エズラ・パウンドの目の付け所って独特だな。ガスコーニュ公ギョーム・ド・ポワチエとか、トルバドゥール的な南仏の詩がダンテ、チョーサー、ヴィヨンにまで影響を及ぼしていたと彼は言ってるが、ヨーロッパ中の詩の源泉が南フランス、そして間接的にはアラビアということになるな。。
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エズラ・パウンドの目の付け所って独特だな。ガスコーニュ公ギョーム・ド・ポワチエとか、トルバドゥール的な南仏の詩がダンテ、チョーサー、ヴィヨンにまで影響を及ぼしていたと彼は言ってるが、ヨーロッパ中の詩の源泉が南フランス、そして間接的にはアラビアということになるな。。
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イタリアのグイードとダンテ、フランスのヴィヨン、イギリスのチョーサーは、その芸術、その技巧、そのものの考え方の多くにわたって、すべてプロヴァンスにその根をもっていた。
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retweeted at 23:59:04
北欧伝説にはチョーサーに匹敵する人物描写がいくらかはあるが、ボッカチオでは少く、ペトロニウスでは多様性が足りない。多少とも「それに似た」ものを考えようとするならば、プラトンのユーモアを思い起こすことになるかもしれない。
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retweeted at 23:56:35
白沢達生@となりにある古楽✍️西荻窪FALLありがとうございました@t_shirasawa
1885年生まれのエズラ・パウンドが16世紀の多声音楽とインタブに触れているの、1882年生まれの友人ジョイスがドルメッチ協会にリュート購入を打診してるのとかぶる
1914年、イェーツを介して巡り合った二人の最初の接点はジョイスの連作詩「室内楽」だった…音楽と過去への眼差し、20世紀初頭。 https://twitter.com/bot_ezra/status/1340245232877666310… https://pic.twitter.com/IxIn8ViiFE
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retweeted at 23:54:24
五〇〇人のトゥルバドゥール詩人が、気を逸らす映画も小説もラジオもなく、一〇五〇年から一三〇〇年にかけて生み出したのと同じくらいの数の詩の業績を、わずかひとりの人間、あるいは六人の人間が、五年、あるいは二十年のあいだに生み出すことができないのは、当然の話だ。
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retweeted at 23:49:38
@inwdns (・・・) その願いに応えてパウンドやイェイツの前で能を演じたのが、郡虎彦=萱野二十一、久米民十郎、『鷹の井戸』を初演することになる伊藤道郎の三人。 (・・・)
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retweeted at 23:42:11
一般的には能のコンテンツ自体は、フェノロサの翻訳をパウンズが紹介して、イェイツの鷹の井戸につながるみたいな話(個人的にはここに郡虎彦の存在を欠かすべきでないとおもうけど)になるけど、こういう具体的な舞台、衣装、歴史の紹介もあったんだねぇ、、、 https://twitter.com/yakumoizuru/status/1373521993295753220…
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retweeted at 23:41:44
郡虎彦『鉄輪』と泉鏡花『多神教』の二本立て上演、何処ぞで決行なされないものか…?
posted at 23:32:46
『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション〈呪〉』(東雅夫編 羽尻利門絵) 制作追い込み中!3月25日発売予定です。シリーズ最恐と噂される本巻。【幻妖チャレンジ!】「鉄輪」(郡虎彦)の恐ろしさに震えます……。 https://pic.twitter.com/awdChcXImp
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retweeted at 23:30:41
泉鏡花フェスティバルで思い出したが、萱野二十一(郡虎彦)を当時一躍有名にした『太陽』懸賞入選作の掲載号、泉鏡花の『櫛巻』も載ってたのでこんな並びが実現していた。新進の作家にとって、森鴎外や内田魯庵、そして泉鏡花と名前が並んだことはどれほど僥倖で自信となったかわからない。 https://pic.twitter.com/6k0VwAAIhr
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retweeted at 23:29:55
@atoreides 郡、渡欧前にイェイツの戯曲『ディアドラ』の翻訳(『ダイアダア』)もしています。今、入手はなかなか難しそうですけど(笑) あ、創作戯曲『道成寺』は、“青空文庫”でも読めるんですね… http://www.aozora.gr.jp/cards/001077/files/42146_20518.html…
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retweeted at 23:27:15
郡虎彦、エズラ・パウンドやイェーツを前にしての能の上演、ダンヌンツィオの翻訳を通しての三島由紀夫への影響など、その「触媒」としての重要性は色々と聞くところではあったのだけれど、…彼自身の創作も面白そうな!!
