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@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

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2023年04月05日(水)30 tweetssource

4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

好きな女性とのムードのない話も意外と楽しい。19歳の時に、1970年に東京で同棲した彼女と梅田の個室喫茶で話したのはガダルカナル攻防戦の顛末であり、彼女と別れた後、結婚した女性との渋谷でのデートの時の話題は、ドイツ陸軍とナチス武装親衛隊の服の細部の裁断の違いについてだった(笑)。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

米ソ冷戦期の宇宙開発の意図は何だったのか。簡単にいえば核戦争対策になる。地球の外に、地球からの亡命基地(衛星でも何でも構わない)を作ったならば、核戦争で地球が放射能で全滅しても、宇宙への亡命政権は生き延び、核戦争に勝てるということだ。

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retweeted at 09:18:29

4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

イケ面でもなく格好よくない男たちへ。だからもてないのではない。男ほど視覚的でなく体感的な女性は、男ほど相手の外見に拘らない。しかも男にもてるような容姿端麗な女性ほどそうだ。そういう女性は男は外見ではないことを知っている。またどんな外見も見慣れてしまうらしい。男は内面の修養に励め。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

なぜ、事実は小説よりも奇なりであり、理想よりも現実の方が多彩なのか。それは、小説や理想は整理された産物だが、事実や現実は整理以前の混沌だからでもある。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

京都学派にしてもそうだが、日本においてドイツ思想の影響を受けたり親独派的な思想的立場にとって、対欧米との関係が問われた場合、ドイツはどのように位置づけられるかは重要な問題だ。これまでこのことはほとんど看過されてきたが、実はこれこそ基軸ではないか。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

宮本盛太郎『宗教的人間の政治思想』(木鐸社)を再読。鹿子木員信を取り上げているが、鹿子木の天皇制を基軸とした全体主義とアジア主義をテーマとしているわけではない。今では忘れられた鹿子木だが、ところで強い親独派だった鹿子木において、彼のアジア主義の中でのドイツの位置は何だったのか。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ハイデガー全集の第90巻。ハイデガーによれば、ユンガーは20世紀のニーチェであり、そのニーチェ批判の延長にユンガー批判もある。ハイデガーのニーチェ批判は、ユンガー批判の予備作業と見ることも出来、どの程度、批判になり得ているか。ハイデガーとユンガーの・・・
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posted at 09:16:11

4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

レーニン的な外部注入論によれば、革命家の任務は、自粛要請に対して民衆に外へ出よとアジテーションを繰り返し、外に出た民衆の領導は個々の現場の活動家に任せ、革命家は決して外には出ず、いざという時に出撃して動けるよう健康に留意して待機することが求められるのだろう。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ブランキストもバクーニン主義者もネチャーエフ派もボルシェヴィキもグラムシ派も北一輝派も朝日平吾派も、その時になるまで、いざという時に動けるよう健康に留意し、今はじっと待機しておればよい。問題は、いざという時に、その状況に対応する各派の組織が形成されており、あるかということだが。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

キリスト教がいわんとする所は、悪魔と条件闘争をするなということだ。条件闘争は改良主義にすぎず、悪魔を一掃することは出来ない。悪魔を一掃するには無条件の殲滅的闘争が必要だということだ。悪魔の全面支配は、殲滅的闘争に蜂起する以外にない状況ということになる。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

キリスト教によれば、至る所に蔓延り出した悪魔が地球を支配しないように悪魔と闘おうというのは、メシアを偽装した悪魔の先導だ。真のメシアは、悪魔が地球を支配した時にこそ、悪魔を一掃すべく現れる。つまり、悪魔が全面支配するまで待てということだが、その含蓄は良くも悪くも意味深い。

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retweeted at 09:11:14

4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

近代日本にナショナリズムはあったのだろうか。ナショナリズムが国民を基軸とするものならナショナリズムは共和制であり、近代の天皇制とは両立しない。そこでナショナリズムの日本的代替として家族国家論が構想されたが、では日本における共和制としてのナショナリズムは天皇制の否定で可能なのか。

