
posted at 01:59:18
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…詩の言葉が「故郷」を捉えようとすると、言葉はなぜかくもその「不気味さ」をあらわとするのか。
posted at 01:59:18
しかし、入沢康夫さんの『わが出雲』と那珂太郎『はかた』の、両詩人によるによる相互改作『重奏形式による詩の試み』を読み返していて、改めて、強く感じさせられたのだけれど、二十世紀以降の詩において…
posted at 01:57:16
入沢康夫さんの詩『わが出雲』 神話的なもの、荒魂が、日常的な口語の中に現れてくるかの恐怖の瞬間が表出されてきて、「怖い言葉が在る」というよりは、「言葉とは怖いものだ」という触知を与えてくる詩であり。 そして、読み返す度に、その怖さは増していくかの…。
posted at 01:49:10
入沢康夫さん(@fladonogakobuta )がツイッターを為されておられたとは!
posted at 01:40:30
「わが詩的信条(クレド)」追補 そして、強いていまひとつ追加するなら(これはあるいは第1項の言い換えかもしれないが)、3.「わが詩」においては、叙述は述べんが為の叙述ではなく、語りは語らんが為の語りではない。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 01:38:01
「わが詩的信条(クレド)」ということになると、とりあえず思い付くのは、次の二点である。1.「わが詩」のことばは、わが「詩のことば」ではありえない。 2.わが詩は、私を右斜めうしろから支え鼓舞する「何物か」が在る時、その時のみ「わが詩」となる。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 01:37:54
歌人としての実朝はどの様に描かれていたのか? 『草燃える』
posted at 01:32:33
『草燃える』において、承久の乱がどの様に描かれていたのかも記憶になく。 ウィキペディアを見ると、最終一話であわただしく描かれていたらしいけれど。
posted at 01:13:39
NHK大河ドラマ『草燃える』 放送当時、しっかり毎週見ていたはずなのだけれど、ディティールがほとんど思い出せず。 公暁が、実朝殺しの後、後ろ盾に見捨てられて、篝火に追い立てられながら暗闇の中で叫んでいた…とのシーンのみ覚えていて。
posted at 01:10:38
@atoreides どうも。塚本さんは、『草燃える』で後鳥羽院が馬鹿、定家が醜男にされてたのを本氣で怒つてました。脚本の中島丈博は、永井路子の原作だけでなく、塚本本も参考にしてたらしいんですけどね。水谷はブレイク前に、『水滸傳』で皇帝役を演じてをり、なかなか風格がありました。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 00:50:26
定家を岸田森というキャスティングは素晴らしいですね。思い浮かべているうちに、それ以外のキャストが思いつかなくなってしまいました。RT @sakakikyousuke:塚本邦雄の『菊帝悲歌』と『火宅玲瓏』を下敷きに、実相寺昭雄が新古今時代を映像化。後鳥羽院=水谷豊、定家=岸田森
posted at 05:29:02
それにしても新大河、頼長に続いて早くも後白河を投下して來るとは。大河の歴代後白河は瀧澤修と尾上松緑で、歳取つてからが中心だつたから、若い頃が描かれるのは初めてですかね。翔太は親父より長生きして大物になるかも。で、崇徳が若松映畫で三島役演つてる人なのね。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 04:52:32
十代の頃の夢想。塚本邦雄の『菊帝悲歌』と『火宅玲瓏』を下敷きに、実相寺昭雄が新古今時代を映像化。後鳥羽院=水谷豊、定家=岸田森、良経=田村亮、俊成=岡田英次、式子=岸田今日子、家隆=成田三樹夫、慈圓=中丸忠雄様、俊成卿女=緑魔子。
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retweeted at 04:50:25
そういえば、三島由紀夫が、後鳥羽院と藤原定家の関係性を描く小説を考えていた…というのを何かで読んだこと在ったのだけれど。何で見かけたのだったか…?