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retweeted at 23:27:05
白樺派の最年少作家郡虎彦、学習院時代にはシュニッツラーやホフマンスタールに親しんだらしく。この辺りは成程、三島由紀夫を想起させて。 ドナルド・キーンは郡の能楽リライトと三島『近代能楽集』との「差異」を語っていたけれど、ホフマンスタールを二人の間に噛ませると…?
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retweeted at 23:27:01
@ISOGAI_1 これは、あるいは、オフレコで衝動的に語られた言葉なのかもしれない。」とも。
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retweeted at 23:25:51
@ISOGAI_1 けているわけではなくて、三島自身が自分の文学と郡の文学とが近しい関係にあるということをほのめかしていたらしいことがわかるのである。」
また「活字化された『群像』の創作合評の中には本多の記している三島の言葉は見あたらない。
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retweeted at 23:25:45
@ISOGAI_1 折りに、三島由紀夫が『あれは志賀直哉に追い出されて、外国へ行ってしまったのだ。』という意味のことをいった。『白樺』派のなかで興味のあるのは郡虎彦ただ一人、という口振りであった。
ということで、三島の文学に郡の文学と似通う趣きがあるとただ一方的に私がきめつ
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retweeted at 23:25:39
小田切進『昭和文学論考』に収録されていた「ダヌンツィオの受容」(平山城児)は『ダヌンツィオと日本近代文学』(試論社)とは別の論文でした。
「本多秋五の回想(『明治文学全集』76巻の解題)によると、
いつか『群像』の創作合評のときであったと思う。偶然に郡虎彦のことが話題になった
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retweeted at 23:25:36
@ISOGAI_1 (私にとって)些細な疑問というのは、Wikipediaで郡虎彦を引くと「虎彦はまた、ダンヌンツィオの『秋夕夢』を日本に翻訳紹介し、三島由紀夫に大きな影響を与えた」とあるのですが、これは本当か?というものです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E8%99%8E%E5%BD%A6…
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retweeted at 23:24:44
@ISOGAI_1 郡虎彦?誰?でしょう。郡は白樺派の1人で、34歳の若さで亡くなりましたが、戦前(大正時代)ヨーロッパで評価が高かった劇作家です。三島由紀夫が登場した時、武者小路等は「郡の生まれ変わり」と評したとか。杉山本によれば、実際、三島は郡に傾倒したことがあったそうです。
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retweeted at 23:24:37
京大国語学国文学研究室/編『國語國文』のいただいたバックナンバー中には太宰が『日本浪漫派』誌に発表した『道化の華』論(宮崎三世氏執筆)や、日本文壇のホフマンスタール受容に触れつつの『郡虎彦(萱野二十一)の出発 ―「松山一家」を中心に―』(松本和也氏執筆)なども収録なされていて、ありがたく。
posted at 23:21:45
浦和中央図書館のリサイクル図書で、京都大学文学部国語学国文学研究室/編の『國語國文』八七七~八〇〇号と東京大学国語国文学会/編の『國語と國文學』「上代文学研究の展望」特集号をいただく。
posted at 23:10:57
浦和中央図書館、「技術哲学」括りの列もあって、ユク・ホイの『中国における技術への問い』とフリードリヒ・ゲオルク・ユンガー『技術の完成』が並んでました。
posted at 23:04:17
しかしとりあえず浦和中央図書館にクロコウ『決断 ユンガー、シュミット、ハイデガー』が置かれているのは確認。 あとリーダーバッハ『ハイデガーと和辻哲郎』も在り。 https://twitter.com/atoreides/status/1628367270232858624…