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retweeted at 09:10:40

4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

「危険に生きよ」を合言葉に戦場へ向かったドイツの若者の志願兵部隊は、ベルギーのランゲマルクの戦場で、「世界に冠たるドイツ」を口ずさみながら敵陣に突撃し、全員戦死し、所謂「ランゲマルクの神話」となっている。
第一次大戦後、生き残った若者たち・・・
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posted at 09:09:32

4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

今でも実感として覚えているが、小学2年生の頃、自分の周囲にあり、自分が接している現実は、すべて見せかけのもので、その見えない向こうに、本当の現実があるのではないかと思った。それ以来、私は、幼い頃から、直面する現実には興味がなくなり、どうでもいいものとなった。

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4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

子供の頃の私は夜景が好きだったようだ。絵本の絵でも記憶に残っているものは大抵が夜景であり、その明かりの華やかさと闇の寂しさの対比が好きだったのだろう。また荒々しい海に翻弄されている小さな船の絵もよく覚えている。幼い私の中での優美と崇高美への感性の発端だったのかもしれない。

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4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

子供の頃に見た今からすれば素朴な漫画や、船や街角を描いた絵本の絵を覚えているが、もう一度手に取ってみたいと思うものの、タイトルが思い出せず、なかなか探いことが出来ない。

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4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

大阪出身で、パリに住み、パリで30歳で死んだ佐伯祐三の絵を見る。昔、天王寺の美術館で佐伯祐三展が催された時に、彼の描くパリの街頭風景や場末のような光景と、フリードリヒの描く山や森、廃墟と比較したり、北斎や広重の風景画と比べたことを思い出す。

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retweeted at 09:06:50

4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

政治学者のカール・シュミットの政治センスの無さを一つ紹介しよう。日本ではシュミットの方が比較にならないほど知られているが、戦後ドイツではユンガーの盛名ぶりにシュミットが嫉妬し、交流のあったユンガーへの悪口を文書にした。戦後の西ドイツにおいて・・・
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posted at 09:06:02

4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

もう一つは、肯定や創造に至らない状態の肯定や創造を行うことだろう。一見、無意味な愚作のように見える。しかし、よくある無意味な愚作と異なるのは、それが、意味や秀作に対するものとしてではなく、それ自身が独立していることだ。だから無意味な愚作ですらないことになる。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

つまり、対立する肯定と創造があるということだ。そして、この対立関係が、否定と破壊の現実となる。かくして否定と破壊は組織的なものとなり、そして破壊は、組織的でなければ完遂しえず、一過性の破壊は、すぐに敵対的な肯定と創造によって埋められてしまうだろう。

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4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

否定や破壊は、単に、現に在る何かを否定したり破壊することではない。それは、否定や破壊の過程ではあっても、否定や破壊の完遂にはならない。では、否定や破壊の完遂は、いかにすれば成し遂げられるのか。それは、肯定や創造を否定し破壊する事態を肯定し創造することだ(ややこしいぞ)。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

否定や破壊は簡単だが、肯定や創造は難しいと考えている者は少なくない。一見、破壊は簡単だが作るのは難しいように見える。しかし、実は逆で、否定と破壊ほど難しいことはなく、何を否定し破壊せんとしても、それたり得ず、否定と破壊の難しさに負け、肯定と創造へ逃げるのだ。

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4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

大阪の都心にある中之島の東の端は、中之島一丁目で、その先端が尖っており剣崎公園と呼ばれていたが西の端はどうなっているのか。大阪市役所や日銀大阪支店を過ぎると中之島フェスティバルタワーがあり、市立科学館や国立国際美術館があり、グランキューブ大阪を・・・
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posted at 09:02:20

4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

20代前半の頃、映画批評のようなことに従事し、大量の映画を配給会社の暗い試写室で見たことから強度の近視となった。おまけに乱視も絡み、眼科から、視力の無さをいわれ眼鏡を付けた。その時、通常の視力の見え方に驚いたが、近年、歳をとると共に遠視化しているのか眼鏡が不要化している。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