posted at 04:46:56
塚本邦雄に『菊帝悲歌―小説後鳥羽院』というのがあるので、あれを原作にしてほしいです。 RT @atoreides: @kbtysk33 しかし、承久の乱という政治的営為と、『新古今』勅撰事業という歌への寄与との関係性について、 高いレベルで捉えて物語化するのは、まさに難物
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 04:41:26
…設定されていたこともあり、語られた話題のディティールへの言及はなく。 キーンの「西洋的」の概念規定と、三島文学の「翻訳しづらさ」の内実は語られぬままに。 出版されてきているドナルド・キーン全著作集など読めば、このあたりについてきっちりと記述されてきているのだろうか。
posted at 04:40:37
「西洋的」と捉えられることは、その翻訳の為しやすさとも直結してきそうとも思えるのだけれど、そうではなかった…との三島文学へのキーン発言。 読んでいて「そこの処、もうちょい詳しく!」と願ったものの、キーンへのインタビューの主題が「翻訳者としての日本文学全体への感想」に設定されて…
posted at 04:38:03
NHKのラジオ放送紹介誌『ラジオ深夜便』を読んでいて、ドナルド・キーンの日本文学翻訳についてのインタビューを見つける。 三島由紀夫の文学について、キーンは「彼の言葉は西洋的ではあるけれど、翻訳しやすいものではなかった」との、何か矛盾を感じさせる発言を行ってきて。
posted at 04:31:12
シェンキヴィッチが『クオ・ヴァディス』で、詩人としての皇帝ネロを捉えるために「ローマ大火災」の要因を…とした様に、後鳥羽院に対しても、その詩と政治を結びつけて「見せる」ための、何かしらの具体化装置が必要となりそうな。 後鳥羽院ドラマ。
posted at 04:27:25
『後鳥羽院』ドラマ、物語的に纏めやすそうなのは、後鳥羽院の、歌と政治への希求をそれぞれ分裂させて描いてしまうことなのだろうけれど、それでは、後鳥羽院を描く意味自体が消失してしまいかねず。
posted at 04:22:45
『後鳥羽院』ドラマ、保田與重郎が生きていたならば、監修を任せてみたいもの。
posted at 04:14:59
くぼたさん(@kbtysk33)の挙げておられた「後鳥羽院」を主人公にしての大河ドラマ、無茶苦茶見てみたく。 しかし、承久の乱という政治的営為と、『新古今』勅撰事業という歌への寄与との関係性について、 高いレベルで捉えて物語化するのは、まさに難物そうで。
posted at 04:10:33
後白河院の大河とかも見たいね。面白そうな人だしこれは割とありえそうな気がする
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 04:01:16
やっぱ文学的には後鳥羽院の大河とか見たい
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 04:00:40
ヴォークト『非Aの世界』、金星で主人公ギルバート・ゴッセンが見かけることになる書物のタイトル 「金星のアリストテレス的ならびに非アリストテレス的歴史」「非アリストテレス的金星でのエゴティスト」「機械とその建造者たち」「犯罪人なき世界における探偵」…果して一体、どういう内容なのか?
posted at 03:41:51
在りそうですねぇ。 ディック、『非Aの世界』とか、絶対読んでいそうですよね。 非アリストテレス! RT @Seki_Etsushi: @atoreides A・E・ヴァン・ヴォークトもディックへの影響あるのでは。http://t.co/2BCTfOBa
posted at 03:35:12
そういえば、「ディックに影響を受けた作家」は幾人も思い浮かぶものの、「ディックに影響を与えた作家」というと、全く知らなくて。ベスターの『分解された男』あたりは読んできているんだろうな、と思いつつ…。 あの『火星のタイムスリップ』のガブル言語はどの様にして形成されていったのか。
posted at 03:12:56
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『幻詩狩り』で、謎の青年フー・メイの「幻詩」に憑かれてい実在人物のリストは、ブルトン、アーシル・ゴーキー、ポール・エリュアール、イヴ・タンギー、それにフィリップ・K・ディック…。 このリストに対して、翻訳によって『幻詩狩り』に触れた英語圏の読者たちは、どの様な反応を持つだろうか。
posted at 02:48:41
『幻詩狩り』への影響関係、方法論的な寄与は、シュルレアリスムよりも、むしろ1950年代からのP・K・ディックのSF作品、特に『火星のタイムスリップ』にこそ強く見出せると思えるものの。 「ガブラーが、お前をガブルガブルするぞ、お前をガピッシュしてしまうぞ!」
posted at 02:40:54
そういえば、『幻詩狩り』は、アンドレ・ブルトンがとり憑かれた謎の詩人の存在が、『虐殺器官』は、ナチス体制下のドイツ語圏の言葉から抽出されたあるものが物語の根幹に据えられてきて。 共に、何処か、大戦間期の、言葉の在り方を揺さぶるものの問題系に反応してきている作品かの。