posted at 22:59:46
クロコウ『決断』ではユンガーとハイデガーに比べると知名度低いシュミットをちょっと紹介しておきますねとあるけど、隔世の感がありますね。いまや押しも押されもせぬ。一部の専門家を除いてケルゼンなどあまり読まれなくなりつ。
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retweeted at 22:51:40
ユンガーの西部戦線従軍記読んでいる。敵陣に突撃するときいつも「左翼」に陣取っていると書くので思わずニヤついてしまう。
「私は最左翼だった」とか書くのはわざとではないかと勘繰ってしまう。
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retweeted at 01:17:35
Tom Schllingがヴァイマル期のブレヒトを演じる『ブレヒト』。ブレヒトがアルノルト・ブロネンの家を訪れる場面があって、「お、これはユンガーの登場もあるな」と思ったがいつまで経っても出てこない。『鋼鉄の嵐のなかで』で朗読ユンガーをやったTom Schillingはブレヒト役で映像の中にいるからだ!
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retweeted at 01:17:20
『#夜は千の眼を持つ』予告編はいつ頃作ったものなんですか?と聞かれますが、そもそも僕が作ったんじゃないんです。気がついたらあった…。字幕の書体も時制もハチャメチャで変。でもいいんです。クラファン、どうかよろしくお願いします!
https://motion-gallery.net/projects/Takahashi_Horror…
https://www.youtube.com/watch?v=jj2GPbx-USc&t=32s…
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retweeted at 01:13:46
映画『獣手』主演和田光沙・福谷孝宏@ubKXFxZYvUoamdI
映画『#ザ・ミソジニー』
#高橋洋 監督×#河野知美 プロデューサーが再びタッグを組み、挑む‼️
高橋監督早大シネ研時代
8㎜傑作映画
『#夜は千の眼を持つ』リメイク🎬
クラウドファウンディング実施中です‼️
“新たな戦前の始まり”
“暗黒の冒険スリラー”
今こそマブゼの世界
期待が膨らみです!!! https://twitter.com/TakahashiHorror/status/1634147838459359235…
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マブゼの「国家の中の国家」了解、或いは同時代ワイマールドイツにおけるゼークト国防軍の「国家内国家」構想にイローニッシュに対応しているのやもしれないながら、そのあたりは本邦においても、「統帥権干犯」の二重権力や満州国と歴史もあり。
posted at 01:04:21
高橋洋氏「警察隊に取り囲まれたマブゼは、ドイツ語版だと“私は国家だ”って言うんですよ。“今国家と国家が交戦状態にあるのに投降もクソもない”。素晴らしいと思いました。僕はずっとそのような映画だけ作りたいんですよ」
🎥高橋洋監督最新作
霊的マブゼ映画クラファン実施中
https://motion-gallery.net/projects/Takahashi_Horror… https://pic.twitter.com/aUNq0gI3ZB
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retweeted at 00:59:23
高橋洋氏「マブゼと対決する検事ヴェンクは月並ながらこう詰めよる。『国家権力に逆らうのは止めろ!』。マブゼは答える。『私はずっと国家と交戦状態にあった。私は国家の中の国家なのだ…』。この言葉にはマブゼ・シリーズ全体を貫く重要なテーマが含まれている」
高橋洋監督作クラファン3月開始予定 https://pic.twitter.com/4pJsBzrHCa
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retweeted at 00:55:45
『ドクトル・マブゼ』、日本でも北杜夫や藤子A、『恐怖』の高橋洋監督など狂っている-ひっかかり続けている表現者の系譜あり。独自の受容の文脈を構想し得ると思われて。何方か『日本におけるドクトル・マブゼ』描かれないものか…? チブル星人マブゼはどのような?