むろん、革命的敗北主義があるように戦略的属国主義というものもあるだろう。だから現象的に属国的だからといって批判すべきでもない。戦略的な場合もあるからであり、そして革命的な場合も戦略的な場合も確信犯的であるというとが眼目だ。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

日本の保守的メンタリティの弱点は、なぜ日本だけが、という被害者意識が強いことだ。原爆がドイツではなく日本に投下されたことについてもだ。そのような被害者意識で、加害者を批判し、糾弾している限り、白井聡ではないが、日本は永続敗戦の状況下に置かれるだろう。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

つまりドイツの場合、軍による戦争行為は裁かれず、戦場での将軍クラスの最高指揮官は罪に問われなかったのに対して、日本の場合、マレーの虎の山下奉文やフィリピン攻略の本間雅晴その他が問われ、またドイツ陸軍による虐殺行為は不問に付された。ただしこのことを被害者意識で捉えてはならない。

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4月5日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ニュルンベルク裁判と東京裁判の違いは、ホロコースト問題が東京裁判には無かったことだろう。その結果、ニュルンベルク裁判では、ナチス親衛隊は有罪となったがドイツ国防軍(陸軍、海軍、空軍)は無罪となったのに対して、東京裁判では日本軍(陸軍、海軍)が有罪とされた。この違いは大きい。

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4月5日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

カール・H・ボーラー『シュルレアリスムとテロル』が書架の奥に紛れ込んでいた。ボーラーは『驚愕の美学』という600頁の大部のユンガー論の著者だが、『シュルレアリスムとテロル』では訳者の「ブルトンにもベンヤミンにも格別の刺激をおぼえない訳者にとって」・・・
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posted at 08:58:40

2023年04月04日(火)18 tweetssource

4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

@candy83ki ありがとう。その文書は、以前に読んだことがあり、よく知っています。バクーニンの不可視の独裁論は、背景に知識人と大衆が分離していたロシア知識人の思想と知の持つ支配性の問題に対する批判的な対応としてあり、私のバクーニン論のポイントの一つはその読解にあります。

posted at 17:58:56

4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

日暮里駅が最寄りの墓と寺の多い谷中でのギンズバーグの詩の翻訳者でもある諏訪優の詩の会に30歳頃に司会を兼ねて参加したことがあった。それまでビートジェネレーションには興味がなかったが、ユンガー信奉者でもあったカール・О・ペーテルが、それの戦後ドイツへの紹介者だったことは知っていた。

posted at 17:31:41

4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

満州事変の画策者でもある石原莞爾は満州国の大学に、ソ連から追放されたトロツキーを招聘しようとしたという話がある。もしそれが実現したなら、トロツキーの世界革命と石原の世界最終戦争の合流になり、満州国は先進帝国主義に対する世界革命戦争の根拠地となり、思想としての政治の面白さがある。

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4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

よく「◎◎に王道無し」といわれる。代表的なものが「学問」だろうが、実際は、学問をはじめ、何事にも王道はある。要は、それに向いているか向いていないかであり、それに適った能力やセンスの問題だ。そして昔の人がいう、コツを掴むというやつだ。苦手なものがあれば、苦手でないものを探せば良い。

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4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

近代のウルトラ反動の双璧といえば、カトリックのウルトラモンタンのジョセフ・ド・メーストルと、ロシアのニーチェとされるニヒリスト的ビザンチン主義者のコンスタンチン・レオンチエフだろう。この両反動家の比較考察は是非、やるべきだ。

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4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

トリスタン・ツァラは晩年にフランス共産党に入党している。この入党の意味を諸般のツァラ研究は伝記的事項と見るだけで、分かっていない。それはブルトンのトロツキーへの接近とシュルレアリズムの宗派化、そしてバルのビザンチン神学、さらにユンガーの『労働者』に対応する。