posted at 02:11:22
出来得れば、続けて、『幻詩狩り』は仏語訳なされてフランス語圏読者へ、『虐殺器官』は独語訳なされてドイツ語圏読者へと、届いてほしいもの。
posted at 19:20:18
えええあれ英訳しちゃうのあれホラーだろほとんど…こわい 【https://t.co/Edj5DmOu 川又千秋氏の『幻詩狩り』英訳がいよいよ来月、ミネソタ大学出版局より刊行予定】
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retweeted at 19:15:41
川又千秋『幻詩狩り』英訳、成されたのか。 そういえば、伊藤計劃さんの『虐殺器官』英訳も進められているはずで。 「言葉」を主題とした日本SFの二大作が、たて続けに英語圏読者に受け渡されることとなるとは。
posted at 19:15:01
川又千秋氏の『幻詩狩り』英訳がいよいよ来月、ミネソタ大学出版局より刊行予定。同書に寄稿した序文は、一足先に 批評誌 NYRSF2012年 2月号の巻頭を飾った。http://t.co/x3GRtgZO ちなみに、その日本語版は下記。http://t.co/Hx4ZrPEJ
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retweeted at 19:06:48
第一次と第二次の大戦間期に思想形成した哲学者には、何か、詩語が安定的な社会契約に基づく秩序形成に、…参画するのでもなく、その秩序からの逃避先と受け取るのでもなく、詩語をそうしたものの外側に在る不気味なものと捉える視座があって、興味深く、怖く。
posted at 19:05:55
詩の悪臭はどれもみな散文に毒を盛り、散文を呼吸不全におとし入れる。(「カイエ」)
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retweeted at 18:59:05
なぜ私たちは、概念以前にまでさかのぼって、じかに語感そのもので文章をつづることができないのだろう。触覚のどんな微妙な変化をも記録し、爬虫類が作品制作に乗り出したら、こうもあろうかという仕事がなぜできないでいるのだろう!(『生誕の災厄』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 18:57:58
理論は、かつてそれに成功を与えた同じもの、すなわち文体によって滅びる。それらが生き返るには、われわれの隠語で考えなおしてみるか、さもなければ、それらを完成の前の状態、すなわち根源的で、不定形の現実として想像してみなくてはならない。(『実存の誘惑』)
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retweeted at 18:55:33
シオランbot(@Cioran_Jp)面白い。 発信しておられる方がこまめに更新なされて、ツイートの繰り返しがほぼ無いおかげもあってか 、…何か、時々、シオランが未だに生きていて、現在進行形でツイートしているかの錯覚を感じさせられてしまうことが。
posted at 18:53:56
ハンガリア語の魅惑に、そのおぞましさに、甘露とシアン化物とでできたその単語群、断末魔に発せられるにふさわしい単語群に、私は圧倒されます。私たちはハンガリア語でこそ息をひきとるべきでしょうし、逆にまた、ハンガリア語でこそ、死ぬことを否認すべきでしょう。(『歴史とユートピア』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 18:43:19
ハンガリー人は咆哮することができる唯一の民族である。叫ぶとは空間の前での絶望だ。それゆえ、平原あるいは山頂でわれわれは不満になる度に、叫びは広大な空間の誘惑への唯一の返答と思われるのだ。(『ルーマニアの変容』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 18:38:01
知恵とはたぶん、激しやすく残酷な民族の発明したものだ。日本人は、解毒剤、歯止めとして禅に執着した。彼らが禅に見届けていたのは、一種の自己抑制の武器、日本人独特の残虐行為を禁ずるために、みずからの特性をもって入念に作り上げた一種の治療法だった。(『カイエ』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 18:37:16
すぐれた劇作家は人殺しのセンスをもたねばならぬ。エリザベス朝の劇作家たち以来、だれがいったい登場人物の殺し方を心得ているというのか。(『苦渋の三段論法』)
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retweeted at 18:36:18
私は残虐非道のイギリスの過去が好きだ。これほど激しく血に染まったポエジーが、これ以上に野蛮で、背徳的で、誇り高くも犯罪的なインスピレーションをもつポエジーが他の国にあるだろうか。だがこの民族は、国会の議員席で何と嘆かわしい最期を遂げてしまったことか。(『祈祷書』)