posted at 00:52:08
Screen最新号(Volume 64, Issue 1, Spring 2023)で『ドクトル・マブゼ』特集。ジョナサン・クレーリーのマブゼ論(1996)が言及されているが、確かにあった、忘れてた。Dr Mabuse today: the centennial of Fritz Lang’s Dr Mabuse, the Gambler. Introduction https://academic.oup.com/screen/article/64/1/82/7082840#.ZBxJrGGjkoE.twitter…
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ユンガーの〈高層住宅が建てられるのは、もっぱらひとがそこから転落死するためであり…〉言、映画が〈演劇とまさしく逆の主題〉である〈空間に対する人間の従属性を扱っているように思われる事例〉として挙げられ。 スクリーンの中で市民的個人とは別な何かになっているニンゲン…。
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retweeted at 00:43:49
↓「列車が恐ろしいのはそれがレールの上を走っているからである」、似言葉を何処で…と思っていたら、ユンガー『労働者』映画論節に。〈高層住宅が建てられるのは、もっぱらひとかそこから転落死するためであり、交通の意味は人が轢かれることに、車の意味はひとがそれもろとも爆死することにある。〉 https://twitter.com/atoreides/status/302051711781064704…
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『ドクトルマブゼ』『Ⅿ』『メトロポリス』の脚本家テア・フォン・ハルボウはユンガー狂であった、との一文を何かでみたことあるのだけれど、ラングの相方ハルボウは果たしてエルンスト・ユンガーの映画了解をどのように読んだのだろうか?
posted at 00:38:03
ユンガーの1933年著作『労働者』では、「近代的市民」に対応しているのが「演劇」、第一次大戦後にあらわれた人間類型「兵士-労働者」類型に対応しているのが「映画」とされており。 この時ユンガーの念頭にあった「映画」は、やはりサイレントなのだろうな…。
posted at 00:33:19
『バビロン』観ておけばよかった…。
posted at 00:28:05
サイレントへの郷愁とトーキーの到来にはさまれた『雨に唄えば』では、歌と踊りでサイレント的な運動をキープするミュージカルが解決策として提示されるけど、『バビロン』も、運動から心理へ、というのとは少しズレた形で30年代になだれ込んでいく感じもある。
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バビロンのあのふたりはグリフィスとリリアン・ギッシュにも見えるけど、マーゴット・ロビーのあの機械的な笑いを見て、クレショフとアレクサンドラ・ホフロワなんかもちょっと思い出したんだよね。 https://pic.twitter.com/g3ruHtvVGQ
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こういうの。 https://pic.twitter.com/EhJorW1dv4
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で、それが演技においては、顔のパーツ同士を福笑いみたいに組み合わせるみたいな方法論として現れていて、例えばクレショフの『ボリシェヴィキの国におけるMr.ウェスト氏』とかにそういうのを見ることができる。
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1920年代のソ連の前衛演劇や映画では、ウィリアム・ジェームズの「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という言葉がよく掲げられて、心理はあくまで運動の「結果」として生じるとされた。
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まず雑に両者を分けると、運動が全面に出ていたサイレント映画に対して、トーキー映画はセリフを通じてより微細な心理を表現できるようになったが、成熟を迎えたサイレント映画に親しんだ人たちにとって、それは演劇への回帰に見えたみたいな話がある。
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そういえば、『バビロン』が下じきにした『雨に唄えば』ももサイレントとトーキーが背景にあるけど、『バビロン』における両者の分節もちょっと興味深かった。
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パラニューク『サバイバー』、ルビッチ映画タイトルのもじりだろうながら、〈地獄は待っていてくれるさ〉の一節いいな!
posted at 00:14:51
「毎日、夜にやることといえば、古典を読むか、業界のイベントに出かけるか。より簡潔にいえば、賢い死人と過ごすか、生きているバカと過ごすか、二つに一つだ」
──チャック・パラニューク『インヴェンション・オブ・サウンド』より
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