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4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ある意味でフランス派のツァラとドイツ派のバルの違いは、K・H・ボーラーのいうシュルレアリストのブルトンとユンガーの関係という外縁を開く。その文学的輪郭は、ブルトンから最後のシュルレアリストとされ、ユンガーに傾倒したグラックが点描しているが、問題はダダ的解体とビザンツ的専制にある。

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4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

戦間期のユンガーの思想は、第一次大戦におけるドイツの敗北と、それにより意味を失い犬死のような在り方にされた多くの若いドイツ兵士の死に意味を付与すること、ニーチェに言葉を借りれば、生成に存在の刻印を押すことにあった。その戦間期における結実著作が『労働者』といえる。

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4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

近代ロシア思想から面白い展開を見つけた。シュペングラーの先駆とされる汎スラヴ主義者のダニレフスキーと、ロシアのニーチェと綽名されたニヒリスト的スラヴ派にしてビザンチン主義者のレオンチェフの関係と、それぞれの思想だ。これと20世紀ドイツのシュペングラーとユンガーの関係と展開の比較だ。

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4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

P・アルシーノフ『マフノ叛乱軍史』を読めば、マフノ運動の主要な活動地域が、現在、ロシア軍が侵攻しているウクライナ東部のアゾフ海に面した処からハルキウ(ハリコフ)やオデーサ(オデッサ)に及ぶことが分かる。またマフノの書簡には、クリミアやマウリポリをはじめ、この地域の地名が頻出する。

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4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

戦争においては、いかなる残虐行為をしようとも、負けることなく、鉄面皮と批判されようとも、残虐行為はフェイクだと否定し続ければよいという立場がある。どのような犯罪も、自白や謝罪がなければ、犯罪者は世界に対して居直り続けることが出来るからだ。

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4月4日

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現実は、政治、経済、軍事から成り立っているとすれば、政治は法的形式であり、実質的な内容となるのは、経済と軍事といえよう。要するに現実を動かすのは、金か腕力かということだ。

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4月4日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ロシアのユーラシア主義の実態は、欧州の東端に位置し、アジアにまたがる国土を持った、欧州からすればローカルな大国の、旧スラヴ派的な自己限定を越えた居直り的な自己確認と表出といえよう。それは対アジア的なものではなく、あくまでも対ヨーロッパ的なものだからだ。

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retweeted at 13:19:52

4月4日

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政治的発言をする者は、自分の意識がどうであれ、自分の意識を超えた現実の構造の中で、自分の発言が、自分の意識を超えて、何の手先になってしまうかということに鈍感であってはならない。というよりそれに敏感になることこそ政治の基本だろう。

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retweeted at 13:19:27

4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ウクライナの問題を見る場合、ロシアの革命と内戦期のマフノ運動を考える必要がある。マフノ運動は、ソ連が指導したロシア派でもなければ、ウクライナの民族独立派でもなく、権力国家としてのロシアやウクライナ双方と闘うアナキストの社会派だったが、その現実的・・・
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posted at 13:18:41

4月4日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

まだ、地球以外の生命体が発見されたり遭遇していない宇宙の現在において、地球やそこに生息する植物、動物、人間は、生命のいない宇宙のウィルスのようなものだろう。我々も、実は、身体は生物にして、意識は無生物なのだから。

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4月4日

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遺伝子はあるが細胞がないため、生物にして無生物でもあるといわれるウィルスは、地球における生命体の先祖的な存在になり、我々、1人1人も、自身の生命体としての先祖を求めればウィルスに行きつくのではないか。

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2023年04月03日(月)27 tweetssource

4月3日

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今日も良い天気なので、少し早めに玄関や庭の植木に水をやり家の周囲の異状なしを確認し、さらに食糧その他の兵站の現状をチェック。後は夕食を食べれば、今日の任務は終了で寝るけだ(寝る前に読書しろ←陰の声)。