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retweeted at 18:35:18
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賢者だったモンテーニュは後継者を持たなかった。ヒステリーのルソーは、いまだに諸国民を揺さぶっている。いかなる煽動家をも感奮せしめたことのない思想家しか、私は好まない。(『生誕の災厄』)
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retweeted at 03:45:06
人間にとっての破局、それは人間がひとりでいられないという事実に起因します。自分ひとりでいられる人間はひとりもいない。ひとりで生きている人もみな急いでテレビやラジオをつける。もし政府がテレビを禁止したら、沈黙が恐ろしいあまり、人間は街頭で殺し合いをやらかすんじゃないかと思いますよ。
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retweeted at 03:43:40
賢者だったモンテーニュは後継者を持たなかった。ヒステリーのルソーは、いまだに諸国民を揺さぶっている。いかなる煽動家をも感奮せしめたことのない思想家しか、私は好まない。(『生誕の災厄』)
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 02:43:36
「ところで民衆はどうなっているのだ?」民衆という言葉を反語をまじえずに用いる者はそれだけで失格だ。「民衆」の運命がどういうものか、みんな知りすぎるくらい知っているではないか。歴史の気まぐれの軛に苦しみ耐えること、自分たちを圧し潰す悪しき意図に賛同すること、これが民衆の宿命である。
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 02:22:14
かくも圧縮された空間に、かくもおびただしい人間が、どうして殺し合いもせず、生命に関わるまで憎み合うこともなく共存していられるのであろう。有り体に言えば彼らは憎み合っているのではあるが、憎悪を実行にするだけの能がないのである。この無能力が社会を救い、持続と安定を保証しているわけだ。
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retweeted at 02:17:45
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戦術としての無垢、だよ満員の電車を群衆とともに下車する #tanka #jtanka
Retweeted by アトレイデス
retweeted at 01:54:00
…あるいは、1970年代に『生ける屍の夜』や『イレイザーヘッド』といった映画と、その深夜上映という上映形態を成功させた「口コミ」というメディアを、ネットは強度を維持したまま拡大し得るのか? それともネット経由によってサクラの言葉めいた胡散臭さ孕まれて、影響力はむしろ散逸するのか?
posted at 01:12:47
ルーマニア革命での、虐殺を捏造する、「ティミショアラの虐殺」情報を流すことによって蜂起を促す…といった技術は、強い双方向性持ったメディア上においても、成立し得るのだろうか、し得ないのだろうか? 成立なるとすれば、どのような条件を満たした上でのこととなるのか。
posted at 00:49:16
「群衆」の在り方が、「街頭」から「ネット上」に変容した、とよく聞くのだけれど、それが然り、として、そこでの群衆への呼び掛け、ユンガーの語る「Dictare」の言葉は、どのように産まれてくるものとなるのだろうか? その言葉の効果的な在り方は、どのようなものと成ってくるのだろうか?
posted at 00:41:37
マキャヴェッリbotのつぶやきを見ていて、ふと、「Dictatura(独裁)」と「Dictare(語る)」の語源的関連性を指摘していたエルンスト・ユンガーの論考を思い起こす。
posted at 00:34:16
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…レオ・シュトラウス『哲学者マキャヴェッリについて』(翻訳、飯島昇蔵、厚見恵一郎、村田玲)、学術書として、値段もまたそれなりであり。むむむ。 レオ・シュトラウス著作が文庫などで気軽に手に入る状況が生れてきてほしいもの。
posted at 00:23:47
シュトラウスの把握する「マキャヴェッリ」像は、政治哲学のみならず、キリスト教真理の没落、崩壊後の「近代哲学」の先駆者として捉えられてきているらしく。マキャヴェッリについて『君主論』や塩野七海『マキャヴェッリ語録』ぐらいでしか知らないものにも、興味深く感じられる視座在るのだけれど…
posted at 00:17:27
毎日新聞で、ハイデガー、フッサールの弟子筋にあたる政治学者レオ・シュトラウスの論考『哲学者マキァヴェッリについて』(勁草書房)の、本村凌二による書評を見かける。 …マキャヴェッリの、古代ローマの歴史家リヴィウスの書と対話しての著作『ディスコルシ』と対話するレオ・シュトラウス。
posted at 00:11:12