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4月3日

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坂本龍一が3月28日に71歳で死亡したとのこと。坂本にはその音楽も含めて興味はないが、近い年齢で名前を知る人間が次々と死んでいく。古希(70歳)を過ぎるということは、今は元気で何とか生きているが、明日は我が身かもしれず、いつ死んでも構わないような歳になるのだろう。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

よく「◎◎に王道無し」といわれる。代表的なものが「学問」だろうが、実際は、学問をはじめ、何事にも王道はある。要は、それに向いているか向いていないかであり、それに適った能力やセンスの問題だ。そして昔の人がいう、コツを掴むというやつだ。苦手なものがあれば、苦手でないものを探せば良い。

posted at 11:48:49

4月3日

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ユンガーとハイデガーやC・シュミットとの違いは、このような政治思想活動をしたこととアカデミズムで学術論文を書いていたという点にある。それが、ユンガーとハイデガーやシュミットとのナチスに対する関係の違いにもなる。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

フィンランドのM・ヒエタラの『E・ユンガーとユンガー派の新ナショナリズム』は、『軍旗』『アルミニウス』『来るべきもの』他のユンガー派の機関誌の論文の語彙分析から、ユンガー自身とユンガー派の似たような言説の微妙な違いを明らかにしており、ユンガー固有の思想を抽出しようとしている。 pic.twitter.com/3v2lEjvMOx

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retweeted at 08:55:13

4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

バクーニンの矮小化の戦犯は、バクーニンの思想を捨象したバクーニン伝を現したE・H・カーだろう。それに続くのがバクーニンのマルクス批判を反共思想に利用せんとした勝田吉太郎だといえる。1970年代前半に『情況』に連載し、刊行予定の私のバクーニン論には、カーや勝田の論に対する批判でもある。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

様々な分野の劣化がいわれるが、劣化という現象はどのようにして起こるのか。簡単にいえば、他者が見えず自己だけになることによる。他者との比較が自己の向上の動機になるが、その動機が無くなるのだ。なぜ無くなるのか。資本のグローバル化による汎商品化の現実において商品の外が消滅するからだ。

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4月3日

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人間のアイディンティティは、記憶により支えられている。それは記憶喪失を考えれば分かる。しかし、自己は、自分だけの記憶ではなく、他者の記憶によっても支えられている。だから家族、友人その他の近親者の死は、それらの記憶が失われることになり、自己を支える根拠の喪失となるのだ。

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retweeted at 08:52:29

4月3日

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何かを守らなければならない場合、それはある種のナショナリズムになる。たとえば反ナショナリズムを掲げようとも、そのような党派組織や革命体制を防衛する場合がそうだ。スターリンの一国社会主義と対立したトロツキーの世界革命も、その基地である労働者国家防衛論となる。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

悪の本質は単独性にあり、善の本質は協調性にある。その意味で、悪の本質は孤独であり、孤独に耐える強い精神がなければ本物の悪にはなれないだろう。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

スターリンはヒトラーに匹敵する、あるいはヒトラー以上の悪人かもしれないが、しかし彼はヒトラーと違って悪から日和ることにより、結果として善人の一員となり、ヒトラーよりも歴史から許される存在となっている。つまり、歴史判定のヘゲモニーを握っていた連合国の一翼になったことだ。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

人間は、死ぬまで、何らかの夢を見続ける生物だな。いうまでもなく寝ている間に見る夢ではなく、意識が求める期待としての夢だ。仮に大きな夢が成就したとしても、それで終わるわけではなく、今度は、より身近な小さな夢を持つようになるだろう。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ネットもそうだ。以前は、怪しげなホームページに溢れていたが、いつの頃からかブログが基軸となり、今では見る所も決まっておりネットの未知性が無いに等しくなった。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

何物も、海のものとも山のものとも分からない時が面白い。それが何なのか分かると、すっきりし、胡散臭さや危なさはなくなるが、反面においてつまらなくなる。やはり訳の分からない、変なものがないと何物も面白くないのだろう。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

それにしても、論理的な西欧に比べて日本は情緒的であり、理屈ではなく気分で生きている。それは、究極的なことを考えたり想定したりせず、何の根拠もなく何とかなるだろうと漠然と思うのだが、良し悪しは別とすれば、東アジアにおいても中国や朝鮮半島と比べると日本は情緒的だ。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

私は、猫のように、半ば寝て暮らしているようなところがある。必要な睡眠時間以上でも、また、朝、昼、晩に関係なく、いつでも、何時間でも眠ることが出来る。だから外出禁止で、家に禁固状態で在宅しなければならなくなったとしても、一向に平気だ。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ユンガーは、多くの思想家がそうであるような世界を解釈する存在ではなく、未成の現実を独行する。『労働者』は、世界を解釈したものではなく、未成の現実を進軍しようとしたものだ。だから「ここでは新しい思想や新しい体系でなく、むしろ新しい現実が主題」であり、そのための「基本教練」となる。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

偶像と物神は、似ているようだがかなり違う。偶像は、本体は別にあり、偶像は本体の代理にすぎないが、物神は、それ自身が本体だ。つまり、偶像は変容すると偶像ではなくなるが、物神はどれほど変容しようとも、そのものであり続ける。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

熱くもなく寒くもなく、また湿気もなく、心地よい今日この頃だが、春の難点は、梅雨期があることだろう。その間、春はお預け状態になり、そして梅雨期が終わると、空気がかすかに湿気を帯び始め、初夏の気配を漂わせることになる。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

20代や30代の頃は、読書のスピードは速く、またどの本のどこに、どのようなことが書かれているかということもかなり頭に入っていた。だから文章での引用は、その記憶を基に本の頁を開き引用箇所を探していた。ところが近年は、読書のスピードは落ち、また読んだ個所の大半は忘れてしまうという有様だ。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

手足など身体の一部が恒常的に痒い場合、そこは必ず皮膚が乾燥しており、カサカサになっている。若い頃は、身体には水分が十分あるので、すぐに治るかもしれないが、歳をとることは身体の砂漠化とすれば、水分が減り、水分がもたらす様々な状態や能力が衰えていく。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ユンガーの言葉でいえば、市民的世界を焼き尽くす火炎放射器を設置する場所、それは市民的世界の外になり、その外である場所の形成となる。ユンガーが形態によって示そうとしたのは、そのことだと思う。だから形態は、階級と対立する。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

原理主義的な否定は、否定対象に「対する」ということで、否定対象の外に位置しなければならない。しかし、そのような外はあるのか。グローバル化は、全てを内部化した。世界戦争も世界的内戦と化している。つまり原理主義的な否定は、この外を、資本主義に対抗するものとして確立しなければならない。

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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

現代の問題は、原理主義になると現実には何も出来ず、現実に何かをやろうとすれば相対主義にならざるをえない。つまり革命は無為で、有為は改良でしかない。現実に有為な原理主義とはどのようなものであり、いかなるものとして可能なのか。これが原理的視点には最重要課題になる。

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4月3日

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千坂恭二@Chisaka_Kyoji

・・・それが誰であれ、その者の思想や表現、活動を、その者の意識に還元してはならない。そこには本人の意識よりも深い、あるいは浅い構造があるからだ。それはヘーゲルもマルクスもニーチェもユンガーも同様であり、ツァラしてまた然りであり、だからこそ・・・
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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

東武東上線の沿線に住んでいた約40年前頃に通った柳瀬川を思い出したが、そこから、まだ子供の頃、南海本線がとJR環状線(当時は国鉄)が交差していたのを南海の車窓から見た光景を思い出した。高架の南海の下を国鉄が走っていたが、国鉄の沿線沿いは今と異なり・・・
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4月3日

@Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

ソロヴィヨフは、彼が20代の時に書いた『西欧哲学の危機』を最初に読んでいる。これは、ヘーゲル以降の西欧哲学の動向をショーペンハウアーを踏まえ、当時の最先端の(森鴎外の『妄想』その他で取り上げられているが、今は、ほぼ完全に忘れられている)・・・
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posted at 08:40:22

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